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Act. 17-9

<<<<  朽木side  >>>>

 

 

 そのホームレスと知り合ったのは中学三年の秋。神薙から逃げ隠れる場所もそろそろ尽きるという頃だった。

 

 

『泊まるとこねぇんなら俺んち来るか?』

 

 

 公園の入り口で麻薬の売人から薬を買おうとした俺は、突然割って入ったじいさんに転がされ、きついお灸を据えられた。

 

 木刀を振り回すのが得意だというその元気なじいさんは、公園に住みついたホームレスの一人で、行くあてのない俺を自分のダンボールの家にかくまってくれた。

 

 

『きったねぇ家だな。こんなとこに家賃なんか出さねぇぜ?』

 

『おめぇみてぇな坊主に誰がそんなの期待すっか。好きなだけいろ。でも毛布は自分で調達すんだぞ?』

 

 

 同情でもされたか。無償で世話を焼いてくれるじいさんをけむたく思いつつも、俺は利用することにした。

 

 すぐに集まってきたホームレスの仲間達が新参者の俺を取り巻き、親切ぶった顔で差し出してくる廃棄処分のコンビニ弁当も、仏頂面で受け取った。

 

 

『わけぇのに苦労してんだな、ぼん。明日、一緒に食いもん探しにいくか?』

 

『こいつ、追われてるみてぇだからよ。もっと乞食らしい恰好にして連れていってやってくれや』

 

『はっはっ、ほんまにあんたは厄介なんを連れてくるのが好きやなぁ、じいさん』

 

 

 須藤のじいさん。

 

 

 その飄々としたじいさんは、仲間からそう呼ばれていた。

 

 だが俺は単に、『じいさん』とだけ呼んだ。

 

 

『住めば都、つってな。こんなとこでもわりと居心地は悪くねぇんだよ、ぼん。特に須藤のじいさんに拾われたんなら、悪いことになんかなりゃしねぇ』

 

『そりゃ言いすぎってもんだろ。逆に怪しくて俺なら即行で逃げちまってるぞ』

 

『ちげぇねぇ!』

 

 

 垢まみれのホームレスたちは、何がそんなにおかしいのか、くだらないことで陽気に笑う。

 

『……ばかくせ』

 

 

 叩きのめされたのも、そんなアットホームな雰囲気も不快だったが、その日から、俺は度々このダンボールの家を訪れ、寝泊りさせてもらうようになった。

 

 決して居心地が良かったわけじゃない。隠れ家として最適だっただけだ。

 

 小汚い恰好でゴミ漁りでもしていれば俺だと気づかれる心配もない。

 

 見つかりそうになればわざと別の場所で捕まり、黒服たちの注意を公園から逸らす。そうしてその最後の隠れ家を守った。

 

 

 じいさんは、一言で言えば変な奴だった。

 

 

 豪気で豪快。いつも仲間たちの中心で笑っていて、たまに常識外れなことをするかと思えば、お前は先公かよと言いたくなるような道徳を説いたりする。

 

 だが知識が豊富で、健康相談などを受け付け、的確に病気を治していく様はホームレスたちにとってはありがたい存在らしく、誰からも慕われていた。

 

 

『運動もな、適度にすんだぞおめぇら。おい坊主、おめぇはわけぇから多少の運動じゃ物足りねぇだろ。木刀貸してやるから打ちかかってこい』

 

 

 くえないじいさん。

 

 

 最初はただの口うるせーじじいだと思っていた俺も、徐々に一目置くようになった。

 

 ケンカの仕方を教えてくれて、寝床を提供してくれる。まぁまぁ便利だし、多少の説教には目を瞑って居座らせてもらうか。そう思うようになっていった。

 

 そんなじいさんが俺の中で大きな存在となったきっかけは、一人のホームレスがひどい下痢に悩まされているとこぼしたことだった。

 

 

『とまらねぇんだよ、寒気もひどくてよう……』

 

 

 青白くやつれた男は、昔、カメラマンだったとかで、いつも後生大事に一台のカメラを持ち歩いていた。

 

 薬を買うことも、病院に行くこともままならない赤貧生活。病気はホームレスの大敵だ。

 

 何度も食料を分けてくれたことのあるその男の苦しんでいる姿は、俺に気まぐれな親切心を呼び起こした。

 

 この広大な公園の一部には、管理された薬草園がある――俺はふと思いつき、そこに行ってこれだと思う草をいくつか根ごと採ってきた。

 

『これ』

 

 ぶっきらぼうに差し出すと、じいさんは目を丸くした。

 

『おめぇ……こりゃ黄蓮と……薬草じゃねぇか。どっから持ってきたんだ』

 

『……奥の薬草園から引っこ抜いてきた』

 

『ばっ……! 忍び込んだのか!? あぶねぇことすんな坊主!』

 

 俺は一度大目玉を食らったが、その後じいさんは笑いながらそれを煎じ薬にしていった。

 

 驚いたことに、じいさんは薬を作るための道具をあらかた持っていた。慣れた手つきで生薬に仕上げていく過程を、俺は惹きつけられるように見つめた。

 

 やがてできあがった薬を飲み、下痢に悩まされていた男はみるみる回復していった。

 

『ありがとな、ぼん』と笑顔で言われ、照れくさくてそっぽを向く俺の背中を、じいさんに思いっきり叩かれた。

 

 褒められているはずなのに、むせるはめになり、恨みがましく見上げる俺にじいさんは豪快に笑って言った。

 

『坊主。よくあれが黄蓮だってわかったな』

 

『うちの庭に昔あったから……それだけだ。薬草ばっかのつまんねー庭だけどな』

 

『だけど興味のないことは覚えねぇ。おめぇのおかげであいつの病気は治ったんだ。どうだ? 自分が採ってきた薬の効果を実際に目の当たりにした気分は』

 

『……本当は、効くかどうか少し怖かった。薬は毒にもなるっていうし……』

 

『そうだな。正しい知識をもって使わなきゃなんねぇ。知りたいか坊主?』

 

 ニカッと笑ってじいさんは言った。

 

 

『俺もな、わりと薬とか詳しいんだ』

 

 

 

 それからじいさんは、薬の世界のことを色々と教えてくれるようになった。

 

 薬草のことはもちろん、様々な病気とそれを治す薬の知識。動態薬理。抗生物質の開発と細菌進化のイタチごっこ。

 

 難しい話だとは思わなかった。大学の専門書に手を出したこともある俺にはどれも興味深い話だった。

 

『どんどん開発される薬は種類も増えていって情報を集めるのもてぇへんだ。扱いが難しいものもある。一人一人に合った医療を施すには、医者一人の力じゃ無理があんだよ。だから薬の専門家が必要なんだ』

 

 どうしてそんなに詳しいのか。じいさんは自分のことをあまり語ってはくれなかったが、昔、病院に勤めていたことがあったらしい。

 

 父ももともと病院の薬剤部に勤めていた人間だ。確かに二人には、医療の現場を見てきた者特有の匂いが共通している。

 

 そこに行けば、俺も父さんやじいさんのようになれるんだろうか。

 

 もっと知りたい。薬のことを。俺は日々貪欲になっていった。

 

 いつか行きたい。同じ場所に立ちたい。そして、父さんとじいさんを超える存在になりたい。

 

 そんな思いが膨らみ始め、学校の勉強にも目を向けるようになった。

 

 だが、ようやく生まれた希望の光は、とても儚いものだった。

 

 俺の将来は神薙に握られている。どれだけ願っても、俺が経営者以外のものなることは許されない。

 

 夢を見れば見るほどに辛かった。何度も諦めかけ、やさぐれた行動がおさまることはなかった。

 

 

 そんな俺に、じいさんは度々説教をくれた。

 

 

『まーたつまんねぇ顔してんな坊主。生きるのは楽しくねぇか?』

 

 楽しいわけがない。檻に閉じ込められ、やりたいこともできない生活。がんじらめな未来。

 

『辛い人生だってな、気持ちの持ち方ひとつで楽しくなんだ。明るい未来をもっと信じてみちゃどうだ』

 

 聞き飽きた、とそっぽを向く俺に、じいさんは根気強く言い聞かせた。

 

『おめぇに必要なのは相棒だ。そいつがいりゃあ、どんな逆境も楽しく切り抜けられる。退屈どころか、年がら年中転げまわって忙しくなっちまうぞ』

 

 じいさんはその話が好きだった。

 

 いつか出会える運命の相手。

 

『探してみろ。必要なんだよ、おめぇがおめぇらしく生きるためにゃ。ありのままのおめぇを受け止めて引っ張ってくれる相棒――パートナーってやつが』

 

『るせーよ』

 

 当時の俺は友人を見つけるどころじゃなかった。神薙から逃れるので精一杯だったからだ。

 

 俺に関わる者は全て神薙にマークされる。好き好んで寄ってくる奴は、俺を利用しようって輩しかいなかった。

 

 だから俺はパートナーなんて言葉には、唾を吐きかけるしかなかった。

 

『諦めんな坊主。未来を信じて今は必死に足掻くんだ。いつか見つかるパートナーが必ずおめぇを支えてくれる』

 

 呆れるほどくさい台詞に反発し、俺はいつも適当に聞き流していた。

 

 運命? クソ面白くもない言葉だ。

 

 もし俺が神薙に一生拘束されるのが運命だったらどうするんだ。

 

 何も信じたくない。ただ一時の自由のために逃げ続けるだけだ。

 

 

『夢を、諦めんな坊主――』

 

 

 今思えば、もっと真剣にじいさんの話に耳を傾けていればよかった。

 

 じいさんは俺の心が挫けないように、そんな明るい未来やパートナーの話を語ってくれていたんだ。

 

 俺はじいさんから沢山の恩を受けた。なのに。なにひとつ返せないまま、じいさんは――――

 

 

 

 

『坊主! 来んじゃねぇ!』

 

 

 

 その日の数日前から、じいさんの様子はおかしかった。

 

 時折、胸や背中を苦しそうに押さえ、咳き込むことがあった。心配ないと言いつつも、どこか悟ったような目で遠くを見つめたりしていた。

 

 

 

 血を吐いたのは、突然のことだった。

 

 

 

『じいさんっ!』

 

 

『来んな――俺の血に、触んじゃねぇぞ。どんな病気だか――げほっ、わかんねぇ、からな』

 

 激しく咳き込み、胸をかきむしるじいさんの口から、どろっとした赤いものが飛び散った。

 

 思わず恐怖に後ずさった。病気に対する恐怖。死に対する恐怖。

 

 俺は慌ててその場を離れ、救急車を呼びに行った。じいさんを見ていられなかった。

 

『早くきてくれっ! 頼む、血を吐いてるんだ! じいさんがっ、じいさんが――』

 

 公衆電話に飛びつき、泣きながら訴えた。俺にできたのはそれだけだった。

 

 移ることを懸念して、じいさんは誰も近づけなかった。救急車が到着するまで、たった一人で苦しみ続けたのだ。

 

 運ばれていく担架。その中からじいさんは、精一杯の微笑を浮かべて俺を呼んだ。

 

『坊主……すまねぇな。おめぇを置いて行っちまう……』

 

 そんなこと言うなよ、じいさん。元気になって早く帰って来いよ。

 

 そう言いたいのに、のしかかる不安が俺の声を押しつぶした。

 

 遠ざかっていくサイレン。まるで、じいさんを俺の手の届かないところに連れ去って行くかのような。

 

 行くな。じいさんを連れて行かないでくれ。

 

 今にも叫びだしたくなる焦燥感と共に見送った。やがて襲ってくる絶望感。

 

 

 俺は、なにもできなかった――――

 

 

 苦しそうに転げまわるじいさんを、どうしてやることもできなかった。

 

 それどころか直視に耐えきれず逃げ出したのだ。

 

 怖かった。失われていく命が怖かった。ケンカ相手に瀕死の重傷を負わせたことだってあったのに。

 

 俺は――――

 

 

 

 

 肺がん。

 

 

 

 

 それがじいさんの病名だと知ったのは、動かなくなったじいさんが寝かされたどこか現実味のない病室に案内された時だった。

 

 

『末期でした。抗がん剤を投与したのですが。副作用が強く、弱った体には耐えられずに――』

 

 

 ふざけるな。医療ミスじゃねぇか。このヘボ医者野郎。

 

 俺がじいさんを診れてれば。俺がじいさんに適切な処置を施せてれば――

 

 

 どうにかできたってのか? 震えてるだけだったこの俺に?

 

 

 お前にじいさんを助けることができたってのかよ。病気にすら気づかなかったお前に。

 

 ……そうだ。俺がもっと早くじいさんの異変に気づいていれば。もっと早く病院に連れて行っていれば。

 

 俺が一番近くにいたのに。くだらない反発ばかりして、じいさんの苦しみに気づいてやれなかった――

 

 

 ふざけるな。お前こそ無力なヘボガキじゃないか。

 

 

『君が来たらこれを渡すようにお願いされていました』

 

 

 その時、医者から差し出された紙切れを受け取り、初めてじいさんの直筆を見た。

 

 

 

 ―― 忘れるなボウズ。おめぇはまだあがける。

 

 

 ―― 俺がいなくなってもあきらめんじゃねぇぞ。希望を捨てるな。

 

 

 ―― ずっとあがき続けていくんだ。絶対に、負けんじゃねぇ。

 

 

 ―― おめぇは一人じゃねぇ。忘れるな。未来でパートナーが、おめぇを待っている。

 

 

 

 明るい未来と共に、おめぇを待っている。

 

 

 

 無理だじいさん。俺には無理だ。

 

 あんたがいないのに。ちっぽけな俺一人でどうやって希望を持ち続ければいいんだ。

 

 あんただけだった。俺を救い上げてくれたのは、たった一人、あんただけだったんだ。

 

 

 その時、初めて気がついた。自分がどれだけあの老人に救われていたのかを。

 

 大切な人だったのに。生きる意味を見出してくれた人だったのに。

 

 その命ひとつ救えない無力な自分など。

 

 震えているだけだった、小さな子供の自分など。

 

 

 

 消えろ。

 

 

 

 消えてなくなってしまえばいい――――

 

 

 

 

 

 ごめん、じいさん。俺はもう戦えない。

 

 

 

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