Act. 16-5
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混雑している喫茶店のカウンター席になんとか空きを見つけ、コーヒーを飲みながら待つこと数十分。
ようやく姿を現した拝島は、息せき切って店の中に飛び込んできた。
そこまで慌てなくても花火の開始時間まではまだ余裕があるのに。時間に律儀な拝島にとって、遅刻はよほど重大な失態らしい。
「ごめん朽木! 待った!?」
「いや……本を読んでいたから、時間を気にしてなかった」
汗をかいている拝島に着席をすすめ、俺はレジに行ってオレンジジュースを注文し、拝島に渡した。
すまなさそうに受け取ったジュースを飲む拝島を見ているだけで和やかな気分になれるのだ。遅刻を責めるなどできるはずもない。
「これの前に入ってた予定が思ったより時間かかっちゃって。俺から誘っておいてホントにごめん」
「いいさ。花火の時間には間に合ったんだ」
拝島のことだからバイトか何かだろう。せっかく汗水流して稼いだ金を俺のために使わせてるんだ。こちらが申し訳ないくらいだ。
それより、さっきからやたらとそわそわしていることの方が気になるんだが。俺をちらちらと横目に見る視線も。
「何かいいことでもあったのか?」
「えっ、なんで!?」
指摘するとと拝島の肩がびくんと跳ね上がった。わかりやすすぎだろう、その反応は。
「きかせて欲しいな。どんな楽しいことがあったんだ?」
「それはえっと……まだ言えないんだけど」
「遅刻のうえに隠し事はずるいだろ。きく権利があるんじゃないか、俺には?」
はにかみながら目を逸らす拝島が可愛くて、つい意地悪をしたくなってしまった。
案の定、顔を困らせた拝島がうつむいてストローの先をいじる。
「ごめん。ホントにまだ言えないんだ……でも、そのうち教えるから待っててくれるかな?」
「わかった、待つよ。拝島がそれだけ喜んでるなら、余程いいことなんだな。楽しみにしてる」
「うん、俺も朽木に教えるのが楽しみだよ! ……あ、そういえばさ」
「ん?」
「思い出せない記憶、あれから何か思い出せた?」
「いや、何も……思い出そうとはしてるんだけどな」
「そっか。まぁ、そのうちきっと思い出すよ」
にこっと屈託のない笑みを浮かべる。それほど気にかけてもらえている現実が嬉しくて、俺も微かに頬を緩めた。
時刻は7時すぎ。15分から始まる花火を歩きながら見ようということで、俺と拝島は公園の中に入った。
ここから見える海の上で花火は打ち上げられるのだ。さすがに人の波は息苦しいほどの混みようだった。
人ごみをかきわけながら進んでいるうちに花火の時間が始まった。夜空に咲く大輪の花は、人にぶつかる不快感さえも一瞬忘れさせてくれる。
拝島の歓声に気をよくし、はぐれるとまずいからという理由で握った手の温もりと、鮮やかな光景を十二分に楽しみながら人ごみを抜けた。
最も混雑しているのは海岸沿いで、公園の奥に行けば行くほど空いてくる。木の影で見えなくなるぎりぎりのラインあたりで、俺は足を止めた。
「きれいだね」
「ああ」
短い言葉を交わし、拝島と肩を並べて輝く夜空を見上げる。
次々と広がる色鮮やかな光の波紋。静かな湖面に水滴を落としたかのように。綺麗だ。
そして、隣には拝島。幸せだった。これ以上ないというほどに。
この幸せな思い出があれば生きていけるかもしれない。神薙のもとへ行っても。
俺は小さく手のひらを握った。
今日、わざわざ車で来たのは、この後、人けのない場所に拝島を誘うためだった。
想いが通じなくても、せめて気持ちを伝えておきたい――そう思ったゆえの計画なのだが、果たしてそれがいいことなのかどうか自信はない。
みじめな思いをするよりは、このまま拝島から引き離される日まで、幸せな気持ちに浸っている方がいいんじゃないか。
そんな気さえしてくる。
もし、俺がいなくなったら拝島はどうするだろう。嬉々としてグリコに告白するだろうか。
いや、恐らくそれはない。
拝島は俺に気兼ねして、グリコとの接触を避けるだろう。そういう奴だ。
グリコも、恐らく拝島の気持ちには応えない。あいつが男と付き合うことは一生ないような気さえする。
都合のいい解釈かもしれないが。
グリコは――――神薙家に監禁された俺を追いかけてくるだろうか。
来れるわけがないとは思うが、できればあいつの姿を神薙で見たくない。いや――見せたくない、といった方が正解かもしれない。
人形のように神薙に付き従う俺の姿を見れば、きっとあいつは――
『朽木さん』
突き刺すような目で――
『それでいいんだ?』
まさか。さすがのあいつも、そこまでお節介焼きじゃないだろう。
早々に俺を見限り、もっといいネタになる男を探しに行くに違いない。あいつはわりとそういうところはドライだ。
自分を襲ったうえ、謝りもせずに無視し続ける男など追いかけても何の得にもならない。
そう気づいてそのうち去っていくことだろう。見限るならさっさと見限ってほしいもんだ。
「朽木。今の何連発かな?」
拝島が興奮気味の声で俺に問いかける。どうやら連発が終わったらしい。
いつのまにか考えにふけっていた俺は、あまり覚えていないが適当に「五十くらいじゃないか?」と答えた。
「すごかったね。あれでラスじゃないんだ」
まだ空には続く花火が打ちあがっている。
「ああ。豪勢だな。シーズンじゃないのにな」
それだけ長くこの幸せな時間が続くということだ。俺にはそちらの方が嬉しい。
目を輝かせながら夜空を見上げる拝島の楽しげな顔をこっそり横目に映す。その時。
「あら、拝島さんと朽木さん」
背後から名を呼ばれた。女の声だ。
俺と拝島は揃って後ろを振り返った。
そこにいたのは、グリコのよくできた友人、艶やかな装いの池上真昼だった。