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Act. 15-9

<<<<  朽木side  >>>>

 

 

 そこは、広大な敷地に数多くの動物たちが放牧され、ゆったりと草を食むなんとものどかな場所だった。

 

 空の青が澄んでいて瑞々しい。残念ながら牧草地の緑は冬枯れのため淋しくなっているが、動物たちの生き生きとした鳴き声が冬にも負けない生命力を感じさせた。

 

 その分、野性的な匂いが強烈で、拝島と「臭いな」と顔を合わせて苦笑した。

 

 俺と拝島は、牧草地をまわり、かぼちゃ畑を歩いた。アメリカンカントリー風の小屋で、朝搾ったばかりだという新鮮な牛乳を味見させてもらい、倉庫で熟成中のチーズを見学させてもらった。

 

 羊の毛刈りショーは季節外れのためやっていなかったが、写真でその模様が展示されているのを見た。

 

 無力な羊がひっくり返され、バリカンで全身の毛を刈り取られる様は、どう見ても動物虐待そのものだが、羊にとってもいいことなのだそうだ。

 

 羊の毛で作られたぬいぐるみを手に取り、「これ、おみやげにいいかな?」とはにかみながら肌触りを確かめる拝島が可愛くて、そのぬいぐるみを思わず買いたくなったが、理性で押しとどめた。

 

 拝島には妹がいる。恐らく、妹へのおみやげにどうかと言っているのだろう。

 

 間違ってもグリコにじゃない。と思いたい。拝島はそこまで積極的じゃないはずだ。

 

 日当たりのいいベンチに座り、俺の手製のサンドイッチを出すと、拝島は嬉しそうに頬張った。

 

 自分も作って来たと弁当箱を取り出した時、感激のあまり声もなかった。拝島の手作り弁当を食べるのなんて初めてだ。

 

 中身はおにぎりと玉子焼き、それからタコ形ウィンナーが入っていた。

 

「俺、弁当のウィンナーってどうしてもタコがいいんだよね。男の手作りでタコはないだろ、って思ったんだけどさ」

 

 いや、拝島ならアリだ。と力説したかったが、「いいんじゃないか」とだけ言っていただいた。拝島ならリンゴがうさぎの形でも許せる。

 

 拝島の手料理はどれも美味かった。俺は土産用にと買ったチーズを広げ、拝島との和やかな時間を楽しんだ。

 

「朽木! ハーブ園があるよ!」

 

 食事が終わり、まだまだ元気な拝島がハーブの爽やかな香りにつられて駆けていく。

 

 この時間がずっと続けばいい。

 

 儚い望みだとわかっていても、そう願わずにはいられなかった。

 

 拝島といると、何故これほどまでに心が安らぐのか。

 

 全てが許されるような気がしてくるのだ。神薙のことも、愚かな自分のことも。

 

 なにもかもを忘れ、優しく、穏やかな気分でいられる。

 

 ずっとこの空気に包まれていたいと思えるのだ――――あいつとは大違いだ。比べること自体が間違いなんだが。

 

 あいつとここに来ても始終口喧嘩してばかりになるだろう。それ以前にまず、こんなところに一緒に来ようとは思わない。

 

 動物を見て癒されるような奴じゃないし、牛や羊を見ても「うまそうじゃん」としか言わなさそうな気がする。あいつは基本的に肉食獣だから――――

 

 って、またかっ。

 

 澄んでいたはずの心がざわつきだし、俺は慌てて頭の中の悪魔を締め出した。

 

 あいつのことはもう考えるな。関わらない。そう決めたはずだ。

 

 なのに一度頭に浮かぶと、なかなか消えてくれないのがあいつだった。ことに無視するようになってからは、何故だか頻繁にあいつの姿が現れる。

 

 くそっ。せっかく拝島と二人でいるのに。邪魔をするな!

 

 俺はハーブ園を囲む柵に完治していない右手の拳を強く打ちつけ、痛みで思考を散らした。

 

「朽木ー! どうしたー?」

 

「ああ、手に虫がとまってたんだ」

 

 遠くで振り返る拝島になんでもない風を装いながら少し足を早める。

 

 拝島はハーブ園の入り口で待っていた。俺が追いつくと、にこりと笑って中に入る。

 

「色んな草があるよ。匂いだけでお腹いっぱいになりそうだよ」

 

 俺も煉瓦の小路に導かれるまま中に足を踏み入れた。

 

 思ったより、雑然としている印象だった。大小さまざまに区切られた花壇、あちこちに置かれた白いポット。

 

 草は丈の高いものから低いものまで不揃いに並び、丸裸の畑もある。だがそれが観賞用の場所ではないという厳格さを漂わせていた。

 

 こんな風景には覚えがある。父の薬草園と同じだ。

 

「朽木はハーブ料理好きだから、こんな風に自分で育てるのもいいんじゃないか?」

 

 白いポットの中のセージを指差し、拝島が言う。

 

 確かにそれは楽しそうだ。自分で育てたハーブを使い、香り豊かな料理を味わう。なかなか贅沢な食卓になるだろうな。

 

 俺は中腰になり、畑に根を張る小さな葉の植物を覗き込んだ。気分が高揚してくる。

 

「やっぱり基本はバジル――いや、ローズマリーもいいな。料理に使えるだけじゃなく、お茶にするのもいけるし。今度鉢を買ってみるか」

 

「いいね、ローズマリー」

 

「ああ、飲みながら本を読むといいかもしれない。記憶力がよくなるという話もあるし」

 

「へぇ、そうなんだ」

 

「アルツハイマーの予防効果が期待され、薬として開発中という記事をどこかで見た。記憶力強化は昔から謳われているハーブだし、これから色々と注目される薬草になるかもな」

 

「ローズマリーが?」

 

「ああ、ローズマリーに含まれるカルノシン酸が脳の神経細胞を保つのにいいらしい。同じようなことを昔言っていた人がいて――」

 

 そこで俺ははたと止まった。

 

 言葉につまったからだ。急に頭の中に靄がかかり、辺りの景色がぼやけてくる。

 

 なんだ? また立ちくらみか?

 

 ローズマリー。海外の薬草。誰だ? 誰かがそんなことを言っていた。

 

 曖昧になる思考の中、誰かの姿が浮かびそうになる。白みがかった髪の。

 

 誰だ。あれは。

 

 あの人は――――

 

 

 

『雑草ってのもバカにできねぇもんだぞ』

 

 

 

 何かを言っている。だが聞こえない。聞こえたような気がするのに、言葉を認識できない。

 

 忘れろ。違う。思い出すな。何故。

 

 切り捨てろ。弱かった自分は切り捨てろ。あの時の無力な子供に戻りたいのか。振り返るな。

 

 

 振り返ってはいけない――――

 

 

「朽木ってホントにそういうの好きだよね? 高地も同じところがあるけど、やっぱ朽木の方が――って、大丈夫、朽木!?」

 

 拝島の声が響き、俺は目前に迫る小さな葉の草を呆然と見つめた。

 

 どうやら倒れるところだったらしい。前のめりに体が傾いていた。

 

 寸前で俺の肩を止めてくれたらしい拝島が心配そうに俺を引き起こし、肩を支えてくれた。

 

「どうしたんだよ。貧血でもあるのか? あっちで休もう」

 

 ハーブ園の中の白いガーデンベンチを目で示す。俺は頷いて拝島の肩を借り、立ち上がった。

 

「すまん。たまにある立ちくらみだ……」

 

「顔色が悪いよ? 体調悪いんなら、今日はもう帰ったほうが……」

 

「大丈夫だ。少し休めば回復するから」

 

 せっかくのデートを終わらせてしまうほど俺は馬鹿じゃない。

 

 拝島の言葉を遮り、足をしゃんと立たせて一人でベンチに向かう。

 

 鉄製のベンチは少し冷たかった。身震いしかけたが、拝島に心配をかけたくないので、背もたれに背を預けて微笑んでみせた。

 

 俺を気遣う拝島の緊張した体がホッと緩められる。

 

「びっくりした。体調が悪いなら悪いって、ホントにちゃんと言ってくれよ? 朽木はなんでも一人で抱え込むんだから」

 

「そんなことは……」

 

「そんなことあるんだよ! 体調のことだけじゃなくて、悩んでることがあれば相談して欲しいって、前にも俺、言ったよね? 全然相談してくれてないじゃないか!」

 

 いきなり正面から顔を近づけ、怒り出した拝島に驚いて俺は目を瞬かせた。なんだ? それは怒ることなのか?

 

「もし……俺の栗子ちゃんへの気持ち以外に、何か悩んでることがあるなら、頼むよ朽木。俺に話して欲しい」

 

 拝島のグリコへの気持ち――目下のところ、それが最大の悩みなんだが。

 

 それを言ってしまうと拝島はこれ以上ないってほどに落ち込むだろう。俺は少し考え、遠くの景色に目をやった。

 

 ゆっくりと呼吸する。

 

「悩みってほどじゃないが……少し気になってることはあるかな」

 

 拝島ははっと目を瞠り、それからひとつ頷いた。

 

 そんな拝島の真剣な優しさが嬉しく、口元が自然と綻ぶ。言葉は滑るように紡ぎだされた。

 

「拝島は、思い出そうとしても何かがひっかかって思い出せない、ってことはあるか?」

 

「え……」

 

 拍子抜けしたような顔で俺を見つめる拝島。

 

 別に、拝島の真剣な気持ちをどうでもいい話でかわそうというわけじゃない。なんとなく気になっているのは事実なことだ。

 

「えっと……子供の頃の記憶は思い出そうとしてもなかなか思い出せないけど」

 

「数年前の記憶は?」

 

「それはさすがに思い出せるよ。高校時代のことも、思い出そうとすれば」

 

「中学くらいはどうだ?」

 

「うーん……一部あやふやだけど、まだ思い出せるかな……。何か思い出せないことでもあるの、朽木は?」

 

「それがわからないから俺も困ってるんだ。何が思い出せないのかがわからない」

 

「え? どういうこと?」

 

「時々、何かが頭に浮かびそうになることがあるんだ。誰かの声が頭に響いたような気がすることも。だけど思い出せない。誰が何を言ってるのか、わかりそうでわからない。そういうことがある」

 

 俺は視線を手元に落とした。

 

「そんなこと……」

 

「大事なことのような気もするんだが……思い出そうとすると、さっきみたいな立ちくらみ状態になるんだ」

 

「朽木!」

 

 視界が突然ぶれた。

 

 俺の両腕を掴んだ拝島が俺の体を揺さぶったのだ。

 

「何か嫌なことでもあって、思い出せないんじゃないかそれ!? 大丈夫か!? 思い出せなくて苦しいのか!?」

 

「いや別に……」

 

 返答に困ってしまう。

 

 そこまで拝島を不安にさせることになるとは思わなかったので、逆に驚いた。

 

 嫌なこと――確かに中学時代は、嫌なことが吐いて捨てるほどあった。というか嫌なことしかなかっただろう。

 

 だがその記憶は鮮明に残っているのだ。そんな俺に、思い出すのが嫌で思い出せないことなどあるだろうか。

 

 神薙の記憶こそ忘れたくてたまらないというのに、消えてはくれないのだ。

 

「どこかで診察してもらったほうが……」

 

「いや。そこまでするほどじゃない。少し気になってるだけで、生活に支障はないんだ」

 

 俺は拝島があまりに心配するので、適当に話を流すことにした。それほど心配してもらうことでもない。

 

「でも」

 

「まぁ、今度立ちくらみを起こしたら、神経内科にでも行ってみるさ。無理に思い出したいわけでもないし、思い出せないならそのままにしておけばいいことだから、心配しないでくれ」

 

 俺は立ち上がり、体が回復したことを示すため、ひとつ伸びをした。それからハーブ園の入り口に足を向けた。

 

 優しい拝島に甘えてばかりもいられない。

 

「今度は湖でも見たいな。帰りに寄ってくか?」

 

 笑顔を拝島に向けたあと、デートを続行させるために歩きだした。

 

 

 

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