表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
154/171

Act. 17-10

<<<<  朽木side  >>>>

 

 

 七色の光が惑わすように視界を揺らす。

 

 次々にフラッシュバックする記憶によろめいた俺は、グリコから取りあげた本を手に、背後の机に寄りかかった。

 

 

「――思い出した。俺は。じいさんを……」

 

 

 助けられなかった。失ってしまった。

 

 大事な人だったのに。たった一人のかけがえのない――――だからこそ記憶の底に封じ込めたのに。

 

 

「朽木さん?」

 

「……とんだお笑いぐさだ」

 

 じいさんを失ったあの時、全てを捨てたはずの俺が。

 

 まだ未練がましくもこんな本を――――

 

 

 

 バンッ!

 

 

 

「朽木さん!」

 

 

 手の中の本を力の限り床に叩きつける。さらに足で踏みにじり、蹴りつけようとする俺の腕にグリコが飛びついた。

 

「バカ! なにしてんの!」

 

「はなせっ! 全部無駄なんだ! こんな本を読んだところで! 必死に勉強したところで! もうじいさんはっ」

 

 

 じいさんは。

 

 

 

 もうじいさんは。

 

 

 

 

「――かえってこないんだ――――」

 

 

 

 熱くなった腕から力が抜ける。

 

 温かい何かが頬を伝った。

 

 

「朽木さん……」

 

 頭の中がぐちゃぐちゃだった。自分が何を感じているのかもわからなかった。

 

 どうして。俺はどうしたらいい。

 

 なんでこの場所に立ってるんだ。捨てたはずの場所に。俺は。俺は――――

 

 

 

 

『坊主』

 

 

 

 

 その時、窓の外からじいさんの声が聞こえた。

 

「……じいさん?」

 

 とうとう正気を失ってしまったのかもしれない。幻聴でしかないとわかっているのに、吸い寄せられるように、ふらりと窓に近づく。

 

 明るいツリーが見えた。もはやなんの感慨も呼び起こさなくなったイルミネーションをなぞり、ゆっくりと視線を下に降ろしていく。

 

 

 広場に、小さな人垣ができていた。

 

 

「……?」

 

 よく見ると、人垣の中心で誰かが横になっている。

 

 いや、倒れているのだ。暗くて影にしか見えないが、恐らく、体格からして男性――

 

 

 

「っ!!」

 

 

 

 次の瞬間、俺は弾かれたように駆け出した。

 

「朽木さん!」

 

 驚くグリコの横をすり抜け、講義室を飛び出る。グリコの声に返事をする余裕もなく、廊下を駆け抜け、無我夢中で階段を飛び降りた。

 

 何分だ? 倒れてから何分経った?

 

 焦りが脳を痺れさせる。

 

 

 じいさん。

 

 

 じいさん。

 

 

 

 じいさん――――

 

 

 

 

『医療の現場ってのは、医者だけが主役じゃねぇ』

 

 

 

 

 ――そこにいるのか、じいさん?

 

 

 外の空気はざわついていた。異状に気づいた人々が集まり、人垣は更に膨れあがっていた。

 

「どいてくれっ! 誰か、救急車を!」

 

 俺は叫びながら人垣をかきわけた。

 

「もう呼びました! でも到着まであと10分はかかるって……」

 

 答えたのはさっきホールで共に働いた後輩だった。人垣の中心で患者を抱き起こそうとしている。

 

 嫌な予感のとおり、胸元を掴み、喘ぐ青白い顔のその男性は先ほどホールで会った初老の男性だった。

 

 俺はさっとその男性の手元、周囲を確認した。肝心のポーチがない。

 

「この人の持っていたポーチはどうした!? 茶色い革の!」

 

「あれ? そういえば、持ってない」

 

「その人は恐らく狭心症か心筋梗塞だ! 下に何かひいて仰向けに寝かせておいてくれ! 誰か、ホールの中を探すのを手伝って――」

 

 

 

『色んな役目を持った奴らが自分のやるべきことをやる』

 

 

 

「これじゃないですか!? 今、ホールの中で見つけて、忘れてった人を探そうと思って」

 

 実行委員の一人が人垣の向こうから手を掲げながら叫ぶ。その手にあるポーチは見覚えのある物で、俺は「それだ!」と駆け寄った。

 

 素早く受け取ると、中から目当ての小瓶を取り出す。やはり、ニトロ舌下錠。狭心症の発作時に使うものだ。

 

「見つかりました、ニトロです!」

 

 俺は喘ぐ男性の口元に取り出した一錠の薬を持っていった。男性は反射的にそれを口に咥え、吸い込んだ。

 

 同時に俺は腕の時計で時間を確認する。1分ほどで効き目があるはずだ。

 

 これが効かなければ、もっと危険な心筋梗塞に移行している可能性が高い。どうか効いてくれ――

 

 

 

『誰一人欠けちゃなんねぇ。全員が自分のできることに最善を尽くす。そうやって、より多くの命を救うんだ』

 

 

 

 じいさん。

 

 

 

『おめぇもなりてぇか? その一員に。命を救うプロの一人に』

 

 

 

 なりたい。俺もその一員に。じいさんと同じ場所に立つプロに。

 

 

 

 ぎゅっと手を握りしめる。誰も一言も発さない静かな時が流れた。

 

 

 そして――

 

 

 祈るような気持ちで見守る俺たちの前で、男性はやがて静かに呼吸を整えだし。

 

 朦朧としていた瞳に生気が蘇ってくると同時に、ゆっくりとそれが俺に焦点をあわせ。

 

 赤味の戻った頬がにこりと笑った。

 

 

 

 途端、歓声が湧きあがった。

 

 

 

「やった! よかったぁ~! もう大丈夫なんですね、朽木さん!」

 

 

 興奮に弾む後輩の声をどこか遠くに聞き、俺は呆然と頷いた。静かに広がる達成感の中、不思議な気持ちで手の中の小瓶を見つめていた。

 

 ……命が。

 

 今、確実に。ひとつの命が俺の手に戻ってきた――

 

 

『どうだ坊主。知識で命を救う。最高だろ?』

 

 

 ああそうか――――

 

 ようやくわかった。俺はこれを求めていたんだ。

 

 救えなかったあんたの代わりに、大勢の命を救うことを。

 

 

 俺はずっと求めていたんだ――――

 

 

「朽木さんすごいです! 俺、もうパニクっちゃって。ニトロのことなんて全然浮かばなかったですよ!」

 

「……俺も、この人が薬を飲む場に居合わせなかったら、わからなかった」

 

 偶然が重なった。ただそれだけのことだが――

 

 ニトロ舌下錠。狭心症の発作を一時的に抑えるだけだが、大切なものだ。これがあるとないとでは患者の安心度が違う。

 

 この男性は恐らく、ポーチを忘れたことに気づき、うろたえたため発症したのだ。心臓の病気を患っている場合は、心臓に負担をかけないことが大切だと、どこかの本にあったのを思い出す。

 

 

「ありがとうございます……」

 

 到着した救急車に担ぎこまれる寸前まで、何度も男性は俺に頭を下げ続けた。たいしたことをしたわけじゃないのに。

 

 人々に褒めそやされるのも気恥ずかしく、俺は早々にその場を退散した。置いてきたグリコを探しに医学部棟へと戻る。

 

 涼しい夜風が頬を撫で、心地よく目を閉じる。

 

 再び視界を戻した時、広場の端に立つ小さな人影を見つけた。その時になってようやくつい数分前の荒れた自分を思い出した。

 

 どう説明したものか。あの時と今ではまったく心境が違ってしまっている。

 

 だが言葉をためらっているうちに、人影はイルミネーションの明かりの中へと進み出て、俺に微笑みかけてきた。

 

「――助けれたじゃん」

 

 白い髪を風に揺らし、グリコは俺の前で立ち止まった。

 

 浮かべている笑みはいつもと違って穏やかだ。

 

「別に、助けたというほどじゃ……」

 

「急に朽木さん全力疾走するんだもん。びっくりしたよ」

 

 ようやく散りだした人垣に目をやり、誰かに手をふるグリコ。実行委員の誰かだろうか。

 

「いいね、ああいうの。みんなが誰かを助けようと、自分のできることを精一杯やって。無駄なことなんてひとつもないよ」

 

 ひとつもない。俺のしたことも、無駄じゃない――

 

「昔も、助けたかったんでしょ? このおじいさんを」

 

 伸びてくるグリコの手のひらには、あの写真があった。

 

 むすっとした顔でそっぽを向く中学生の俺。その隣で、欠けた前歯を陽気に見せながらピースサインをするじいさん。

 

 たった一枚。俺とじいさんが二人で写った写真だ。

 

「――ああ。助けたかった。だけど俺には、じいさんを助ける力なんてなくて、逃げ出しただけで――」

 

 それから俺は、ぽつり、ぽつりと語りだした。

 

 誰にも救いの手を差し伸べられず、たった一人で逃げ続け、心がすさみきっていたあの日。

 

 公園で出会ったホームレスは、俺の居場所を作ってくれた。

 

 生きる意味を見出し、希望を与えてくれた、ただ一人のじいさん。

 

 薬草のことを、薬の世界のことを教えてくれた。薬で救える命の多さを教えてくれた。

 

 もっと知りたいと思った。この人を超えたいと思った。

 

 だが、別れの時はあまりに突然で。

 

 何もできなかった自分にうちひしがれたあの時のこと。

 

 絶望感に生きる希望を失ったあの日のこと。

 

 気づけば俺は、思い出した全てを語っていた。

 

 

 

「――無気力になった俺は、その後神薙に捕まったが、逃げる気も起きなかった。なにもかもが、どうでもよかったんだ」

 

 

 グリコは静かに聞いている。またあの何を考えているのかわからない無表情で。

 

「ようやく従順になった俺に神薙は満足したが、卒業式の直後、突然俺は解放された。もうお前に用はない、どこにでも行け。そう言って神薙は俺を放り出した」

 

 話しながら思い出す。あの時、自由になったという希望の灯火が灯ると共に襲ってきた孤独感。俺は、この孤独に耐えるため、強くなろうと思った。

 

「神薙にすら見捨てられ、一人になった俺にできることは、全てを忘れ、強い自分に生まれ変わることだった。孤独に負け、神薙に屈してしまった自分を捨てて――」

 

「違うよ朽木さん。朽木さんは孤独に負けて捕まったわけじゃないじゃん」

 

 きっぱりと言われ、面食らった。

 

「大事な人を助けられなかった自分に絶望した隙に捕まったんだよ。それは、お父さんに屈したことにはならないよ」

 

「……屈したことにはならない……?」

 

「うん。そこんとこ、記憶がごっちゃになっちゃったんだね。朽木さんはお父さんに負けたことなんてないんだよ。諦めたこともない。一度は諦めかけたのかもしんないけど、ちゃんと夢を掴んでた。だから今この場所にいるんでしょ?」

 

 この場所に。

 

 じいさんと同じ高みに昇るために。

 

 

 全てを捨てたと思っていたのに――――

 

 

 

『おめぇはまだ足掻ける』

 

 

 

 ああ、そうだなじいさん。俺は足掻き続けてきた。

 

 あんたの言葉を忘れなかったんだ。

 

 

「……馬鹿だった。じいさんとの思い出まで忘れるなんて……」

 

 自分が何を目指したのか。何を大事にしていたのか。全てを忌むべき過去として封印してしまった。

 

 だから自分には何もないと思っていた。

 

「でも、ちゃんと進みたい道を進んでたんだから、すごい執念だよね。朽木さんらしいじゃん」

 

「俺らしい、か……」

 

 ふっと口元が笑う。まったくこいつの言うことは。

 

「頑張んなよ。今の朽木さんはもう、昔のままじゃないんでしょ?」

 

 そうだ。俺はもうあの無力だった子供じゃない。知識と力を蓄えてきた。

 

 父さんとじいさんが見てきたものを、俺も見ることができる。このまま進み続ければ。

 

 

「グリコ――」

 

 

「ん?」

 

 

「俺は、神薙のもとへは行かない」

 

 

「わかってるよん」

 

 

「あと――」

 

 

 

 色々と、すまなかった。

 

 

 

 この一言で、今までの全てを清算できるとは思ってはいないが、グリコにしてしまったこと、してもらったことに対する感情を、なんとか言葉にして絞り出した。

 

 予想通り、グリコの反応は「感謝の気持ちはヌード写真で――」などとのたまいだすのでげんこつ一発で黙らせる。

 

 素直に謝辞を受け取る奴ではない。だからこそ、いつもの俺でいることがこいつにとって一番の礼になるのだろう。

 

 どこか名残惜しい手をグリコの頭から戻し、視線をさまよわせれば、どこからか涼やかな鈴の音が、音楽と共に聴こえてくる。幻想的なこの風景によく似合うこれはジングルベルだ。

 

 BGMに流すことにしたんだろうか。

 

「みんな頑張ってるなぁ~」

 

「ああ。頑張ってるな」

 

 一夜限りの夢を与えるために。

 

 闇夜を照らす淡い光を放ち続けるクリスマス・ツリーを俺は見上げた。

 

 誰も彼もが今、この木を見上げ、自分の夢に思いを馳せている。

 

 頂上に輝く星は、ここが目指す場所だと示してくれているようで。

 

 

 

「じいさん――」

 

 

 

 大丈夫だ。俺はまだ足掻ける。

 

 もう迷わない。じいさんの記憶と共にそこを目指す。

 

「あたしもコーヒーもらって……はにゃ」

 

 突然、グリコの声が途切れ、気づいた俺はすぐさま手を伸ばした。

 

 一歩踏み出したグリコの体が、ぐらりと横に傾いたのだ。

 

「だから言っただろ。動きすぎだ」

 

 脱力したグリコの体を支えてしっかりと抱き寄せる。思わず焦った手が震え、うまく力が入らない。

 

「はにゃ~。ぐるぐるする~。世界がまわってる~」

 

「もう帰るぞ。無茶した罰だ。今日は大人しく運ばれてろ」

 

 文句を言われる前に、胸に抱き上げて歩き出した。

 

 わずかに跳ね上がった鼓動は気のせいだということにしておく。

 

 そんなはずはない。こんな変態との触れ合いを意識するはずが。

 

 

「うが~。ちくしょ~。パンダと体を鍛えなおす~」

 

 

 こんな変態女を――――

 

 

 だが、もうはっきりとは否定できない自分がいる。

 

 とんでもない非常識な変態女だろうが。ただのうるさいでしゃばりだろうが。色々と世話になってしまった今ではこいつが最早ただのストーカーではないことを認めざるを得ない。

 

 

 もしかして、こいつは俺の――――

 

 

 

「兄ちゃんに怒られる~」

 

「俺も一緒に怒られてやるから静かにしてろ」

 

 

 

 まさかな。

 

 

 

 

 

 

 

 その夜、俺は初めて悪夢の正体を知った。

 

 

『ようやく俺の顔を思い出したか、坊主』

 

 夢の中でニカッと笑う相変わらず前歯の欠けたじいさんに、俺は苦笑で返した。

 

『どうりで耳の奥にこびりついてたはずだ。あんたとはここで会ってたんだな』

 

 ずっと俺を苦しめていた夢の闇は、優しい色に変わっていた。木漏れ日を落とす緑に囲まれたそこに。

 

『おうよ。俺がずーっと語りかけてんのに、この薄情な坊主はなかなか耳を貸さねぇんだ。おりゃこのまま消えちまうかと思ったぜ』

 

『悪かったよ。過去を忘れれば強くなれると思ってたんだ』

 

『まぁな。誰にでも封印したい過去はある。おめぇは前に進むために、一度忘れる必要があったんだ』

 

 ずっと耳を塞いでいた俺に腹を立てた様子もなく、じいさんは昔懐かしい公園のベンチの上で胡坐をかく。

 

『……でも、あんたは俺の中にしっかりと残っていた』

 

 呟く俺に、からからとじいさんの大きな笑い声がふってくる。

 

『あったりめぇだ! 俺が置いて行っちまったおめぇをどんだけ心配したと思ってんだ。あの世でゆっくりなんかしてらんなかったんだよ』

 

『じいさん……』

 

『んな辛気くせぇツラすんな。こうして思い出せたんだから結果オーライってやつだ』

 

 結果オーライ……か。じいさんらしい。俺は苦笑して頷いた。

 

 じいさんも満足そうに頷き、俺を真っ直ぐに見返す。

 

『おめぇはもう大丈夫だ。足掻いてみせろ。パートナーだって見つかったんだろ?』

 

 その含みのある不意打ちの言葉にどきりとする。パートナー……浮かびそうになる顔を慌てて打ち消した。

 

『あ、ああ。男だけど、優しくて純粋でいい奴だ。俺を支えてくれた』

 

 なんでどもるんだ、俺は。拝島に決まってるだろ。

 

 しかし、途端に意地悪く笑うじいさんの顔が俺を焦らせ、体が一気に熱くなる。

 

『おや、そっちか? もう一人、候補がいんだろ?』

 

『じいさん!』

 

 思わず叫ぶ。俺の中にずっといたじいさんが知らないわけがない。だからこそ焦る。

 

『あの子の声は、おめぇの心によく響くみてぇじゃねぇか?』

 

『違うっ! あいつだけは絶対に違うからな!』

 

『意地をはるなよ坊主。んな赤い顔で言っても説得力ねぇぞ』

 

『変態だぞ! あんなとんでもない変態に支えられるなんて冗談じゃない!』

 

『ははは、悩め悩め! けっこうじゃねぇか! 悩むのも人生の醍醐味だ!』

 

 バン、と思いっきり楽しげに背中を叩かれた。駄目だ。完全に見抜かれている。

 

 相変わらず、このじいさんには勝てる気がしない。

 

『わけぇんだから青春しねぇとな! まぁどっちがパートナーでもいいってことよ。ようは人生が楽しくなりゃいいんだからな!』

 

『まったく……軽く言ってくれるな……』

 

 俺は痛む背中をさすりながらぶつぶつとこぼした。夢なのに痛いってのはどういうことだ。

 

 だが――――じいさんに叩かれたのは久しぶりだった。

 

 もう夢の中でしかこんな風に語り合えないのだと、しんみりとした気持ちが湧き上がる。

 

 じいさんは――死んでしまったのだから。

 

 何もできなかった俺の目の前で、連れて行かれたのだから。

 

 

『じいさん……』

 

 

 できれば。叶うことなら。あの時に戻って。

 

 いいや。それはもう不可能だ。俺は認めなければいけない。現実を。

 

『ああ?』

 

 だから。俺に言えることは。

 

『俺、あんたを助けられなくて。何もできなくて――――』

 

 

 

 ごめん。

 

 

 

 小さく呟いた言葉は、しかしじいさんの豪快な笑い声に吹き飛ばされた。

 

『気にすんな! あれが俺の寿命だったんだ。寿命に無理に逆らったっていいことはねぇ!』

 

『じいさん……』

 

『俺は充分人生を楽しんだ。おめぇはこれからだろ? これから楽しいことが沢山待ってんだ。好きなように生きてこい』

 

 まるで、それが別れの合図だとばかりにじいさんの姿が突然、薄れていき、俺は胸が締め付けられる思いで目を見開いた。

 

『じいさん!』

 

 慌てて掴もうとじいさんに手を伸ばす。

 

 だが寸前で思いとどまった。

 

 俺はもう、無力な子供じゃない。

 

 自分の力で進んでいかなければいけないのだ。いつまでもじいさんに引っ張ってもらうわけにはいかない。

 

 ゆっくりと、手を下ろす。

 

 代わりに、ずっと言いたかった言葉を叫んだ。

 

 

『ありがとう、じいさん! あんたに会えて良かった! 嬉しかったんだ、ほんとはずっと嬉しかったんだ、あんたが傍にいてくれて!』

 

 

 不器用な子供だったから言えなかった言葉を。俺は叫び続けた。

 

 

『もう二度とあんたのことは忘れない! あんたのおかげで夢を持てたんだ! あんたのおかげで今の俺があるんだ! 忘れない!』

 

 

 忘れない。

 

 

 決して忘れやしない。

 

 

 俺には夢があるということを。目指すものがあるということを。

 

 

 しっかりとこの手に掴んで生きる。

 

 

『おう、忘れんな坊主。必死に足掻いて生きていけ。なぁに、おめぇなら大丈夫だ。ふってぇ牙があんだからな。それに――もうわかってんだろ?』

 

 

 じいさんが手を振って応える。

 

 

 ああ、そうだ。昔もそうだった。俺が気づかなかっただけで。

 

 そしてこれから先もずっと――――わかっている。

  

 見失いはしない。どんな時でも決して。

 

 

『おめぇは』

 

 

 俺は。

 

 

 そう。

 

 

 

『一人じゃないってことを』

 

 

 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ