Act. 16-9
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花火に行ったあの夜、拝島から受けた宣告はずっと胸の奥でくすぶり続けていた。
夜は例の悪夢にうなされ、もはや心休まる時はない。拝島は弁解する余地すら与えてくれなかった。
『栗子ちゃんに謝るまで、朽木とは話さない』
どんな言葉も受け付けないといった表情で、拝島は冬休みに入る直前まで俺が近寄るのを拒絶した。
こんな状態で拝島と別れることになるのか? 俺は暗澹たる気持ちでここ数日を過ごした。
グリコがクリスマス・イベントの実行委員会に入っているという情報を教えてくれたのは高地だった。
聞いた時はさすがに驚いたが、あいつの行動力を考えればそれもさして不思議な話じゃない。何にでも首を突っ込むあいつの図々しさには呆れるばかりだが。
今日、実行委員会がイベント準備の最終日として忙しく立ち働いているだろうことは、容易に察しがついた。
グリコも来てるのか――なんとなく気になっているうちに、いつのまにか足は大学に向かっていた。
あいつに会って、それからどうする。目的が定まらないまま、ふらりとやってきたクリスマスツリーの下で仲間達に囲まれるグリコを見た時。
声をかけたいという気持ちと、このまま立ち去りたいという相反する気持ちが同時に生まれ、俺は戸惑った。
楽しそうに生き生きと働くグリコ――なんだ。元気そうだ。俺に無視されてまいっているという話はどうやら嘘だったらしい。
考えてみれば、あいつがそんな繊細な心を持っているはずがない。
騙されてのこのこやってきた自分が馬鹿みたいだ――――俺は踵を返そうとした。だがどうしてもその場を去れなかった。
グリコに訊きたい。答えを知りたい。
拝島に告白されたのか。付き合うことにしたのか。
もう俺を追いかけるのはやめるのか――――
馬鹿な。言えるわけがない。
自分から突き放しておいて。離れていくのを残念がっているみたいな、こんな言葉。
何を考えているんだ、俺は。
混乱して動けなくなった俺の目の前で、グリコは何をしようというつもりか、はしごをするすると登っていく。
どうやら電球交換をしているらしい。
男はあんなに大勢いるというのに、頼ろうとは全く思わないのだろうグリコに苦笑させられる。
男だからとか。女だからとか。あいつにとってはちっぽけな問題なのだろう。
俺が神薙の隠し子だということすらも、あいつにとっては大した問題じゃないのかもしれない。
もしあいつが俺の立場だったら――――あいつはどうしただろう。
俺のように逃げまわっただろうか。それとも――――
突然、思考は中断された。
猛スピードではしごを降りたグリコがこちらに走り寄ってきたからだ。俺は慌てて体を反転させた。
「朽木さんっ!」
背後からグリコの気配が迫ってくる。はっきりと俺を呼ぶ声が。
来るな。俺はまだ覚悟ができていない。俺の心に揺さぶりをかけるな。
「朽木さんってば!」
こいつと今話すわけにはいかない。ひたすら顔を背け、足を動かす。しかし。
「あくまで無視する気かこのぉぉぉぉぉぉぉっ!」
突風が横をすり抜けた。と思ったら、両手を広げたグリコが俺の前に立ち塞がっていた。
あの燃えるような瞳で真っ直ぐに俺を睨みつけている。
「何か言いたいことがあるんでしょ?」
「…………」
「朽木さんっ!」
押しのけてしまえばいいのかもしれない。
だが久しぶりにこいつを間近に見ると、決意はどこに行ったのか、何か話がしたいという衝動に俺は固まってしまった。馬鹿な。
何を話せることがある。縁を切るって決めたのに。
「返事しないとどかないよ!」
「……言いたいことなんかない」
欲求を抑え、辛うじて突き放す言葉を口にする。
聞きたかった拝島とのことはなんとか喉の奥に押し込めた。妙なことまで口走ってしまいそうな話など、するわけにはいかない。
グリコは俺が喋ったことに驚いたのか、一瞬目を瞠り、それからニッと笑った。
「ウソ。あるはずだよ」
また根拠のない自信に満ち溢れている。
「だってずっとあたしを見てたじゃん。声かけたそーにしてたじゃん」
くそっ、見られていたか。内心動揺したが、顔にはださなかった。
気づかれるような迂闊な真似をした自分を呪いたくなる。こいつの嗅覚の鋭さは身に沁みてわかっていたはずなのに。
「気のせいだ」
「いーや気のせいじゃないね! あたしに言いたいことがあるんでしょ?」
「おまえを見てたわけじゃない」
「違うね。そんなウソついてもムダだよ」
「しつこいな。なんで嘘をつく必要があるんだ?」
「意地っ張りな朽木さんには言いづらいからだよ。だからあたしからチャンスをあげてんじゃん」
チャンスだと?
「意味がわからんな」
「あたしに謝りたいんでしょ?」
その瞬間、ぎくりとした。謝りたい――直視を避けていた、突き上げる衝動の正体。
思わず目を逸らす。しかし、抑えていた気持ちが溢れだそうとするのをどうしようもなかった。
ここで謝れば、また以前の関係に戻れる。遠慮なく自分をぶつけられた以前の関係に。
――そうだ。俺はこいつとの関係が嫌いではなかった。奇妙な居心地の良さを感じていた。
それは、どれほどなじっても、殴っても、こいつがまったく変わらずつきまとってくるからで――。
実際、俺が一言謝りさえすれば、全ては元に戻るのだろう。
それは、振り払いがたいほどに強烈な誘惑だった。
だが、できない。こいつとは離れると一度決めた。それを突き通さなければ、別の決心まで揺らいでしまうかもしれなかった。
「ごめんなさいあんなことして、俺が悪かった、そう言いたければ素直に言っていいんだよ?」
沈黙する俺に、何故だかグリコは嬉しそうなにやにや顔で言う。どういう挑発だ。いらっとする。
大体、どうしてこいつはここまで俺を振り回すんだ。ただの被写体のひとりなど、放っておけばいいだろうに。
「話にならんな」
俺は横をすり抜けようとした。だが慌てたグリコがさっと行く手を遮り、両手で俺の胸を押し留める。
「あたし、これでも心は広い方だから! 謝れば許してあげなくもないんだよ? ごめんなさいひとつで許してあげちゃおっかなキャンペーン実施中だよ?」
「誰が許して欲しいと言った。そんなことはどうでもいい」
「ウソだね。気にしてるって顔に書いてあるもん。悪かったってホントは思ってるくせに」
「思ったとしても謝る気はない」
「それでていよく厄介払いできるってか? 朽木さんが謝ろうと謝るまいと、あたしがつきまとうのに変わりはないんだよ?」
「勝手にすればいいだろ。俺には関係ない」
「気分の問題だよ、気分の! 謝っておいた方がスッキリするじゃん! あたしから逃げる必要だってなくなるし!」
こいつから逃げる――――くそっ。相変わらず痛いところを突く。
俺は一歩前に踏み込んだ。なんとかこいつを黙らせる方法を考えながら。
「それでお前は、俺が謝りさえすれば、強姦でもなんでも許せるのか?」
「っ!」
「先に謝っておけば、襲ってもかまわないと言うんだな?」
グリコの顎を指先でつまみ、上向かせる。獲物を値踏みする野獣の眼差しでじっと目を見つめる。
「俺が悪かった。反省したから今日は最後までやらせてくれ」
唇を近づける。一瞬、グリコの瞳に迷いが走るのを俺は見逃さなかった。
「……簡単に許すなどと口走らない方がいい」
手を放し、固まったグリコの横を今度こそすり抜けた。




