Act. 15-2
<<<< 栗子side >>>>
青みがかった銀色の近代的な建物。
辺りを囲む白い古びた学び舎の景色から浮きに浮いてるうえ、晴れの日にはやたら眩しくなるそれは、どこかのお偉いさんが寄贈したとかいうありがたい記念ホールだ。
センスについてはひとこと言いたくなってしまうが、あたしにとってもなかなか印象深い場所である。
ついこないだ、ここで朽木さんとイベントレースを楽しんだばかりのに。
今や犬猿の仲だ。あの時の爽快感は、やたら遠いものになってしまったように感じる。
「このヒマラヤ杉だ」
庄司さんはほぼ真上を向くように顎を反らして言った。
あたしもつられて顎を反らす。視界が濃くて深い緑に覆われ、なんとも敬虔な気分になる。
でっかい木だな~。
これがクリスマスツリーになるのか。
あたしはホウ、と息をついた。
頭上高くにそびえ立つ、一本の大木。記念ホールの斜め手前に植えられているこのヒマラヤ杉は、毎年クリスマスツリーとして飾りつけられるそうなのだ。
あたしは庄司さん、賀茂石さんに連れられて、12月24日当日、イベント会場となるこの場所の検分にきているところである。
「なんか登ってみたくなりますね」
「だよね。でも普通は登るの禁止」
賀茂石さんが「残念」という風に肩をすくめる。確かに、それは残念。
「あとはここに長い机を置いて受付にするんだ」
ツリーの手前のスペースを手で示しながら広さを確認する庄司さん。
「何個必要かな。子供達が絵を描くスペースも必要だから……」
ブツブツと考え事しながらその辺を行ったりきたり。
「椅子もいっぱい必要ですね。小さい子用の」
「クレヨンとか色鉛筆は、近所で子供がもう使わなくなったのを寄付してもらいにまわってる。結構集まってきてるよ」
あたしは賀茂石さんの言葉に感心して、「おお~」と手を打った。
着々と準備は進んでいるんだ。すごいなぁ。
今話しているのは、クリスマスイベントで子供たちがサンタにプレゼントすることになってるものについてである。
ズバリ、それはサンタの絵。
イベント当日、ここで描いてもらうのだ。やってきた子供たちに。
『12月24日、サンタさんの絵を描いて、サンタさんのおうちにプレゼントしにいこう! かわりにサンタさんが何かいいものをくれるかもしれないよ?』
そんなカンジのふれこみで近隣の人に呼びかけることになっている。
可愛いチラシは現在、急ピッチで印刷所に刷ってもらってるところだそうな。
「子供用の道具なんて何にもないからな。色々集めるのが大変だ」
なんてぼやきつつ、庄司さんは巻尺を取り出し、生き生きとした様子で賀茂石さんとスペースの広さを測り始める。
細かいなー。さすがあの推理レースゲームを設計した人。
そう。あのやたらと凝りまくったレースゲームの発案者は、なんとこの庄司さんだという。
この大学のイベント関係はほぼ全て手がける伝説の実行委員長、庄司正宗。ついたあだ名は『お祭り男』。それが庄司さんなのだ。
「夜はあそこの広場からライトアップされたツリーを見上げるんだよ、カップルとか家族連れが」
記念ホール前の広い円形の窪みを指差して賀茂石さんが言う。
なるほど。あの階段に座って眺めるのか。それは確かにロマンチック。
すると、腕組みした庄司さんが、ここでもまた目を光らせる。
「イルミネーションも変化をつけて楽しめるようにしたいよな」
「え? イルミネーションに変化なんてつけれんのか?」
「やってできないことはないだろ。コードを数種類用意すれば」
「そりゃそうだけど……かなり大変だろ。オンオフの調整とかどうすんだよ」
「電気工学科にそういうのの設計が得意なヤツがいるんだ。そいつに頼んでみる」
「本気かよ! はぁ……どんだけ凝り性なんだよオマエ」
「やれることは全てやってみる。それが俺のポリシーだ」
すげぇな庄司さん。あの柔軟かつ軽いノリの司会からは想像もできない完璧主義者だ。
やる時はとことんやる、って人なんだろうな。カンペキなキャラチェンジ、グッジョブです!
「いいけどさ。予算の範囲内で頼むよ、庄司」
「それについては問題ない。学祭で結構儲かった。プリンスのおかげで」
ほえ? とあたしは顔をあげる。
プリンス。なんて呼び名がつく人といえば。
「それって……朽木さんのこと?」
おそるおそる訊くと。さも当然の如く、首が縦に振られた。
「そう。朽木冬也さまさまだ。おかげでビデオが爆発的に売れた」
うげ。とゆーことは。
「そういうわけで、今では君もちょっとした有名人だ、お菊ちゃん。なんせあの朽木さんのパートナーだからな」
ぎょひえーっ! カンベンしてください!
思わず周囲を見回す。
するとやっぱりいたーっ! 敵意のある眼差しをあたしに向ける女の人たちが、あっちにもこっちにもチラホラと。
なんか最近視線を感じるなーと思ってたら。そういうことか。
「もしかして……あたしがこのイベント手伝うの、嫌がる人いました?」
冷や汗ダラダラで庄司さんに尋ねる。
他校の生徒のくせに。なんなのあのコ。そういうセリフが聞こえてきそう。今にも耳元で。
だけどあたしの心配を軽く吹き飛ばすように、庄司さんは笑った。胸を張ってカッカッカッと。
「そういう了見の狭いヤツはうちの実行委員会には入れてない。安心しろ、お菊ちゃん!」
「おおっ! 頼もしいお言葉! トゥーシューズに画鋲が入ってるとか、そういうイジメはないと思っていいんですね!?」
「無論だ! ラケットをこっそり隠す奴もいない!」
「黒板消しをドアの上に挟んだり!」
「机にラクガキをするヤツも、当然いない! 実際にいたらちょっと見てみたい気もするけどな!」
「さすがです、コーチ! 一生ついていきます!」
「はぁーっはっはっはっ! わたしにまぁ~かせぇ~なさぁ~い!」
大声で笑いながら、両手を腰に当ててふんぞりかえる庄司さん。
すっげ! リンボーダンスできそーな角度だよ。ノリノリだね、このヒト。
賀茂石さんが、そんな庄司さんのおでこをピシリと叩く。それからあたしを振り返って言った。
「もとよりここは理系の大学だから、そんなに女の子は多くないしね」
あ、そっか。そういう話もある。
「勉強にアップアップだから、他人に余計なちょっかいをかけてる暇もないんだよ。だからジロジロ見られることはあるだろうけど、絡まれたりとか、そういう心配はしなくていいんじゃないかな?」
良かった。賀茂石さんの言葉にホッと胸をなで下ろす。
別に、絡まれたら絡まれたでやり返すだけだけど、できれば女同士のネチネチしたいがみ合いは避けたいところだ。
イベントの準備に支障がでるのも困るしね。
「んじゃ、そろそろ打ち合わせに戻るか」
庄司さんが姿勢を正し、クイッと二本指でメガネを持ち上げて言う。どうやら癖らしい。
「ほいです。力仕事でもなんでもしますよー」
腕を叩いて、歩き出した庄司さんの後を追う。賀茂石さんもあたしの後からついてくる。
いいよね、お祭りに参加するのって。ワクワクしちゃう。
と、目の前の建物から出てくる人影があたしの視線を捉えた。
あ。
そういえば、記念ホールの向かいにある建物って、そうだったっけ。
薬学部実験棟。横に長い建物。
薬学生が集まるところだ。
中から丁度出てきたところの朽木さんが、不意にこちらを向く。
おわっ。視線が合った。どうしよう。
思わずごくっと喉を鳴らす。顔の筋肉は固まってしまって動かない。
だけど朽木さんはあたしの姿を認めたはずなのに、プイッとそっぽを向いてそのまま行ってしまったのだ。
表情に変化はなかった。
何も見なかったと言いたげな横顔が、やがて後ろ姿に変わる。
なに。
なんだと。
無視ってか? いきつくところは無視ってか?
この間のことを話し合う気もないってーのか? 上等だこの野郎。
あたしだって、つい頭に血が昇って言い過ぎたことを反省したのに。
いやいや、まだ朽木さんは心の整理がついていないだけかもしれない。あんだけ我を失ったあとだから。
もう少し時間が経てば、きっと朽木さんも冷静になるはず。
そんでもって、これまでみたいに、お互い水に流して、アハハって笑えるはず……。
…………。
……だよね? 朽木さん。
なんとなく拭いきれない不安を抱えたまま、あたしも庄司さんのあとについて道を横に曲がった。