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Act. 15-3

<<<<  朽木side  >>>>

 

 

「今、向こうにいたの、栗子ちゃんじゃないか?」

 

 俺の後ろから走って追いついていきた拝島が、背後を振り返りながら言う。

 

 俺は黙々と進める足を緩めることもなく「そうか?」と返した。

 

 拝島の指摘は正しい。あれは間違いなくグリコだ。

 

 何をしているのかは知らないが、ホール前で二人の男と話しこんでいた。どうせまたろくでもないことだろう。

 

 あちらも俺に気がついたらしく、一瞬、視線が合った。その顔が強張ったように見えたのは、恐らく気のせいじゃない。

 

 なにせ、俺はあいつを手篭めにしようとした男だ。

 

「知らない人たちと歩いてたよ。誰だろう?」

 

 気になるのか、何度も振り返って確認する拝島に少しいらつく。

 

「さぁな」

 

 グリコと一緒にいた男たちは、以前にも見た顔だった。その時は携帯電話を突き合わせ、番号のやり取りをしていたような気がする。

 

 あの女に付き合う男ができたのなら万々歳だが、そういう雰囲気ではなかったから恐らく違うだろう。

 

 残念なことに。

 

「朽木……あの。栗子ちゃんとはあれから……」

 

 短く言葉を切る俺に不穏なものを感じたのか、拝島が恐る恐る訊いてくる。俺ははたと足を止めた。

 

 そういえば、まだグリコとの仲たがいについて拝島に弁明していない。適当な理由をつけて正当化するつもりだったんだが。

 

 今、ここで口からでまかせを言うか? あいつの目にあまる行動につい腹を立てて、いつもより激しく言い争ってしまったけど、あのくらいはよくあることなんだ。気にしないでくれ、拝島。俺も言い過ぎたと思っている。今度グリコに謝るつもりだ――

 

 

 どの面下げて言えるというんだ。あんなことをしておいて。

 

 

 俺は、拝島の好きな女を犯そうとしたのだ、力ずくで。拝島の気持ちを裏切ったのだ。

 

 本来なら拝島に殴られても文句の言えないことをしてしまったというのに。まだ友人面して拝島の傍にいようというのか?

 

 最低だ俺は。今すぐ謝らなければいけない、拝島に。わかっている。

 

 わかってはいるが――どうしても、その勇気が持てないでいる。拝島に軽蔑されるのは何より辛いことだから。

 

 最悪の事態が頭をかすめれば、息をすることすらままならなくなり。

 

 結局、俺は言うべき言葉を飲み下した。

 

 静かに息をつく。

 

 あいつは拝島に話すだろうか。俺に襲われかけたと。

 

 いや、恐らくは話さない。あいつのプライドの高さは折り紙つきだ。

 

 力で捻じ伏せられたなど、死んでも言わないだろう。遊園地での子供じみた嫌がらせについても、拝島に告げ口することはなかった。

 

 話すほどのことでもないのだ、そんなことは。あいつにとって。

 

 ならば俺も、あえて拝島が心を痛めるようなことをする必要はない。

 

 せめて今だけでも、拝島の笑顔を見ていたいから――俺は意を決して拝島を振り返った。

 

「心配かけて悪かったな、拝島。グリコとはよく話し合った。あとはいつもどおりだ」

 

 曖昧な、どうとでもとれる言葉で質問をかわす。穏やかな笑みを忘れずに。

 

「そっか……良かった。仲直りしたんだ」

 

 それで拝島は勝手に納得してくれた。ほっとした顔に明るさが戻ってくる。

 

 悪い方向に考える奴ではないので、その反応はほぼ予想通りだ。俺もほっとする。胸の奥が微かに痛んだが、それは意識の外に追いやった。

 

「勝手な話だけど、俺、朽木と栗子ちゃんがケンカしてるのを見るのは辛いんだ。二人は一緒にいた方がいいと思うから……」

 

 冗談じゃない。どんな思い込みから出てくるんだ、その言葉は。

 

 俺とグリコは水と油だ。永遠に交わることはない。

 

 顔を突き合わせば際限なくいがみ合い、決して譲らないだろう。

 

 互いに激しすぎるのだ。

 

 この前の嵐の晩も、グリコが全力で抵抗しなければ、俺は本気で犯していた。あいつがぼろぼろになろうと構わずに。

 

 あいつは、そんなことをすれば俺が苦しむだけだとわかっていた。俺に教えてくれようとしていた。

 

 なのに、俺は頑なに行為をやめようとしなかった。自分の愚かさに気づきつつも、あいつが反撃してくる直前まで考えを変えようとしなかった。

 

 抑えられなかったのだ。やり場のない怒りをぶつけたいという衝動を。

 

 それは、あの時の俺がそれだけ理性を失っていたからだが。相手がグリコだったからというのもある。

 

 あいつを前にすると、暴走が止められなくなる。全てを吐き出してぶつけたくなる。

 

 あいつになら、そうしてもいいような気がしてしまうのだ。

 

 それがまずかった。

 

 

 

 襲うふりで良かったはずなのに――――

 

 

 

「朽木。あのさ」

 

 横に並んだ拝島の声に、俺は知らず沈んでいた表情を取り繕った。

 

「ん?」

 

 瞬時に穏やかな表情を作り上げる。愛しい拝島相手だからこそできる芸当だ。

 

 拝島はどこか遠慮がちな瞳を泳がせつつ、俺を見て言った。

 

「週末、どっか行かないか? 俺の車じゃなくてもいいし、朽木の車と二台ででもいいし。ドライブも兼ねて空気のいいところにさ」

 

 なんだ? いきなりどうしたんだ?

 

 拝島が遊びに誘ってくるのは珍しい。基本的には勤勉な若者だからだ。

 

「空気のいいところ……というと、山かな?」

 

「えっと……牧場とかどうかな? 日帰りできる範囲内で大きなのがあったよね?」

 

「どうだったかな……」

 

「羊の毛刈りショーとか、イベントもやってたし、ハーブ園もあったよ、確か。朽木、そういうの好きだろ?」

 

 と言われても、羊に興味があると言った覚えはない。ラム肉のソテーは確かに美味いが。

 

 どれに興味がひかれるかと言われれば、辛うじてハーブ園は好きかもしれない。

 

 その程度のひかれ具合なんだが、せっかく拝島が誘ってくれているんだ。断るのももったいない。

 

「わかった。たまにはそういうのもいいかもしれないな」

 

「だろ? 美味しい空気吸って、新鮮な牛乳でも飲もう。きっといい気分転換になるよ!」

 

 拝島はそう言って、嬉しそうにはにかんだ。

 

 なにやら気をつかってくれているみたいだが……。

 

 俺のしたことを知っても、こんなに優しい笑顔を向けてくれるだろうか。一瞬よぎった考えがちくりと胸を刺す。

 

 だが、俺がこの場所にいられる時間は残り少ないかもしれない。その時がくるまで、せめてもの間、心穏やかに過ごしたいと思うのは間違っているだろうか。

 

 拝島の優しさを、今は素直に感じていたい。

 

 重く締めつけるものを胸の奥に押し込め、俺は無邪気にはしゃぐ拝島の話に笑顔で頷き返した。

 

 

 

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