Act. 16-2
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「冬也が薬学を選んだ理由……」
お父さんはすぐに真剣な顔で考え込んだ。
記憶の海を漂っている人特有の遠くを見る目が泳ぐ。見ているのは少年時代の朽木さんだろうか。
「どうでしょうね。昔から冬也は薬というものに興味を持っていました。その延長で薬学部に入ったとは考えられますが」
それはその通りだろう。薬を自分で作るお父さんを見て育ったんだし、朽木さんは見るからにお父さん好きだ。
この質問はただのとっかかり。
「じゃあ、朽木先輩の夢を応援して、支えてくれた人に心当たりはありませんか?」
一番聞きたかったことはこれだ。
朽木さんの記憶から忘れ去られてしまった人。だけど心を捉えて放さない人。
その人はきっと昔、朽木さんの心を支えてくれた人なんだ。あたしはそう考えた。
「冬也の夢を応援……私たち以外にですか?」
「はい。誰かいるはずなんです。朽木先輩がとってもとっても大事にしている人が」
「ふむ……冬也が子供の頃は多くの大人たちに囲まれてましたから、その中の誰かかもしれないな。どなたも将来、自分の研究室に冬也を欲しいと……」
「いいえ、違います」
「違う?」
「子供の頃じゃありません。中学時代の朽木先輩を支えてくれた人です」
途端、お父さんの顔がハッとなる。
「中学時代の…………冬也のことを。君は」
「知りません。でも朽木先輩からききました。実のお父さんに連れていかれ、屋敷に閉じ込められたこと。三年間、必死に抵抗したこと」
「冬也がそのことを……」
「たまたまですけど。ききました。実のお父さん――神薙グループ現会長の養子にされたこと。跡取りとして、無理矢理教育されたこと。朽木先輩は必死に逃げて、だけど何度も捕まって、どんどん心がすさんでいき、荒れた中学時代を送った――そうですよね?」
あたしは遠慮なく切りこんでいった。ここまで言わないと、あたしのことを信用してもらえないからだ。
ぎゅっと肩に力を感じて振り向くと、ショックを受けた様子の拝島さんがあたしの肩を掴んでいた。
「栗子ちゃん……それ、本当?」
「はい、本当ですよ」
あたしはこくりと頷いた。
拝島さんにも誰にも言わない約束だったけど。もう、そんな約束守る義理もない。朽木さんには散々な目にあわされたのだ。
「朽木にそんな過去があったなんて……」
「それはどうでもいいんですよ」
悲しそうな顔をする拝島さんに、あたしは非情な声で言った。拝島さんの表情が凍りつくのも、朽木さんのご両親が驚きを受けるのも構わずに。
「過去は過去です。もう終わったことです。どんなに酷い目にあってようと、心が傷ついただろうと、現在の朽木さんはもう自由の身なんですから同情はいりません。今をしっかり生きてれば問題ないです」
「それは、そうだけど……」
「同情したって過去は変わらないんですから。朽木さんが同情してもらいたがってるのならともかく、そんなのは屈辱だって思いますよ、あの人は。そうでしょ? 拝島さん。しっかりしてください。朽木さんはそんなに弱い人じゃありません」
そう。朽木さんはそんなに弱い人じゃない。
だからあたしは朽木さんのストーカーをしてるのだ。
「なんのためにここに来たんですか。『しゃっきりせんかい!』ってあの人の横っ面はったおすためじゃないですか。あたしははったおしますよ。最近の朽木さん見てるとイライラするんですもん」
「栗子ちゃん……」
「そういうわけで、手がかりを探してるんです。中学時代、誰も信じられなくなった朽木先輩の心を救った人――朽木先輩は思い出せないみたいだけど、いるはずなんです。その人に関する情報が何か少しでも得られればと思って」
あたしは朽木さんのご両親に向き直って真剣な顔で訊いた。
わずかな間、沈黙が流れる。不意に、お父さんの顔が優しくやわらいだ。
「君は、冬也のことをよくわかってくれてるんですね」
「はい。なんたってストー……いえ後輩ですから!」
「いいでしょう。そこまでお知りなら、冬也の中学時代のこと、なんでもお話ししましょう」
やった! あたしは心の中でガッツポーズした。
お父さんの信頼を勝ち得たのだ。得意のハッタリを使って。
朽木さんの横っ面はったおすなんてできるわけないじゃん。後で倍返しされちゃうよガクブル。
デリケートな話題を遠慮なく話してもらうために、『朽木さんのことを思ってあえて厳しく言う後輩』を演じてみせただけなのだ。
我ながら恐ろしすぎる演技力。ふっ。
だけど調子に乗って高笑いでもしようかというあたしは、次のお父さんの言葉でガクッときた。
「……と言いたいところなんですけど、残念ながら、私たちが話せることはほとんどありません」
フェイントだったのかよ! しおしおしお。
「何故なら、私たちは冬也が中学の時、神薙氏に監視され、自由に身動きが取れなかったからです。冬也に手紙を出すことすら許されませんでした」
なんと。神薙会長、そこまでしてたのか。
思った以上の傲慢さ、卑劣さにあたしは眉をしかめた。
「ですから、私たちは冬也が中学時代、どう過ごしたのかを知りません。よくない噂は人づてにきいてはいたのですが……冬也の心がすさんでいるらしいと察することができただけです。その理由も私たちにはよくわかるので、当時、歯がゆくてたまりませんでした。何度神薙家に抗議しにいき、門前払いを食らわされたことか」
もちろん、ご両親がきたことなど、朽木さんは教えてもらえなかっただろう。
朽木家のご両親に見捨てられたと思った朽木さんの心はどんどん荒れていったのだ。
「ようやく神薙家から冬也が解放された時、私たちは喜びました。……しかし、戻ってきた冬也は心配していたとおり心が冷え切っていて……誰の言葉も受け入れなくなってしまっていました。そして私たちとは一言も喋ろうとしないまま、高校入学と同時に家を出て行ってしまったのです」
なるほど。高校時代は一人暮らしだったわけか。相当すねてたんだな~。
それじゃご両親に相談事とかするわけないよな。あたしはがっかりと肩を落とした。と。
「……だけど、たった一度だけ…………」
記憶をなぞるかのように首を傾けるお父さん。む?
「たった一度だけ?」
「はい。たった一度だけ、冬也から話しかけてきたことがありました。医療に関する話だったように思いますが…………そうだ。何かのテレビ番組を見ていた時だ」
テレビ番組? 思わず身を乗り出す。
「内容ははっきりとは覚えてませんが、突然冬也が何かを呟いて……そう。私が答えると、泣きそうな顔をしたことがあって……とても驚いたのを覚えています。感情がすっかり抜け落ち、人形のようになってしまっていたあの冬也が、初めて感情を露にしたんです。後にも先にも、あんな顔をする冬也は見たことがありませんでした」
あたしはごくりと喉を鳴らした。
その時した話、よっぽど朽木さんのトラウマに触れたに違いない。
「それで私は、『これでも読みなさい』と一冊の本を手渡しました。しかし冬也は、それを床に投げ捨て、部屋に閉じ篭もってしまったのです。何の本だったかはもう思い出せませんが……その本も、どこかにいってしまったので」
むむっ。残念。その本、何かの手がかりになったかもしれないのに。
内心舌打ちしたものの、だけどあたしは微かな手ごたえを感じていた。これはなかなか有力な情報のような気がする。来た甲斐があったというものだ。
お母さんお手製のクッキーをひとつつまんで考える。
ふむ。これからどう探っていくべきかな。
「もし……冬也の心を救ってくださった方がいるなら、私も会ってお礼を述べたいところなのですが……お役に立てず申し訳ない」
「いえいえ、充分です! とっても参考になりました!」
真剣に頭を下げてくるお父さんに、あたしは慌ててフォローを入れた。
「あんなに辛いことがあったのに、あの子が今、前向きに生きていけてるのはその人のおかげなのね……」
うげっ。お母さんまで。そんなに感動されても困るんですけど。まだあたしの推測の段階でしかないのに。
あたしは居心地の悪い思いにクッキーを頬張り、紅茶で流し込んだ。涙ぐむお母さんからは目を逸らして冷や汗だらだら。こういう雰囲気って苦手でござる。
「今日来てくださって本当にありがとう、栗子さん、拝島さん。あの子のこと心配してたのだけど、あなたたちのように優しいお友達に囲まれてるのなら、きっとこれから先もあの子は大丈夫ね」
そ、そうでしょうか。ははは。あたしはいい絵さえ撮れればそれでいいんですけどね。
「はい! 朽木は栗子ちゃんが傍にいれば大丈夫です! 毎日、それはもう楽しそうに……」
「そういうフォローはいらないです。いくら拝島さんでもそれ以上言うと口をひんまげますよ?」
横から耳をつねりあげると、拝島さんは青い顔になって余計なことを挟む口を閉じてくれた。ヨシヨシ。
これ以上『友達思いのいい子』ポジションに祭り上げられるのはカンベンですたい。
あー早く帰りたい。
と、
「もしよければ、冬也の部屋を見ていってくださるかしら? 昔からずっとそのままにしてあるので、何か見つかるかもしれないわ」
お母さんの思いがけない申し出に、あたしはビニール袋に詰めようと、クッキー山盛り掴みあげていた手を止めた。
朽木さんの部屋の家捜し。それは願ってもないことだ。ナイスです、お母さん!
「是非、お願いします!」