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Act. 14-2

<<<<  朽木side  >>>>

 

 

「近くに用があってな。ついでに寄らせてもらうことにした」

 

 部屋にあがった神薙海冶は、振り返りもせずにそう言った。

 

「勝手な予定を立てないでください」

 

 俺は苦い思いに開きたくもない口を開いて、更なる後悔に襲われた。何故、外出しておかなかったのか。

 

 神薙海治は休日だというのにいつもと寸分変わらぬ堅苦しい、だが腹立たしいことにそれが似合ってもいるスーツ姿で俺のテリトリーを侵犯していった。

 

 不快感に胸が押しつぶされそうになる。せめてもの反抗心で、続いて部屋に侵入してくる黒服から扉を奪い返し、不機嫌も露に大きな音を立てて閉じる。

 

 黒服は二人。神薙の傍には、いつも黒服が最低二人はついている。それだけあの渋面男が重要人物だということだ。忌々しいことに。

 

「そこそこの暮らしはしているようだな」

 

 こちらの文句には耳を貸す気もないのか、会話を無視する神薙海治はリビングに到達した途端、無遠慮に家財を検分し始めた。

 

 俺はどうすればこの厄介な訪問者を少しでも早く追い出せるか、いまだ硬直気味の頭を必死に回転させていた。

 

 遅れてリビングに到着し、ぎくっと固まる。

 

 神薙海治が、テーブルの上に目を止めていた。そこに置かれている雑誌の表紙には大きく『医薬』と打ってある。

 

 お前に道はひとつしかないと、一般教養と経済学以外の学問に興味を持つことは許されなかった中学時代。

 

 他分野の専門書でも手に取ろうものなら、即座に焼かれてしまった苦々しい経験を思い出す。

 

 だが、次に神薙から出た言葉はそれとはまったく無関係のことだった。

 

「レコードを聴くのか」

 

 恐らく、隙間なく詰められたレコードラックを見ての質問だろう。いたって普通の話題にわずかながらに拍子抜けした。

 

「ええ。見ての通り」

 

「いい趣味だ。私も数百枚持っている。機械は蓄音機ではないのだな」

 

「別に、レトロが好きなわけでもないので」

 

「家具も最近のものだな。ソファはイタリア製か。悪くない。アンティークばかりが良いとは限らんからな」

 

 だからなんなんだ。この男に褒められても嬉しくもなんともない。

 

「何しに来たんです。ここでインテリアの品評会でも行うつもりですか?」

 

 要点の見えない会話に苛立ちが募る。わかっている。神薙は世間話などというもので時間を潰すような男じゃない。

 

 真実言いたいことは、その会話の中に隠されているのだ。不安が頭をもたげ始める。

 

「有名デザイナーをピックアップしておこう」

 

「だからなんの……」

 

「お前の趣味にあう部屋を作る」

 

 ハッとした。

 

 俺の――部屋を作る?

 

 どこに?

 

 周囲が闇に侵されていくような錯覚の中、目の前で振り向いた神薙海治の表情の中にその答えはあった。

 

「自分がくつろげる空間は必要だ。屋敷の外装と合わん場合は、離れを作らせよう」

 

 屋敷。神薙の屋敷に、俺の部屋を作ろうと言うのだ。俺の意思など確認する必要もないとばかりに、あるべき過程をすべてすっ飛ばして。

 

「勝手な――ことを――」

 

 声が掠れる。

 

「友人知人との別れもすませておけ。もうこの地に戻ってくることはない」

 

「ふざけるなっ!」

 

 力任せに拳を叩きつけた。

 

 染みひとつない純白の壁に小さな亀裂が走る。

 

「俺がいつあんたの屋敷に行くと言った! 跡継ぎの話はきっぱりと断ったはずだ!」

 

 叫びながら、あの時の言葉が何の意味も持たなかったことに対する失望と、そもそもこいつに話が通じると思ってしまった自分への腹立ちと、やはりどれだけ時が経とうと神薙は神薙だという奇妙な納得感に同時に責めさいなまれ、俺の心は悲鳴をあげた。

 

 駄目だ。逃げられない。嫌だ。捕まりたくない。

 

「薬学を勉強してなんになる。お前にとって薬はただの商売道具だ」

 

「決めつけるなっ!」

 

 喉の奥がひりついた。様々な感情が頭の中で渦を巻く。

 

「俺は、今までも、これからも経営者になりたいとは思わない!」

 

 叫んでも無駄なのだと。冷ややかに細められる優越者の目に、諦めにも似た気持ちが湧いてきて、それがますます俺を焦らせる。

 

「薬学の方が魅力的だといえるのか?」

 

「少なくともあんたの会社を継ぐよりはな! 意義のある仕事だ!」

 

「処方箋通りの薬をただ黙々と作ることがか? 六年も時間を費やして、できることは限られている。そんな世界で自分が満足できると本当に思っているのか?」

 

 言葉に詰まった。

 

 そんなことはない――そう言いたいのに、何も浮かんでこなかった。

 

 確かに、スキルを活かせる場が少ないことに不満を抱える薬剤師は多い。調剤自体に大した技術はいらないからだ。

 

 薬剤師免許など、申し訳程度の特権を与えるものに成り下がってしまっている現実がここにある。

 

 だが、やりがいがどうだというのだ。ただ黙々と調剤することだって立派な仕事だ。俺は仕事を選ぶつもりはない。――はずなのに。

 

 何故、声が出ない。

 

「才能は効果的に使え。いずれ物足りないと感じる時が必ずくる。お前は神薙の人間なのだからな」

 

「違う――」

 

 神薙じゃない。俺は朽木家の人間だ。

 

 朽木家の――――だがあの家に、俺の居場所はあるのだろうか。

 

 俺は本当に、父と母の子でいていいのだろうか。

 

「蓮実が苦手なら遠ざける。一刻も早く、お前にふさわしい場所に来い。こんなものを――」

 

 言いながら、神薙が手に取ったものは、俺の心臓を凍りつかせた。

 

 駄目だ。それを取り上げないでくれ。それは俺と――

 

「読み続けるよりは、よっぽどお前にとって有益だ」

 

 バサッ、と音をたてて、ソファに叩きつけられる本。大きくひずむ『薬』の文字。

 

 その瞬間、頭が真っ白になった。

 

 それは、俺と、あの人の。

 

 あの人が、教えてくれた、大事な――

 

 

 

『どうだ、おもしれーだろ。薬ってのは』

 

 

 

「――っ、神薙ぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

 

 

 

 本能のたぎるままに掴みかかる。グレイのネクタイの根元を引き上げ、左の拳を振り上げる。

 

 だが。

 

 

「冬也」

 

 

 真っ直ぐに俺を射抜く針のような瞳。深い氷のうろ

 

 一瞬にして、絶対的に超えられない壁を突きつけられた。

 

 冷水を浴びせられたように動きが止まる。

 

 黒い影。

 

 いつも窓際に立ち、服従を要求する、大きな黒い影。

 

 従え。従え。従え。

 

 それしかお前に生きる道はない。

 

 お前に手を差し伸べてくれる人間は、もはや誰もいないのだ。

 

 

 諦めろ――――

 

 

「会長! ご無事ですか!」

 

 気づけば俺は床に取り押さえられていた。

 

 力強い黒服の握力をぴくりとも動かなくなった首の後ろに感じる。腕は二本とも取られていた。

 

「問題ない」

 

 ひと呼吸の乱れもなく落ち着いた声が重く響く。神薙は無傷だ。

 

 

 また――殴れなかった――――

 

 

「冬也」

 

 再び俺の名が呼ばれた。

 

 頭上にある神薙の表情を窺い見ることはできない。頭を押さえつけられているからだ。幸いなことに。

 

「今年いっぱいは自由を与えてやろう。その間に身辺整理をすませておけ」

 

 神薙の気配が、離れる黒服と共に遠ざかっていく。だが俺を戒める鎖は解けない。

 

 

 どうして俺はこいつを――――

 

 

「次に会う時、お前は神薙だ」

 

 

 

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