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Act. 16-12

<<<<  栗子side  >>>>

 

 

 思ったより準備に時間がかかってしまった。朽木さんはもうマンションに着いただろうか。

 

 夕方にもなってないはずなのに、どんよりと暗い道を自転車で走り抜ける。

 

 跳ね上がった水がシューズに染みこんで、まるで濡れたスポンジに足を突っ込んでるような気持ちの悪さ。重みは増す一方だ。

 

 賀茂石さんは傘も貸すと言ったけど、あたしはそれを断った。傘を持ちながらだと自転車の速度が落ちてしまうからだ。

 

 代わりに借りた雨合羽とリュック。特に断固濡らしてはいけない紙の束が入ったリュックは厳重にビニール袋で覆い、しっかりと背中にしょってある。

 

 大きめの雨合羽をその上から羽織り、あたしは心配するみんなに別れを告げて、大学の門を飛び出した。

 

 朽木さんのマンションまでは、自転車なら10分もかからない。少し濡れるくらいですむだろう――

 

 と思ってたけど、ズボンの裾と靴が濡れることは計算に入れてなかったな。ま、このくらい平気だけど。

 

 速攻で着いたマンションの駐輪場に自転車を突っ込み、エントランスに向かう。シューズがたぷたぷとイヤな音をたてる。

 

 エントランスの自動扉が見えてきた時、目の前を誰かが横切った。キレイな女の人だ。

 

 ちょうどあたしの進路をふさぐ形でその人はマンションに入っていく。

 

 肩にかけた大きめの黒いボストンバッグが邪魔で横をすり抜けにくいのだ。もどかしく思いながら、あたしはその人の後ろについて扉をくぐった。

 

 と、不審な気配を感じたのか、不意に振り返ったその人は背後のあたしを見て「わっ!」と声をはりあげた。

 

「ナニ!? 通り魔!? チカン!? って女の子かびっくりしたぁ~」

 

「びっくりしたのはこっちですよ。あたし、そんなに怪しい恰好してます?」

 

「してるしてる。あんた、一度鏡で自分の姿見たほうがいいよ。怖いのなんの。その黒い雨合羽はナニ? お父さんの?」

 

 くだけた口調のその女の人は、あたしの恰好を上から下までまじまじと見つめ、遠慮のない感想をぶつけてきた。

 

 お父さんのかどうかはわからないけど、年代物であることはあたしも感じていた雨合羽だ。実行委員会の所持品らしいんだけど、やっぱり庄司さんが薦めるだけあって怪しさバツグンだったらしい。

 

 借り物だと説明すると、女の人は「その恰好で人の後ろに立ったら警察に通報されるよ」とごもっともだけど大きなお世話な忠告をくれた。それからあたしの顔をずいっと覗き込んでくる。

 

「恰好も恰好だけどさ。その表情もよくないよ。なんかやたら思いつめた顔して。人を刺してもおかしくないってカンジ。それともホントに犯罪者?」

 

「まぁ犯罪まがいのことはよくしてますけど」

 

 反射的に答えて「あちゃっ」と思う。正直にバラしてどうするよ。本当に通報されるじゃん!

 

 だけどこの女の人は、こちらの警戒心を溶かしてしまうあっけらかんとした顔でけらけら笑うのだ。

 

 真昼のようなお嬢様ヘアーで落ち着いた容姿の美人なのに、表情がくるくる変わる。なんか不思議な感じの人だ、と思っていると、いたずらっこのような目がきらきらとあたしを見た。

 

「あんた面白いね。なに? 男関係でいざこざでもあった? 浮気でもされた?」

 

「まぁ男関係っちゃ男関係ですけど。色恋沙汰じゃないですよ。刃傷沙汰になる可能性は否定できませんけど」

 

「うわっ、敵討ち!?」

 

「いや、プレイの一環として」

 

 ナニ言ってんだあたし。ついいつもの調子でおちゃらけてしまった。なんか話しやすい雰囲気持ってんだ、このおねーさん。

 

 おかげで肩の力が抜けて、あたしはいつもの楽しい気分が戻ってくるのを感じた。と、

 

「あはは、あんたもしかして同業者? ってそんなワケないか。女王様ってカンジじゃないもんね、あんた」

 

 おねーさんは非常に気になるセリフを言って、肩にかけたボストンバッグのチャックを開けた。

 

 思わずつられて中を見ると、天井の照明を受け、てらてらと黒光りする怪しい服――言わずもがなの革製ボンテージが盛り上がった胸の部分を主張する。

 

 その横には見るだけでお腹いっぱいなカンジのしなやかな黒い鞭、さらにはロープまでもが顔を覗かせ、あたしはごくりと喉を鳴らした。

 

 この鞭、ソフト鞭ってやつ? ちょっと貸して欲しい。朽木さんをこれで――いやいやあたしが叩いてどうする。あたしは撮影側にまわらなきゃ。

 

 ってそうじゃなくて、このおねーさん、もしかして、もしかしなくてもご職業はいわゆる一般でいうところの。

 

「女王様……ですか?」

 

「それって職業名でも何でもないし。SM嬢って呼んでよ。あたしの場合は出張SM嬢」

 

「出張……SM嬢……」

 

 なんてステキな響き。

 

「今後の参考に色々体験談をきかせていただきたいところなんですけど、残念ながら今は時間がありません。もしよければ連絡先を教えていただけると嬉しいです」

 

 あたしはおねーさんの手をぎゅっと両手で握り、興奮に熱い息を鼻から吐き出しながら言った。

 

 参考に、というのはもちろんBLマンガのSMプレイシーンを描く時の話だ。実体験を取り入れられれば、より生々しくてエロいシーンが描ける。

 

「あははは! あんた全然ひかないのね。いいよ。いつでもおいで。男のいい啼かせ方とか教えてあげる」

 

 おねーさんはまたもやけらけらと陽気な笑い声をあげ、エレベーターのもとへ歩いていった。上行きボタンを押しながら、

 

「あたしはここの806号室に住んでるから」

 

 と教えてくれる。お仕事で来たところかと思ったけど、ここの住人でしたか。てゆーか806号室っていったら、朽木さんの上の部屋じゃん。

 

 上の階から下の部屋の様子を探るってできるかなぁ、などとまたまた新しい盗聴手口を考えながら、開いた扉の中に入る。

 

 エレベーターの中でもきわどいエロ談義に花を咲かせ、ムチを貸してくれると言われたけど武器は持ってきてるとお断りし(ちょっと使ってみたかったけど)、目的の七階に着いたところで、名残惜しいけど、あたしはおねーさんと手を振って別れた。

 

 残念だ。朽木さんのとこに行く途中でなければもっといっぱい話したのに。

 

 最後にもらった「女は勢いだよ。頑張りな。彼氏をヒィヒィ言わせてやれ」という言葉を胸に、手強い鉄面皮の部屋の扉の前に立つ。

 

 ま、彼氏じゃないけどさ。

 

 

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