Act. 16-1 とんでも腐敵な絶てない絆
<<<< 栗子side >>>>
「よく来てくれました。冬也がいつもお世話になっています」
通されたのは応接室。背後で棚に飾られた高そーなグラスがキラリと光る。
控えめなシャンデリアの下、格調高い家具に囲まれて、優しそうかつどこか儚げな印象のおじさまは、穏やかな瞳で言った。
おじさま。そう、この人には「おじさん」と言うより「おじさま」と言った方がしっくりくる。白髪混じりのステキなロマンスグレー。育ちの良さが窺える上品な物腰。
顔はまったく似てないんだけど、さすが朽木さんのお父さん。うっかり美中年趣味に足を突っ込みそうになる。
「ああ、写真を撮りたい……」
「我慢して、栗子ちゃん。これで口元を拭いて」
横から声をひそませた拝島さんがそっとハンカチを手渡してくる。あ、ヨダレ出てました? えへへ。
あたしは急いで邪気のない顔を取り繕った。
「いえいえ、こちらこそ。朽木先輩にはいつもお世話になってて、申し訳ないくらいです」
なんて、ちっとも思ってないけどしおらしい後輩を演じてみせる。
本当の同級生である拝島さんはともかくとして、あたしは「ストーカーです☆」なんて正直に自分の身分を明かすことはできない。明かそうとしたら拝島さんに全力で止められた。
よって「高校時代の後輩」という、またもやウソんこの肩書きを使ってるわけなのだが。
「冬也にこんな可愛らしい後輩さんがいるなんて知らなかったわ。これ、私が作ったクッキーなのだけど、よかったらどうぞ召し上がって? ケーキはお好きかしら?」
お父さんの横に並んで座るとってもキレイな女性、朽木さんのお母さんにこれほどまでがっぷり食いつかれるとは思わなかったです、ハイ。そんなにキラキラした目で見ないでください。期待されるような仲じゃないんです、すみません。
「冬也ったら、女の子の知り合いをちっとも連れてこないんですもの。女の子に興味がないのかしらって少し心配してたのだけど、あなたのような可愛らしい後輩さんが傍にいるのなら安心ね。どうかしら? あの子、今、付き合ってる女の子はいないの? あなたから見て冬也はどうかしら?」
どうっつーかストーカーしてるんだけど、その答えは逆に変な喜ばれ方されそうで怖い。
これはアレだな。母親のカンで、朽木さんが女嫌いなのに気づいてて、男色趣味に走るんじゃないかと密かに心配してるんだな。それであたしをお嫁さん候補としてロックオンしてるに違いない。
残念ですがお母さん。息子さんはもう手遅れです。
「こらこら、早苗。栗子さんが困ってるじゃないか。あまり不躾なことをきくものじゃないよ」
「だってあなた。あの子ちっともそういうこと教えてくれないんですもの。私、心配で……」
朽木さんのお母さんは、見た目とっても若々しくて、朽木さんのおねえさんでも充分通りそうな感じだった。
最初見た時、あまりにたおやかで、朽木さんとは似てないかな? と思ったんだけど。
でもよくよく見てみると整った鼻筋だとか、品のある口元だとか、顎のラインだとか、似てる部分がちらほらと見受けられる。
そしてあたしが自己紹介した途端、パッと花が咲くように現れた笑顔で確信した。この豹変ぶり、やっぱ朽木さんのお母さんだ。あんたら素顔を隠しすぎですよ。
「年甲斐もなくてごめんなさいね。でも、色々と冬也のこと、きかせて欲しいの。お願いできるかしら、栗子さん」
そんなうるうるした目で言われても。
「あの、朽木さ……先輩には、今は彼女はいないみたいです。でもとってもモテるし、ファンクラブもあるくらいですから、そのうちきっといい人が見つかると思います……多分」
最後の方は若干目を逸らし気味に言葉を濁した。それでもお母さんの顔は輝く。
「まぁ……ファンクラブ! じゃあ、まだ一人に決められないってことなのかしら……」
「そうだと思いますよ! モテすぎると逆に一人にしぼれないってこと、ありますもんね! あは、あははは!」
ナニ言ってんだ。大嘘もいいところだ。ううっ、胸がちくちくする。
本当は、朽木さんにとっての『いい人』はあたしの隣に座ってる人で確定してるんだけど、そんなこと言えるわけもない。
しかし。一人の美しき母親の心を救うために、あたしはあえて道なき道を示してみせよう。たとえこの舌が閻魔さまに抜かれようとも!
「それで、冬也のことでおききしたいということは何でしょう?」
はっ、そうだった。
トリップしかけていたあたしはお父さんの言葉に本来の目的を思い出し、居住まいを正してお父さんの方を見た。
今日、朽木さんの実家を訪問したのは、もちろん朽木さんの過去を探るためである。
でもいきなり正直に「朽木さんの中学時代のこと教えてください」とは言えない。これは朽木さんのご両親にとってもデリケートな話題なのだ。警戒心を持たれてしまう。
そこで、同級生である拝島さんと、後輩であるあたしは、「彼は進路について悩んでいる。力になりたいので、彼のことを色々と教えてほしい」という名目で朽木さんの実家に電話して、話を聞かせてもらえる約束を取りつけたのだ。
おおまかな言い方だけど、まぁ間違ってはいないので厳しい追及を受けても大丈夫だろう。そう判断しての名目だったんだけど、意外とあっさり訪問の許可が取れた。
その理由のひとつに、拝島さんが、朽木さんのお母さんと面識がある、というのがあった。
拝島さんとお母さんは一度顔を合わせたことがあって、それから朽木さんがぽつぽつと拝島さんのことを話していたようなのだ。お父さんとお母さんに。
「君が拝島くんだね? 冬也から話はきいてるよ。とても優秀な同級生がいると」
拝島さんが自己紹介をした時、お父さんは嬉しそうにそう言って拝島さんの手を握った。
やっぱ拝島さんがいてくれて良かった。この実家の場所も、拝島さんが朽木さんから入手した情報でわかったし。あたし一人じゃまず道に迷って辿り着けなかったかもしれない。
あたしは横の拝島さんにちらりと目配せをした。打ち合わせどおり、お願いしますよ。
拝島さんが頷きでこたえる。それからお父さんに向き直り、緊張感を滲ませながら口火を切った。
「実は朽木……冬也くんは、このまま薬学部にいていいものかどうか悩んでるようなんです」
「冬也が?」
「はい。本当に薬の世界が好きで入ったのか自信がなくなってしまったみたいで」
「まさか……冬也は子供のころからはっきりと薬学が好きでした。迷うことなどないと思うのですが……」
「環境に流されただけで、自分の意志ではなかったのかもしれない、と」
「――っ!」
いま拝島さんが話していることはあらかじめ教えておいたあたしのでっちあげ話。
なるたけ深刻なように聞こえるほうが、なんでも話してくれる気になっていいかなーと思ったんだけど――
ぎょぎょぎょっ! お父さんとお母さんの顔色が……っ! なんでそんなにショックを受けてるんですかーっ!
「冬也がそんなことを……」
いえいえ、言ってないんですよ、すんません。
「私たちには相談してくれないのね、なんにも……やっぱりあの子はまだ……」
あうあうあう、ちょっ、お母さん。
「ああ……それも仕方のないことだろうが……。私たちに親らしいことをする資格はないからね……」
資格って、お父さん。なんでいきなりそんな重たい話になってるんデスカ?
ちょっ、なんかイヤな雰囲気だなー。沈痛な表情でうつむくお父さんとお母さんに、さすがのあたしもきりきりと胃の辺りが痛んでくる。
まだ話は始まったばかりだってのに、ここまで空気がしぼんでしまうとは。
なんだか話しにくいなー、とちょっぴり冷や汗たらたらで隣を見ると、まずい! 拝島さん、真っ青な顔で固まってる!
どうやら良心の呵責に耐えられないようで、二の句が継げれないでいる拝島さんをフォローするため、あたしは愛想笑いで場を和ませた。
「えっと、実際にそう言ったわけじゃないんですけど、自分が薬学を選んだ理由はなんだっただろうなーみたいなことを呟いてて! でも朽木先輩、一人で全部抱え込んじゃう人だから、なかなか相談してくれないんですよね。ご両親にだと更に言いづらいんじゃないですか? 期待を裏切っちゃうかも、みたいな」
「私たちは冬也がどんな道を選ぼうとそれを応援するつもりです」
「うんうん。その言葉、きかせてやりたいですよあの意地っぱ……いや、朽木先輩、本当に頑固で、なかなか素直に人の話をきいてくれないんです」
どころか目も合わせてくれないんですよ、あのいじけ虫は。一回、裸に剥いちゃっていいですかね?
ってのはおいといて。
「だからちょっと荒療治でいこうと思うんですけど。お父さん、朽木先輩が薬学を選んだ理由、なにか心当たりはありませんか?」
あたしは本題に入って、真っ直ぐお父さんを見る目に力をこめた。