Act. 14-8
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なんだこれ。なんだこれ。
疑問符は焦燥感に変わり、また疑問符に戻る。何でこんな体勢になってるんだ、あたしは。
いや、何が起こったのかはわかる。油断したあたしがバカだった。
朽木さんの瞳が危険な光を帯びてることに気づくのが遅すぎた。普通に会話が弾んでると思ってたから。
とにかく、大ピンチだこれは。どうしよう。
不覚にも朽木さんの懐に踏み込んでしまったあたしは、突然、手首を掴まれた。
そして次の瞬間にはもう、大きく前方に引き倒されていた。ものすごい力で。
だけど一瞬で「やばい!」と悟ったあたしは、体勢を崩されながらも、すかさず受身の構えをとろうとしたのだ。
うつ伏せに倒されたものの、すぐに身を翻せば蹴りくらいは入れられる。そう思った。けど、それは甘かった。
体を捻る暇なんて、朽木さんは与えちゃくれなかったのだ。
あたしが放り投げられたところはベッドの上だった。
衝撃を受け流そうと伸ばした腕は即座に肩ごと押さえつけられ、布団の中に沈みこむ。
その荒々しさは息もできないほどで。まったく手加減なんてない。
続いて仰向けに転がされたあたしは、上からのしかかってくる何かで完全に動きを封じられ、もはや脱出なんて不可能な状態になってしまった。
焦りが冷や汗となって額に浮かぶ。これはやばい。
だけどそんな思考も、混乱しかけた脳が現実を認めた途端、驚きのあまりに一瞬吹き飛んだ。
朽木さんが、あたしに覆い被さっていたのだ。
両手はそれぞれ頭の横に捻りあげられ、既にがっちりと固定されていた。朽木さんの両手によって。
いわゆる押し倒し? みたいなー。ってそんな冗談言ってる場合じゃない!
「ちょっ、朽木さん! 人殺しは犯罪! 犯罪だからっ!」
「なんの話だ?」
「あたしを殺したってなんの得にもなんないっしょ!?」
あたしはすかさず作戦を説得に移した。朽木さんに腕力じゃ到底敵わない。
説得しかない。とりあえず気を逸らさせるだけでもいい。あたしの腕を封じたまま、身を起こす朽木さんの目を見て必死に訴えた。
「さすがに殺しはマズイと思うんだよね! 死体の処理も大変だしさ! 十中八九捕まるって!」
「誰がお前を殺すと言った?」
「朽木さん! 目が言ってる! 目が殺すぞって激しく主張してる!」
指摘すると、危険な空気をまとうその口元がニッと歪められた。
イヤなカンジの笑いだ。あたしを小バカにしてるような。
「殺しはしない」
ホントかよ!
「犯すだけだ」
えっ。
思考が止まる。
なに。
どういうこと?
「今から、お前を犯す」
犯罪予告でもするかのように、勝ち誇った顔の朽木さんが、あたしに宣告を突きつける。
てゆーかまんま犯罪だし。
犯すって。それってつまり強姦。レイプ。
あたしを。朽木さんが。
レイ――――
「なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」
ちょっと待て! そんなのあたしの想定の中にはなかったぞ!
頭が混乱しまくる。だって朽木さんは。
「まままま待った! あたしは女だよ!? 朽木さんはゲイでしょ!?」
「そうだな」
「だったら襲うのは男にしときなよ! 抱くのは男がいいんでしょ!?」
「女も抱けないことはない」
「女っつったってあたしだよ!? こんな体、抱いたってつまんないよ!?」
「そうだろうが、溜飲は下がる」
ハッとした。
そっか。容赦しない、って言ってたのはこのことか。
確かに、強姦は嫌がらせの最高峰。だけど想い人のいる朽木さんがそんな手段を取るなんて。
自分自身も苦しいことになるじゃん。どう考えてもヤケっぱちで後先考えない愚かな行為だ。
なんで! なんでそこまで!? 大体、そんなことで溜飲が下がるのか!?
「朽木さん、よく考えなよ! 朽木さんには――!」
言いかけて、思わず身をすくめる。
再び覆い被さってきた朽木さんの唇が胸元に落ちてきたからだ。
「やっ、やめっ! ちょっ、気持ち悪い!」
ぞぞっと背中に悪寒が走る。コートを脱いだあたしは薄手のTシャツ一枚だった。
朽木さんの腰に押さえつけられてる足に履くものも、ピッタリとしたスポーツ用スパッツで。
朽木さんの体温をもろに感じる。熱い。気持ち悪い。マジか。マジでやんのか!?
犯す、なんてただの脅しで、ギリギリでやめてくれるかも、という淡い期待は本気の行為に吹き飛んだ。
「バカッ! ヘンタイ! 根暗ゲイ! 拝島さんに言いつけてやるっ!」
身をよじりながら叫ぶけど、朽木さんはやめちゃくれない。
そのうちグイッと両手を上に引かれ、交差する手首を片手で押さえつけられたかと思うと、何かでぐるぐる巻きに縛りあげられた。
柔らかい布――包帯だ。さっき使ったやつをポケットに隠し持ってたんだ、朽木さん。
さすがは鬼畜生徒会長。用意周到な。って、感心してる場合じゃない!
「ホントに言いつけるよ! 拝島さんに嫌われちゃうよ!」
「お前が? 犯されたと拝島に泣きながら告白するのか?」
ニヤリ、とあたしの目を覗き込む朽木さん。あたしはピシリと固まった。
『拝島さん! ひどいんですよ、朽木さんたら、あたしを無理矢理――』
笑えねぇ。どんな悲劇ドラマのヒロインだ。
それで拝島さんに訴えたところで、二人の仲が悪くなるだけで、あたしに得はない。強姦されたという事実に変わりはないからだ。
それだけのことが瞬時に頭を流れ、返答につまったあたしを見て朽木さんの腹黒い笑みが深まる。
「お前は拝島には言わない。言っても仕方ないことだとわかってるからな」
くっ。見抜かれてる。
「優しくして欲しいなら大人しくしていろ。……大丈夫だ。気持ち良くなれる。ストーカーしていたくらいだ。俺に抱かれるなら本望だろ?」
「なっ!」
カッとなった。思わず叫んだ。
「誰が喜ぶかバカっ! 顔がいいからってうぬぼれんなっ! あたしは腐女子だ! 女を抱く朽木さんなんかにゃ興味は――」
うっ、やだっ! スパッツ脱がされてる!
一本の腕はあたしの縛りあげた両手を押さえたまま、もう一本の腕は器用にも腰をまさぐっている。
太ももまでずり下げられたスパッツの下から、自分の肌と、ひっかかって一緒に少しずれた白い下着が覗いてて。
身が震えた。
「強がっても怖いか……やっぱりな」
ぎゅっと喉を絞って黙り込んだあたしに、朽木さんが言う。やっぱりって、何が――
「お前が男性恐怖症なことはお見通しだ」
え?
なに? どういう意味?
その瞬間、真っ白になる頭を轟音が貫いた。
視界を白に染める光。
部屋の中まで切り裂くかのようなそれは、窓から射し込まれ、あたしたちの間を通過する。
稲光。
わずかな間に何度も落とされる耳をつんざくような音と光。雨音も徐々に激しさを増し、窓と共にあたしの頭を叩く。
どうして。腰をゆるりと滑る大きな手は、もはやあたしの意識の外にあった。
あたしが? 男性恐怖症?
「本当は男が怖いんだろう? 素直に悲鳴をあげたらどうだ」
なんの冗談? 男が怖い? あたしが……朽木さんを怖がる――?
ああ。だからか。
溜飲が下がる――憎らしいあたしが怯えることで。なるほど。
朽木さんは、強姦すればあたしが恐怖で立ち直れなくなると思ったわけだ。
傷ついて、トラウマになって、二度と近寄らなくなる。そう考えたわけだ、朽木さんは。
あたしを。
遠ざけようとして。
大事な人がいるはずの朽木さんは。
自分の心を裏切ってまで――――――
そんなの。
そんなの、バッカみたい。
「悲鳴? あたしが? 冗談でしょ」
朽木さんの右手の指先がピクッと跳ねる。
あたしはこみあげてくる衝動的な笑いに肩を震わせていた。おかしくて、おかしくて、たまらなかった。
バカみたい。ああ、ホントにバカみたいだ。
てゆーかバカだ、この男。
「襲われたくらいで、あたしが泣き叫ぶと思ってんの?」
ふつふつと湧き上がるものに突き動かされる。熱を帯びて滑りだす言葉は止まらない。
なめられたもんだ、あたしも。
男が怖い? ねじふせられる恐怖がトラウマになる?
あり得ない。そんなのは。
そんなのは――――
「そんなのは男の浅知恵ってんだバカッ!!」
わずかに首を起こし、勘違い男を睨みつけると同時に言い放つ。
次の瞬間、逃げる間もなく朽木さんの顔が迫ってきて。
――熱いものに、唇をふさがれた。