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Act. 16-10

<<<<  栗子side  >>>>

 

 

 簡単に許しちゃいけないこともある、世の中には。

 

 強姦なんてその最たるもので、そこを突かれれば、確かに何も言えなかった。

 

 でも今のはずるい。あたしが答えられないのを見越して、口封じに使った。あたしに許させないように。

 

 知能犯。やっぱり朽木さんは一筋縄じゃいかない。

 

 ひっかかってどうするバカ。一般論なんてあたしには必要ないだろ。

 

 許していいのかどうかなんて問題じゃないんだ。事態をスッキリさせたいだけなんだから。

 

 ぴしゃり、と両頬を叩いて振り返る。返答に迷ってる隙をついて、朽木さんは行ってしまった。

 

 根性注入オッケー! もう迷わない。あんな卑怯な手に負けてたまるもんか!

 

 あたしは朽木さんを追いかけ、後ろからその腕にがっぷり食いついた。

 

「そういえばさ、最近拝島さんとあちこち行ってんでしょ? やるじゃん! そろそろ告白もできるんじゃん!?」

 

 気をひきつける話題を必死に考えながら喋りまくる。くそうっ。薬の本でも読んどきゃよかった!

 

「今、面白い映画やってんだよ! ハリウッドもいいけど、邦画もなかなかのもんだよね! 拝島さんと一緒に見に行くといいよ! えっとね、確か」

 

「放せ」

 

 勢いよく腕が振られる。だけどなんとか持ちこたえた。振りほどかれてたまるもんか。

 

「あたしの心はコスモなみに広いから! 謝ってくれたら一緒にデートコースを考えたげるよ! まずは復唱! ハイ、ご・め・ん」

 

「拝島のことはもう諦めた」

 

「な・さ……え?」

 

 諦めた? 拝島さんを?

 

 ウソ。あんなに大事にしてたくせに。

 

「なに言ってんの。お父さんがしつこいからって拝島さんを諦める必要ないじゃん」

 

 驚きのあまり食いつく手が緩んだ。朽木さんが拝島さんを諦める。その意味は。

 

「神薙家に入れば、そうそう火遊びもできない。花嫁候補も山ほどいるしな」

 

 予想通りの言葉を発する朽木さん。愕然とした。神薙家に入る――

 

「なにそれ! なんでそこまで弱気になってんの!? 一生逃げ続けるんじゃなかったの!?」

 

「逃げても無駄だということはよくわかっている」

 

「無駄ってなに!? 簡単に言うな!」

 

 ムカッとした。あんまりあっさり言うもんだから。

 

 なんで顔色ひとつ変えずに言うんだバカ! もっと悔しそうな顔しろよ!

 

「そういうわけでお前が喜ぶネタはもう提供してやれないんだ。残念だったな」

 

「そういう問題じゃないよ! それで朽木さんは納得いくの!? 簡単に拝島さんを諦められんの!?」

 

「納得いこうといくまいとそうするしかないんだ。仕方ないだろ」

 

 

 

「仕方なくねぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 

 思わずひっぱたいた。朽木さんの頬を。

 

 だが朽木さんは平然とした顔でそれを受け止めたのだ。それから無言であたしを押しのける。

 

「朽木さん!」

 

「もう俺に関わるな。俺はお前が追いかけるほどの値打ちもない」

 

 行かせまいと腕を引っ張ってみれど、朽木さんはあたしごと引きずって歩く。値打ちってそんな。

 

「他にもいい男は沢山いるだろ。……拝島とかな」

 

「そんなの、朽木さんが決めることじゃないよ! あたしが誰を追いかけるかはあたしが決める!」

 

 駄目だ。はぐらかされてる。そんな話がしたいんじゃない。

 

 大体、拝島さんってなにさ? あんだけあたしに近づくなって言っておいて! もうどうでもいいってか!?

 

「いじけんのもいい加減にしなよ! いつもの腹黒さはどこに行っちゃったの!? 朽木さんがその気になりゃなんでもできるじゃん!」

 

 ぐいぐい引っ張りながら叫ぶ。それでもびくともしない体に業を煮やして、広い背中に飛びついた。

 

「止まれバカっ!」

 

「っ!」

 

 後ろから首に腕を巻きつけてしがみつく。無理矢理ぶら下がれば、さすがの朽木さんも重みに耐え切れないわけで。

 

 ようやく歩みが止まったかと思えば、だけど次の瞬間、あたしは背負い投げで投げ飛ばされていた。

 

 コンクリートの地面に背中から勢いよく叩きつけられ、痛みと衝撃で一瞬呼吸が止まる。

 

「ったぁーっ!」

 

 こ、これはさすがに効いた……。体が痺れてすぐには動けない。

 

「しつこいお前が悪い」

 

 それでもなんとか起き上がろうとするあたしの横を、非情な男が通り過ぎて行く。

 

 地面に手をつき、気合で上体を起こした後、あたしは一度呼吸を整えた。それから声を絞り出す。

 

 

 

「そうだよ、しつこいんだよ」

 

 

 

 肩が痛い。背中が痛い。全身が痛い。

 

 だけど、休んでなんかいられない。

 

 ふらふらと立ち上がるあたしの頬に、冷たいものが当たる。とうとう降り出した雨がポツリポツリと地面を濡らし始めていた。

 

 空から落とされる無数の細い線が、あたしと朽木さんとの間に薄い幕を下ろしたようで。

 

 広い背中を一層遠くに感じ、それがますますあたしを焦らせる。

 

 このまま行かせたらもう二度と会えなくなる。そんな気がした。

 

「あたしがしつこいってのはわかりきったことじゃん。追い払いたいんなら本気できなよ」

 

「そこまでする気もない」

 

「ずっとつきまとってやる。不幸の手紙も山ほど書いてやる」

 

「勝手にしろ」

 

「あたしだって怒ってるんだからね。一人で悲劇の主人公気取ってんじゃないよ」

 

「…………」

 

 振り向きもしない背中に延々と恨み言をぶつけながら進める足は果てしなく重い。

 

 やだよ。朽木さんが行っちゃう。焦りは徐々に声を大きくした。

 

「なんで言い返さないのさ! あたしとぶつかり合うのが怖いの!? また暴走するのが怖いの!? だからお父さんから逃げるみたいに、あたしからも逃げるってわけ!?」

 

「……そうだ。お前の言うとおりだ」

 

 小さく呟かれた言葉はあたしの頭の奥を貫いた。

 

 朽木さんが。あのプライドの高い朽木さんが、あたしから逃げてるって認めた。

 

「なんで……どうしてそんなこと言うの。そんなの、らしくないじゃん! いつもみたいに『うるさい!』って怒鳴ればいいじゃん!」

 

「お前の言うことは当たっている。俺は負け犬だ」

 

 

「自分で自分を負け犬って言うなっ!!」

 

 

 カッとなって大声で叫んだ。

 

「八つ当たりしたっていいじゃんっ! あたしと殴りあったっていいじゃんっ! スッキリするまで暴れればいいじゃんっ!」

 

 泣きそうになるのをこらえてあたしは叫び続けた。

 

 だって、こんな朽木さん、朽木さんじゃない。全然朽木さんらしくない。

 

「あたしは平気だよっ! 負けないからっ! 全力でやりかえすからっ! 朽木さんなんて怖くないんだからっ! だから……だからもっと叫びなよっ! 悔しいんだって、誰にも負けたくないんだって叫びなよっ! お前に何がわかるってあたしを怒鳴りなよっ!」

 

 離れたくなかったのに。追いかけていたかったのに。

 

「もう疲れたんだ、逃げるのも、抵抗するのも。お前にいちいち反発するのもな」

 

 ダメなんだ。もう、あの朽木さんは戻ってこないんだ。

 

 あたしが追いかけたかった朽木さんは消えてしまった――あたしは呆然と足を止めた。

 

「そんな無気力な朽木さん、許さない。あたしから逃げるなんて許さない」

 

 喉の奥からすべての力を振り絞り、これが最後とばかりに絶叫した。

 

 

 

「もっと悔しがればかやろぉぉぉ――――――――っっ!!」

 

 

 

 朽木さんの足は止まった。けど。

 

 

 

「じゃあな、グリコ」

 

 

 

 その一言を最後に、朽木さんは行ってしまった。

 

 雨の幕が下りる。もう――ダメだ――――

 

 

 あたしの声は、二度と朽木さんに届くことはない。

 

 届かないんだ。どんだけ叫んでも無駄なんだ。にじむ涙を拭い、あたしも朽木さんに背を向けた。

 

 あんな意地っ張り男、もう知らんっ。勝手に神薙グループの跡継ぎにでも何にでもなればいいじゃんっ。

 

 荒々しく足を踏み鳴らしながらみんなのところへと戻る。雨が冷たい。視界がぼやけたからか、少しふらつく。

 

 忘れていた痛みが再び襲ってきて、がくっと膝が折れ、地面に手をついた。

 

 その恰好のまま息をつき、少し体を休める間も、それからゆっくりと身を起こす間も、頭を占めるのは朽木さんへの悪態ばかり。

 

 なんだよもう。朽木さんみたいなヘタレ、論外だ論外。もっといいイケメンを探してやる。

 

 だいたい朽木さんなんて全然タイプと違うじゃん。あんな人だとは思わなかった。

 

 あたしの理想の攻め男はもっと冷酷な俺様で、逆らう人間は容赦しない鬼畜で。

 

 間違っても自分は負け犬だなんて言い切ったりしない自信満々な人で。

 

 まるで漫画から抜け出したようなカンペキ超人で――――

 

 

 

『なにすんだ、この腐女子がっ!』

 

 

 

 そんな理想の人だったら――

 

 

 ……そしたら、あんな風にかまってくれなかったかも。

 

 

 あたしはふと自分のつま先を見た。この足が裸足で走ったあの日、朽木さんも隣で走ってた。

 

 血の通ってる人間だから。打てば響く心を持ってる人間だから。

 

 だから怒りもするし、落ち込みもする。時にはいじけて殻に閉じこもったりもする。

 

 自分をぶつけて楽しいのは、張りあって楽しいのは、朽木さんが朽木さんという人間だからこそで。

 

 理想どおりの人とは違うからで――そうだ。カンペキな人なんてつまらない。

 

 朽木さんといるのは楽しかった。あたし、楽しかったんだ。

 

 見てるだけでいいなんてウソだ。朽木さんと喋って笑って、たまにはケンカして。

 

 怒ったり、怒られたり、気のすむまで暴れたり、全力でぶつかり合いたかった。

 

 もとの元気な朽木さんに戻って欲しかったんだ、あたしは。あたしを容赦なく叱ってくれる朽木さんに。対等に向き合ってくれる朽木さんに。

 

 他の誰でもない。朽木さんだから追っかけていたかった。でも。でも朽木さんはもう――――

 

 

 

『それで引き下がっちゃうわけ?』

 

 

 

 真昼。ハッとあたしは顔をあげた。

 

 

『頑張んなよ。追っかけていたいんでしょ?』

 

 

 うん。追っかけていたい。だって朽木さんは、どんなになっても朽木さんだもん。

 

 今は少し落ち込んでるだけで、朽木さんの負けず嫌いな根本は何も変わっちゃいないはず。

 

 拒絶されたからって簡単に諦めんのか? 諦めるようなあたしだったか?

 

 ノー! どんなに突き放されたって、追いすがって振り向かせる。それがあたしじゃん!

 

 あたしは自分のやりたいこと、絶対に諦めたりなんかしない。なにがなんでも、絶対に。

 

 朽木さんだって、本当は諦めたくなんかないはずなんだ。

 

 そう――諦めたくないはず。

 

 あたしはぐっと唇をかみしめ、涙を袖で拭った。それから勢いよく駆け出した。

 

 

 

 もう一度、朽木さんを追いかける。

 

 

 

 追いかけて、そんでもって、あのいじけ野郎の殻を叩き割ってやるんだ!

 

 みてろよあんちくしょー! 握った拳に力をこめる。気合を足に送りこむ。

 

 やがて見えてくるツリーの下へ、あたしは全力で駆け込んだ。

 

 

 

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