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Act. 17-5

<<<<  朽木side  >>>>

 

 

 グリコの言葉に従い、記念ホール前に戻ると、ちょうど赤い眼鏡の男がホールから出てくるところだった。

 

 彼が庄司正宗。高地から聞いたこともあるような気がする。名物お祭り男だとかなんとか。

 

「なんとあのホームズ司会者さんだよ!」とグリコは言っていたが、雰囲気が随分違うので同一人物だとはとても思えない。

 

 まぁそれはともかくとして、彼に言えば仕事をくれるということで、気乗りはしないが声をかけた。

 

「やぁ、さっきはどうも」

 

「あっ、朽木さん。いえいえお役に立ててなによりです」

 

 礼儀正しく挨拶を返してくるのは、自分の方が俺より一学年下だとわかっているからだろう。上に立つ者はそういう分をきちっとわきまえている人間が多い。

 

「おかげであいつと話せたよ。病み上がりだったから少し心配してたんだ。ありがとう」

 

「えっ? お菊ちゃん、病み上がりなんですか?」

 

「ああ、ただの風邪だけど。それで、あいつの分も働くから何か手伝うことがあれば言ってくれ。代わりにあいつを少し早めに帰らせて欲しいんだ」

 

「それはもちろん構いませんけど……どんな仕事でもいいんですか?」

 

「素人でもできる範囲のことなら」

 

 本当は何も手伝いたくなどないが、暇を持て余すよりはいいだろう。

 

 俺は少しだけ愛想をのせた表情で答えた。すると庄司正宗は視線をさまよわせながらぶつぶつと、

 

「ふーむ。プリンスが手伝ってくれるなら……」

 

「すまん。ひとつだけいいかな?」

 

 消し飛びそうになる愛想笑いをなんとかつなぎ止め、手をあげる。これだけは言わせて欲しい。

 

「はい?」

 

「その”プリンス”ってのはやめてくれ」

 

 まったく、どいつもこいつも。

 

  

 * * * * * *

 

  

「いらっしゃいませ。チケットを拝見します」

 

 にこやかな笑みを絶やさず手を差し出す。

 

 渡されるチケットを切り、パンフレットと共に半券を客に戻す。

 

 確かに簡単な仕事だ。注文どおり、素人でもできる範囲の仕事だ。

 

 庄司正宗が俺に与えた仕事は、記念ホールで行われるコンサートのチケット切り係だった。

 

 ホールの入り口の両端にそれぞれ長机を並べ、俺ともう一人のスタッフが客を迎える。

 

 必要なのは礼儀正しさと笑顔。難しいことは何もない。にこやかな顔を作るのも苦手じゃない。

 

 だが、たまに笑顔がひきつりそうになる事態が起きる。

 

「チケットをお返ししま……」

 

 言いながら渡そうとする手をぎゅっと握られる。また中年女だ。

 

「……お返しします」

 

 振り払いたい気持ちを全力で抑え、言葉をつなげる。にやりと歪んだ顔が下から俺を覗き込んだ。

 

「お兄さん、モデルさん?」

 

「いいえ違います」

 

「カッコイイわねぇ」

 

「ありがとうございます」

 

「名前はなんて……」

 

「すみませんが、後がつかえてますので、放していただいてもいいですか?」

 

 勘弁してくれ。何人目だ。

 

 血管がぶち切れそうになりながらも、笑みを崩さず促す俺は、その女の後ろを見てぎょっとなった。

 

 ここまでつかえてたのか!? おかしくないか!?

 

 入り口を挟んだ向こう側の机に並んでいる人数の数倍は列を連ねていた。しかも全員女。どうなってるんだ。

 

 このホールで行われるコンサートは聖歌隊の合唱がメインらしいのだが、客は圧倒的に女性が多い。

 

 そしてどうやら俺はその女性へのサービス係も兼ねてこの役をやらされているらしい、ということに気づき始めたのは最後に言うべきこの言葉によってだ。

 

「コンサートの後はライトアップされたツリーを是非御覧になってください。暖かいコーヒーもご用意してあります」 

 

 ただチケットを切ればいいだけだろうに、何故か俺はこう付け加えるよう指示された。にやりと眼鏡を押し上げつつ言う庄司正宗に。

 

「じゃあ、また後で会えるかしら。またねぇ、お兄さん」

 

 つまり、釣り餌でもあるということか。手を振りつつ去っていく女性客から苦々しく視線をはずした。

 

 悪いが、もう永久に会うつもりはない。

 

 心の中で塩を撒きつつ、次の客に手を差し出す。

 

「いらっしゃいませ。チケットを……」

 

「きゃーっ、朽木さん! ファンなんです! 写真撮らせてもらってもいいですかっ!?」

 

 

「………………」

 

 

 確実に一本は切れた。

 

 

 女なんか大っ嫌いだ。

 

 

 

 * * * * * *

 

 

 

 ようやく地獄の数十分が終わり、俺は深くため息をついた。この頃ため息をついてばかりだ。

 

「お疲れさまです、朽木先輩」

 

 もう一人のチケット切り係だった男が声をかけてくる。

 

 その手に長机を抱えているのを見て、俺も机を持ち上げる。

 

「どこに片づければいいんだ?」

 

「あ、いいですよ。俺がやります」

 

「二人でやれば一度ですむだろ。さっさと終わらせよう」

 

 そしてさっさと手を洗いたい。やたら汗ばんだ手で握られまくったので不快なことこの上ない。

 

「さすが朽木先輩は大人気ですね。この後のイルミネーションもきっと大盛況です」

 

「お役に立てたようでなにより……ってことにしておくよ」

 

 おかげで俺はげっそりだけどな。

 

「俺、薬学部の二年なんです。朽木先輩の噂は女子の間でだけじゃなくて、俺たち男の間でもよくかわされますよ」

 

 俺より若いスタッフの男は、軽々と机を運びながら不意にそんな話をしだした。

 

 後輩だったのか。道理でさっきからやたらと『先輩』を連発すると思った。

 

「どんな噂なんだ?」

 

「一回もレポートを落としたことがなくて、評価は常にA。何をやってもそつがなくて、単位の心配なんか全然しない強者だって」

 

 強者? 単位やレポートを落とさないのは普通じゃないか?

 

 評価もAより上のSは一度か二度しか取ってないはずだ。それほど優秀な生徒になった覚えはない。

 

「普通は単位の心配とかするのか?」

 

「もちろんですよ! だって毎年進級できなくて脱落する奴がいっぱいいるんですよ!?」

 

 そうだったのか。まともな話し相手は拝島くらいしかいないから知らなかった。

 

 もしかして、高地みたいな生徒の方が多いのか? 俺は普通のつもりだったが目立っていたんだろうか。

 

 先行く後輩の後について控え室に入り、担いでいた長机を下ろす。部屋の中央に整列する同じタイプの机に連なるよう並べ、俺たちは一息ついた。

 

 どうやらここから借りていたらしい。

 

「俺、CROに行きたいんですよね」

 

 また突然の話題に生真面目そうな後輩を見やる。彼は机にもたれ、視線を足元に落としていた。

 

「CROか。いいんじゃないか?」

 

 俺の適当な相槌に後輩は恥ずかしそうに笑った。

 

 CROとは Contract Research Organization の略で、医薬品開発において製薬企業が行う臨床試験に関わる様々な業務を代行・支援する組織のことである。

 

 誕生してまだ間もない業種だが、年々安定した成長を見せており、将来性を期待されている。

 

 治験のプロを志す者にとってはまたとない職場だろう。

 

「でもどんどん競争率はあがってるし、ちょっと不安なんです。俺、成績のいいほうじゃないし」

 

 少し驚いた。もうそんなことを悩んでいるのか。

 

「先のことを心配しても仕方ないってわかってるけど、色々と不安で、だから朽木さんが羨ましくて」

 

「俺が?」

 

「はい。あんなに優秀な朽木さんなら、望んだところどこにでも行けるんだろうなーって。勝手にこんなこと思っててすみません」

 

 苦笑するしかなかった。

 

「買いかぶりすぎだよ。俺も……」

 

 望んだところどころか、最も望まないところに行かされようとしている。

 

 まだ彼の方が望みがあるんじゃないかと思えた。

 

「成績が全てじゃない」

 

 もっとも、望むものすらはっきりしない俺と彼とでは、同じ位置に立ってすらいないんだが。それを彼はわかっていない。

 

 俺は一度目を閉じ、それから調子のいいにせものサンタの姿を脳裏に思い浮かべながら言った。

 

「さっき、どこかのサンタが、『信じることが大切だ』、とか歯の浮くような台詞を言っていたけど、君には悪くない言葉かもしれないな」

 

 後輩は一瞬戸惑った表情で俺を見た。

 

「……信じることが大切?」

 

「きいてるこっちが恥ずかしくなるだろ? よくある台詞だし。でもそれを口に出すのは簡単なことじゃない。子供に夢を見せてやりたいって信念が言わせたんだろうな」

 

 でないとこんな台詞、恥ずかしくてとても言えないだろう。

 

 信念を持っている時のあいつは絶対に揺らがない。

 

「それをたまに口ずさんでみるといい。言ってる間は信じられるかもしれない」

 

 輝かしい自分の未来を。

 

 ……俺には絶対に言えない言葉だ。

 

「うん……うん、そうですよね! 俺、ナニ言ってんだろ。すみません、突然変なこと言って」

 

 謝りながらも、後輩はどこかすっきりとした顔で身を起こした。

 

 彼のことを羨ましく思っている俺の心など知る由もなく。

 

「庄司さんのところに戻りましょうか」

 

 筋違いなことだ。俺には彼を羨む資格はない。

 

「そうだな」

 

 落ちた肩をわずかに上げ、俺たちは控え室を後にした。

 

 

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