Act. 14-9
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こいつとの衝撃的な出会いが閉じた瞼の裏に蘇る。
あの時は、まさかこうして唇を重ねる日がくるとは夢にも思わなかった。
とんでもない腐女子。やることなすこと理解不能で。口を開けば憎らしいことこの上ない。
脅すために迫ったこともあったが、抱こうとは微塵も思わなかった。
今も最終手段として仕方ないとはいえ、できればこんな奴を抱きたくはない。
だが唇は思いのほか柔らかく、ほのかな甘みが俺好みの味だった。
「ん~~~っ! ん~~~っ!」
必死に振り切ろうとする顎を掴んで固定する。
小賢しい強がりばかり言う口はこうして塞いでおくに限る。俺が聞きたいのは泣き声だ。
黙ってさえいればこいつもそれなりに見れる容姿をしているし、腹立たしくなることもない。
タオルを口に突っ込んでやってもいいのだが、できれば悲鳴をあげさせたいので不本意ながら自分の口を使うことにした。
それにしても――
『いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! やめてっ、朽木さんっ!』
そんな声をそう素直には出さないだろうとは予測していたが。
まさか、噛みつかんばかりの反抗的な目で睨みつけられるとは思ってもみなかった。
あげくに「冗談でしょ?」ときたもんだ。こいつの強気は少しも揺らいじゃいない。
やはり、無理矢理にでも薬で弱らせておくべきだったか。
こいつは妙なところで鋭い。さっき麦茶に混入した薬を見抜かれた時は、さほど驚きを感じなかったほどだ。
あそこで強引に口移しにでも麦茶を飲ませ、そのまま押し倒してしまえばよかったのだ。
そうすれば今頃は、前後不覚に陥ったこいつを思う存分攻め立てていただろうに。
――しかし、抵抗されるのも嫌いじゃない。
必死に逃げようとする体を封じ、徐々に喘がせていくのもなかなかそそられる。
俺は、女に欲情しないわけじゃない。
華奢で柔らかい体をこうして無理矢理組み敷けば、普通に男の本能が反応を示す。
色気のない奴だが、それなりに発育はしているようだし、なにより処女だ。
まだ男を知らない体に無理矢理自分の印を刻みつけ、征服してやる愉悦感は、また格別のものがある。
そうとも。征服してやるのだ。
男に標的とされたくないばかりに男を観賞物とみなし、一線引こうとするこいつを。
本当は、男に触れられることを何より嫌悪するこいつを。
征服される恐怖で、ぼろぼろにしてやるのだ。
そうすれば、二度とこいつは俺に近づかない――――
ガリッ
突然走った痛みに、思考は中断された。
俺は咄嗟に唇を離し、この痛みの加害者である小柄な囚人を見下ろした。
激しい瞳。
燃えるように、俺を睨みつけている。
口内に広がる鉄の味が、たった今つけられた唇の傷を教えてくれる。
こいつ――この状況で――
「いい度胸だな。よっぽど痛い目にあいたいらしいな」
ぞくぞくとしたものが背中を走り抜ける。噛み切られた痛みよりも勝る愉悦が体の芯を駆けのぼった。
「怖くないよ、そんな顔しても! あたしに脅しはきかないって、前にも言ったよね!?」
「そうだったかな……」
唇の熱を舐め取り、どうやってこの仕返しをしてやろうか考えた。
痛みに応えるのは痛みだが、ただ殴るだけじゃつまらない。
恐怖を伴う、最も効果的な方法で痛みを与えてやるのがいいだろう。
俺はくびれの未熟な腰に手を這わせ、Tシャツの裾を掴んだ。そして、一気にめくりあげた。
この季節に、たいした薄着だと感心する。
首元まで引き上げられたシャツの下は、眩しいほどの素肌だった。こいつらしい色気のないスポーツブラが、それでも純白の輝きをもって女の部分を主張する。
その白へと、ゆっくりと顔を近づけていった。
ただのくすぐりであれほど嫌がったこいつだ。暴力は平気でも、こういった性行為は何よりおぞましいに違いない。
「男が怖いなんてあたしがいつ言った!? 勘違いもいいところだよ! ヤられたって、あたしは平気だね!」
まだ強がるか。どれだけ隠しても、胸の下に落とした唇は、こいつが真実感じているものを伝えてきているというのに。
どこが平気なんだ。こんなに鳥肌を立てておいて。
耳元でまくしたてる声は適当に聞き流しつつ、白い小さな布地を中の膨らみごと揉みしだく。始めは優しく。徐々に強く。
ここに触れるのは二度目だが、相変わらず重量感はない。ただ、柔らかい。
意外とさわり心地のよいそれにずっと触れていたい欲求を押し殺し、布地の中に手を差し込む。
「強姦がどうした! 鬼畜プレイ上等! こんなことであたしを――」
探り当てたささやかな先端を二本の指に挟みこんだ次の瞬間。
一気に捻りあげた。
「い~~~~~~~~~~~~~っ!!」
細い体が大きくしなる。息を止めた声が絞りだされる。
相当痛いはずだ、これは。まだ性行為を知らない未熟な体には特に。
全身が熱を上げ、歯を食いしばり耐える表情の目尻にはうっすらと涙が浮かぶ。
その様子に満足の笑みを浮かべた直後。
「あ――あたしを、おもい、どおりに――」
ぎこちなく首を持ち上げたグリコが俺を鋭く睨みあげ、
「できると思うなよっ!! このいじけ虫の負け犬やろうっ!!」
叫んだ。
なっ。
思わず、息をのむ。
茫然と手を止めてしまうほどの迫力。なんだこいつ。なんなんだ。この強気はどこからくるんだ。
男が怖いんじゃなかったのか? 目の輝きは少しも失われていない。
「あたしをへこますためには何でもするってか!? 自分のプライドを捨ててまで!? バッカじゃないの!?」
氷水を頭からぶっかけられるような声が続く。弾丸のような言葉が激しく叩きつけられた。
あのグリコが、本気で怒っている――いや、だからどうだというんだ。
「こんなバカなことしてまであたしを遠ざける必要あんのか!? ないね! 朽木さんはヤケになってるだけだよ! 実のお父さんに敵いそうにないからって!」
心臓がわし掴みにされたように苦しくなった。低く轟く雷鳴が、さらなる圧迫をかけてくる。
ヤケになっている? 俺が?
「確かに、あたしも何か気に障ることしたんだろうけど、だからって、こんなことする朽木さんじゃないじゃん! 怒ってる理由も教えてくんないし。謝ろうと思ったのに――もういい! 勝手に怒ってろ! あたしだって勝手にストーカーするもんねっ!」
「まだ離れない気か!? ここまでされて!?」
迷いのない真っ直ぐな瞳に驚愕した。
何故、そんな言葉が出てくるんだ。
「あったりまえじゃん! あたしがストーカーやめる時は、あたしの意志でやめるんだ! 朽木さんの思惑通りにやめたりするもんかっ!」
「俺の――?」
「あたしが一番嫌いなのはねっ、自分の意志を他人にねじまげられることなんだよっ!」
身が固まる。
意志をねじまげられる――この俺に。
自分の都合を押し付けて、俺はこいつを無理矢理――
「犯されたがどうした! あたしにストーカーやめさせたいなら、今ここでくびり殺すくらいの根性見せなよっ! 受けてたとーじゃんっ!」
そんなことはできない。そこまでする気は。
だが、もう退くに退けないところまできてしまっている。
「でも朽木さんにはできないねっ! せいぜい力でねじふせて押し倒すくらいしかっ! お父さんには勝てないけど、女には力で勝てるってか!? どこまでさもしい根性してんだバカッ!!」
「黙れ!」
カッとなり、たまらず熱い体を抱き寄せた。もう一度唇を塞ぐ。
荒々しく、だが噛みつかれないよう慎重に。吐息の熱さで傷口が灼けつくようだった。
これほど甘くないキスもない。
激しい口づけとは裏腹に、凍りつく寒さに震えてくる。雪山で遭難でもしているような気分だ。
殺気だった瞳に至近距離で射抜かれながらの口づけは、混沌としていた頭の霧を徐々に晴らしていった。
俺は。
俺のしたことは。
こいつとの間に確かにあった、友情とか、信頼みたいな何かを壊しただけで。
まったく意味がなかった――こいつを本気で怒らせただけで。そういうことなのか?
こいつを拝島に近づけたくない。最初はそれだけだったのに。
気が削がれて思わず離した唇が動き出すのを、もう止める気にはならなかった。完全に俺は脱力していた。
「大体、あたしが大人しくヤられてると思ったら――」
そのため、猛然と迫ってくる影に反応できなかった。
「大間違いだっ!!」
突然、目の前に火花が散った。
痛みのあまり、視界が赤に染まる。痺れた頭は壊れたスピーカーのような音を脳内に響かせた。
頭突きをモロに食らったのだと認識したのは、頭上に大きく振りかざされる縛られた両手を目にした瞬間だった。
「グリコっ!」
振り下ろされる腕を咄嗟に右手で受ける。その手に今度は噛みつかれた。
「――――――――――っ!」
チンピラ共とやり合った時に、殴りすぎて皮膚が破れた箇所である。痛みが全身に走り、最初は声にならない悲鳴が、それから掠れた呻き声が漏れた。
「グリ・コ――おまっ――」
まさに窮鼠猫を噛む。絵に描いたような場面にためらいがちの体はもはや反応もできない。
「鬼畜に容赦はせんっ! 死ねっ! ヘンタイ! 死にさらせぇぇぇぇっ!」
続けて襲いかかってくる両腕の連続攻撃をそれでもなんとかかわしながら、俺はベッドの外に一時退避した。
なんて奴だ。両手を縛られたままここまで動けるとは。
服も半分むかれ、下着も露になっているというのに、その動きにはまったく迷いがない。
どこまでも真っ直ぐな強さ。駄目だ。このままではこいつに負ける。
何のためにこいつを押し倒したと思ってるんだ。こいつの信頼を裏切ってまで。
俺には力しか残されていない――そうだ。こいつに勝てるものは力しかないのだから、それを最後まで突き通すしかない。
「やめろグリコっ! 俺に敵うとでも――」
「なめんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
飛来してくるものがヒュンッと顔の横を通過した。
なっ。
壁に当たった救急箱が、けたたましい音をたてながら中の物を撒き散らす。
壊れたふたが、薬瓶と共に床を転がった。
本気だこいつ。
背筋がひやりとした。
「このお礼は倍返しでさせてもらうからねっ! せりぜい夜道には気をつけなっ!」
硬直した俺に一方的な言葉を投げつけると、脱兎もかくやのスピードでグリコは部屋を飛び出していった。
ばたばたと慌しく遠のく足音が、やがて叩きつけるような扉の音に変わる。
後に残された俺は、呆然と立ち尽くすしかなかった。
敗北だ。
完全なる俺の敗北だ。
結局、俺のしたことは――
再び白に染められる視界の中、拝島の笑顔と、燃えるようなグリコの瞳が交互に浮かんでは消えていく。
俺は――なんて馬鹿な――――
地を叩くような雷鳴が、訪れようとする沈黙を突き破る。
俺はすとんとその場に崩れ落ち、動くもののなくなった部屋の中、消えていく熱を、後悔の二文字が染み込む体にただぼんやりと感じていた。