Act. 17-4
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ぼんやりとする頭を無理矢理起こし、壁の時計を見ると午後になっていた。
俺は遅めの昼食を終え、グリコの待つ大学へと向かった。
体はまだ休みたがっていたが、あまり仮眠をとると生活リズムが崩れてしまうのでちょうどいい眠気覚ましだと思うことにした。
本を読みながらソファで眠っていたので首の後ろが痛い。良いとは言えない体調を引きずって校門にたどり着いてみれば、敬虔なクリスチャンなら絶対しないだろうお祭り然とした恰好で呼び込みをする恐らく実行委員会のメンバーの熱気溢るる様子にげんなりとさせられる。
どこもかしこもグリコだらけか。
押しつけられるチラシを受け取り、門をくぐりながら目を通すと、イベントの受付会場は記念ホール前だということがわかった。
あそこにあるヒマラヤ杉は確か、毎年クリスマスツリーに飾り付けられるんだったなと思い出す。
グリコもそこにいるんだろうか。
来いとは言われたものの、このイベントはどう見ても子供向けで、参加したいとは思わない。俺はどうすればいいんだ。
とにかくあいつの姿を探そうと、受付会場に向かう。気がかりである体調を確認しさえすれば俺としては満足だ。
十中八九、元気満開だろうが。
受付会場は、例年になく見事に飾り付けられたクリスマスツリーの傍にあった。
実行委員会伝統の蛍光色ジャンパーを着た受付係が子供たちに何かを渡している。
それが真っ白な画用紙だとわかったのは、受付の向こうに設置されたテーブルに群がった子供たちが一心不乱に絵を描いている様子だったからだ。
なるほど。あそこでサンタクロースへのプレゼントを作るのか。
イベントはなかなか盛況だと言えた。用意されたテーブルにはぎっしりと子供たちが詰まっている。
辺りを見渡せば、サンタ服を着た子供がツリーの下で写真を撮られていたり(恐らく有料)、クッキーやマスコット、トナカイのぬいぐるみが売られていたりと、イベント以外の盛り上げも豊富だ。
あれで収支を合わせているのだろう。商売根性もたくましい。さすがあの学祭を手がけた実行委員会なだけはある。
しかし――受付会場周辺をひととおりまわった俺は途方に暮れた。
グリコはどこにいるんだ?
ここにいるスタッフの顔は全員確認したが、グリコはいなかった。別の場所で働いているんだろか。
どうしたものかとうろついていると、目の前を二人のスタッフが通りがかった。
思わず声をかけてしまったのは、そのうちの一人が赤い派手な眼鏡をかけていたからだ。
この眼鏡には見覚えがある。以前、グリコと一緒に歩いていた男だ。
「きみ、ちょっといいかな? 忙しいところ悪いけど教えてほしい」
「は? ……おわっ! ひょ、氷壁のプリンス! ……じゃない、えっと、朽木冬也さま、よくぞお越しくださいました! このあいだはごちそうさまです!」
なんのことだ?
いきなりお辞儀する男に目を白黒させていると、もう一人の男がその眼鏡男の後頭部を叩いた。
「いきなりナニ言ってんだっ。逆に失礼だろ!」
「いや一度お礼を言っておきたかったんだよ。この人のおかげで今回も好き勝手できた」
「そういう事情はあえて言う必要ないんだよ」
どういう事情かはよくわからないが、こちらとしても聞きたいとは思わない。声をかける相手を間違えただろうか。
だが眼鏡男を諫めるもう一人の男はなかなか好みのルックスで、俺はその男と話すことにして向き直った。
「クリスマスイベントを手伝っている他校の女子がいるだろう? その子が今どこで働いているか教えて欲しいんだ。名前は桑名栗子。呼ばれて来たのに姿が見えなくて困っていたところなんだ」
「ああ、お菊ちゃんってそんな名前だったっけ」
お菊ちゃん?
「彼女は今、サンタクロースの家でサンタをやってますよ」
サンタ? やってる?
あいつ、サンタクロースの役だったのか。ところでなんで『お菊ちゃん』なんだ?
「イベントの邪魔にならないタイミングなら、好きに声をかけていいですよ。待ち時間がけっこうあるはずですから」
「勝手に入ってもいいのか?」
「はい。お菊ちゃんもいい息抜きになるだろうし、あ、そうだ。この缶コーヒー持っていってあげてください」
俺は渡された温かい缶コーヒーにじっと見入った。
あいつ――なんだかんだで結構大事にされてるな。これだけ気遣ってもらえてるのなら、俺が心配する必要もないんじゃないだろうか。
「じゃ、お願いしますね」
笑顔を残して去っていく男たちに曖昧な頷きを返し、俺は気乗りしない足を動かした。
数分後、驚きに目を瞠ることとなった。
サンタの家はグラウンドにあった。昨日さんざん見させられた地図にマークがあったからそうだろうとは思っていたが、それは目印か何かだろうと予想していたのだ。
まさか本当に家が建っていたとは。
ほったて小屋じゃない。ログハウス風の、小さいけれどテラスのあるちゃんとした山小屋だ。冬休み前には何もなかったグラウンドの隅の大木の隣にできていた。
昨日一日で建てたのか? どんなプロだ。
呆然と立ち尽くしていると、横を子供たちが駆け抜けた。
「あれだよー、サンタさんのおうち!」
「すっごーい! ホントにサンタさん、ここに住んでるんだー」
「なんだよ、思ったよりちっちぇーじゃん」
「きっと別荘なんだよ、別荘」
夢があるのかないのかよくわからない子供たちの後をなんとはなしについていく。
俺も小学生の頃はあれくらい小生意気なガキだったに違いない。だが口が悪くともやはり子供は子供で、サンタの家に着く頃には期待に目を輝かせている。
面白い企画だ。サンタの家を訪ねてプレゼント交換、そして宝探し。
俺も子供ならわくわくしていたかもしれない。微かな記憶だが、サンタの家はどこにあるんだろうと、絵本を見ながら空想にふけっていたこともあった気がする。
あの頃の無邪気な自分はもう欠片も残っていないな、と苦笑していると、子供たちが歌を歌いだした。
その歌が終わると同時に扉が開かれる。グリコだ。どきりとした。
「これはこれは、よく来てくれたね、君たち。なんとも可愛らしい小さなお客さんだ」
おや? グリコじゃないのか? 出てきたのはどう見てもグリコとは違う恰幅のいい老人――サンタクロースそのもので、一瞬戸惑った。
グリコがサンタをやってるんじゃなかったのか?
サンタ役は二人いるんだろうかと首を捻る。が、次の瞬間、驚愕の事実に気がついた。
サンタクロースがテラスの下にいる俺を見て一瞬手を振り、にっこりと手招きをしたのだ。
な――まさか。グリコなのか!? あれが!?
「そこの君もどうぞ中にお入り。外は寒いだろう」
言われて迷ったが、意を決してサンタクロースの招きに応じる。子供の中に一人で混じるのはなかなか勇気のいる行為だった。
「サンタさん、プレゼント持ってきたよ!」
「こりゃなかなかよく描けとるわい」
部屋の隅で肩身の狭い思いに耐えながら、目の前で繰り広げられるやり取りをじっと観察する。
本当によく化けたものだ。
どこから見ても恰幅のいい温和な老人にしか見えない。
相当凝った特殊メイクをしているのだろう。このサンタの家も外観・内装ともによくできているし、素人の技としては賞賛に値する。
「またねー、サンタさん!」
「ああ。宝探しを楽しんでおいで」
「今夜、プレゼントを配りにまわんの?」
「もちろん。君たちのうちにもこっそりお邪魔するかもしれんから、夜はしっかり寝ておくれ」
「うっそだー。どうせこねーだろ?」
「信じていれば夢の中で会えるとも。信じることが大切じゃ」
俺はそわそわする子供たちが、程度の差こそあれ、みな笑顔を浮かべながら去っていくのをなんともいえない気持ちで見送った。
偽りだとわかっていても信じようとする。信じたいと思う。どんな子供でも持っている純粋さ。
俺にはないものだ。
「朽木さん!」
扉が完全に閉まるのを待ってから弾む女の声が響いた。どこから聞こえてくるのか思わず辺りを見回したくなる。
どれだけ見回しても、この部屋には俺とサンタしかいないことは明白なのに、だ。わかっていても信じられない事実というのはある。
「ちゃんと見にきてくれたんだー。どう? この家。よくできてるっしょー」
白い髭の老人がグリコの声で喋るのを俺は複雑な面持ちで見つめた。
シルバーニューハーフとでも喋っているような奇妙な気分だ。
「本当にグリコなのか?」
「証拠に朽木さんのスリーサイズを叫んでみてもいいけど?」
「グリコだな」
間違いなくグリコだ。
「えへへー。けっこうソレっぽいでしょ? 身長がないからちょっと小柄だけどさ」
「声もかえられるんだな」
「うん。サンタの声、練習したからねー。けっこう上手いでしょ。うふ☆」
「その恰好でしなを作るな。気持ち悪い」
「フケ専ごころが刺激されない?」
「誰がフケ専だ!」
「朽木さ……あででっ、メイク崩れるから顔はやめて~」
俺はつまんだ鼻から手を放し、ふと素肌が露出しているグリコの首筋に手を当てた。
「……まだ熱いな。大丈夫なのか?」
「ぜーんぜん! 楽しいことやってる間は意地でも倒れないね!」
「調子だけはいいな、まったく」
俺は上着のポケットから頼まれていた缶コーヒーを取り出し、グリコに渡した。
「お前の仲間からの差し入れだ。正直、缶コーヒーはどうかと思うけどな。水分は多めにとっとけよ」
「わっ! ちょうど喉かわいてたんだ! らっきー♪」
「何かあったら連絡してこい。じゃあ俺は帰るからな」
「えっ!? 帰っちゃうの!? ちょっと待って!」
踵を返そうとしたら袖を掴まれた。仕方なく足を止める。
「なんだ? 義理は充分果たしただろ?」
「あのさ、あのさ、今夜ライトアップされるツリーきれいなんだよ。ちょっとだけでも見てかない?」
「ツリー? 夜まで待てってのか?」
「うん。暇ならイベントの手伝いしてくれてていいから」
「さりげなく仕事を押し付けるな! どんだけ俺を働かせれば気がすむんだお前は!」
「見返りはちゃんとあげるからさー。お願い! 今日だけサービス二割増しで!」
なにが二割増しだ。既に五割増しはしている。どこまでも面の皮の厚い奴だ。
「見返りはいいから少し一人にさせてくれ」
「今夜はイヴなのに? イヴに一人がいいなんて淋しいこと言わないでさ、一緒にメリクリしよ?」
「お前はメリクリどころじゃないだろ。とっとと帰って寝ろ」
「メリクリするまでは死んでも死にきれん!」
「なら今すぐ死ね!」
アホの脳天に苛立ちのげんこつを振り下ろすと共に、ふと考える。
こいつと一緒のイヴも悪くないかもしれない。少なくとも退屈はしないだろう。
それに、やはり家に送り届けるところまでしないと後味が悪い。こいつが勝手にやったこととはいえ、俺のために無茶して風邪をひいたのは事実なのだ。
「……ツリーの点灯は何時だ?」
「6時くらいかな。ホールのコンサート終了に合わせるんだよ」
現在の時刻は3時半過ぎ。まだ二時間以上も拘束されるのか。
俺は深くため息を吐き出した。だがこいつの傍にいられる二時間は、きっとそう長くは感じない。
「少しだけだぞ」
ずれた帽子を直してやりながら、渋々と承諾した。