Act. 13-7
<<<< 栗子side >>>>
どのくらい話し込んでいたんだろう。気づけば辺りの様相はすっかり変わってて。
どんどん深い藍色に染められていく茜色だった空。寂しくなっていく人通り。日はもうほとんど暮れようとしていた。
やば。バイトに遅刻する!
あたしは庄司さんたちに、慌しく手伝える曜日、時間帯などを教え、連絡用の電話番号を紙にメモして渡した。
そして庄司さんからも携帯番号を教えてもらい、急いで自分の携帯に入力している時だった。
「……グリコ?」
うおっ! この声は!
今日一番聞きたかった声が、あたしが塞いでいたわき道から、あたしを呼んだのだ。
「朽木さん!」
振り返ると、ややお疲れ気味か、翳りのある朽木さんが、道の真ん中で呆然とあたしを見つめていた。
会えた! ラッキー!
でも残念。やっぱり白衣は既に脱いだあと。
「じゃあ、お菊ちゃん、また」
遠慮してくれたのか、庄司さんたちがあたしに手を振って横を過ぎていく。
てゆーか庄司さんまで『お菊ちゃん』て。
あれで定着するんだろうな、あたしのあだ名……。
微妙な気分で校門へと去っていく三人に手で別れの挨拶を返す。と。
「すっかりここの学生気取りか」
む。しょっぱなから嫌味モードか、この男。
視線を戻しながら、相変わらずの態度の朽木さんをギンッと鋭く睨みつける。
「ちょっと朽木さん。こないだからナニ、そのトゲトゲした態度と嫌がらせ。バイトの制服がコーヒーまみれになっちゃったじゃん、どうしてくれんの!」
とりあえず、文句は言っておかねばなるまいて。
早速鼻息荒くまくしたてると、朽木さんの瞳に嘲笑を含んだ敵意丸出しの色が浮かんだ。
「そんなのは洗えばすむことだ」
「染み抜きはそれですんでも、あたしの気がすまんわっ! 遊園地でのことといい、わけもわからずこんな嫌がらせを受けるいわれはないよ!」
不法侵入しようとして撃退されるんならともかく。わざわざバイト先まできて報復なんて。
しかし、ひとに怪我させときながら今日もふてぶてしい態度の朽木さん。反省なんて、かけらもしてなさそうな、どころかますます不機嫌さに磨きがかかったような冷たい目であたしを見下ろす。
「ない、とはよく言えたもんだな。ストーキングに盗聴盗撮。まだまだ山ほどある」
「うんうん。下着を盗もうとしたりとか、風呂を覗こうとしたりとか、ってそんなん可愛い乙女の暴走じゃん! 今んところ未遂で終わってんだし、朽木さんだって毎回きっちりお仕置きしてきたじゃん!」
「ああ、してきたがな。それでも一向に犯罪行為をやめようとしないお前にいい加減堪忍袋の緒が切れた。そういうことだ」
そういうこと。ぱっと聞きは筋が通ってるような気もする。
でも。
「そりゃ、確かにあたしのやってきたことに腹は立ってるだろうけど……」
でもやっぱり。
なんかおかしい。納得いかない。
あたしは声のトーンを落とした。
「……ホントにそれで怒ってるの? 思いあまってあたしにコーヒーぶちまけるほどに?」
「そうだ」
朽木さんはしゃあしゃあと答えるけど。何か隠してる。そう感じた。
それが何故かはわからないけど、確かなことはひとつ。
「もし、本当にあたしがやったことで痛手を受けたんなら、言ってくれればあたしだって謝るくらいするのに。黙々と嫌がらせすることないじゃん」
原因は、なんにしろあたしにある。朽木さんがこんだけ怒ってるんだから。
だからあたしは肩を落として少し低姿勢になった。
今まで気に障ることしてきたのはホントのことだし。謝ってすむことなら謝ってしまうのが一番てっとり早い。
ともかく。こんな状態がいつまでも続くのは嫌だ。
だけど朽木さんは。
「あれだけのことをしてきて今更謝られてもな」
などと、なんとも心の狭いことを言いやがるのだ。
人がせっかく謝ろうとしてんのに、なんだその態度。
でもムッとしつつも、
「とにかく理由を言うだけ言ってみてよ。こんな状態で二度と近づくなって言われたってきけるわけないじゃん。納得できないよ」
低姿勢を続けるあたし。女は忍耐だ忍耐。
そんなあたしに、朽木さんはため息をつきつつ答えた。
「昨日のあれで理解してくれたかと思ったが。いいだろう……頭の悪いお前にもわかるようにはっきりと言ってやるよ」
忍耐だ忍耐……。
「しつこいお前に嫌気がさした。もっと言えば目障りだ」
忍耐……。
「俺と拝島の前から消えろ。それだけの話だ」
にんたい……。
できるかこのやろう。
「そんなの、最初っから態度で示してたじゃん! 今更じゃん! それだけが理由じゃないことくらい、あたしにだってわかるわっ!」
とうとう我慢できなくなり、あたしは朽木さんの胸元に掴みかかった。
わき道の中にそのまま数歩入り込む。
ようやく明かりが灯り始めた外灯の白い明滅が端正な顔を微かに照らした。
その顔は、背中がぞくっとするほどに冷たい顔で。
「いちいちうるさいんだよお前は」
ぐっと手首を掴まれ、緊張が駆け抜けた。
あ。やばい。
「他のどんな理由があろうと、お前には関係ない。ずけずけと人の事情に踏み込もうとする、そんな図々しいところも癇に障るんだ」
昨日はこの体勢から投げ飛ばされたんだった。と気づいた時にはもう体をぐいっと引っ張られる。
だけどここは大学の構内。朽木さんがあまり目立ったことはしたくない場所だ。
談笑する学生たちが横の大通りを楽しげに通り過ぎていく。
朽木さんも同じことを思ったのか、ちらりとそちらの方を一瞥し、チッと小さく舌打ちした。
それから再び底冷えのする瞳をあたしに向け、
「学内でなけりゃ腕の一本くらいへし折ってやるんだがな……言っておくが、俺は本気だ」
などとあからさまな脅しを言うもんだから。
「あたしだって本気だっ!」
売り言葉に買い言葉。つい頭にきて怒鳴ると同時に、昨日のお返しとばかりに正面から膝を蹴りつけた。
痛みに顔を歪める朽木さんが力を緩めた隙に身を離し、さっと距離を取る。
なんだよそれ。なんだよそれ。
「脅したってなにされたって、本当の理由を言いもしないのにきけるかっての! 力ずく上等! こっちだって徹底抗戦だよ!」
腹が立つ。腹が立つ。腹が立つ。
ナニこの一方的な壁。まともに相手する気なんかないってか?
きつく言えば、いつかあたしが諦めるだろうと思ってる。
あの時と同じだ。章くんを突き放そうとした時の朽木さんと。章くん、きっとこんな気持ちだったに違いない。
本当の理由を隠されて、うわべだけの言葉を投げつけられる。こんなにムカつくことはない。
「徹底抗戦か……いいだろう。お前が俺と拝島の前から消えるまで、容赦なく叩き伏せてやる」
「望むところだよ。どんな嫌がらせされたって、朽木さんなんかにゃ負けない」
『そろそろ、朽木さんのストーカー、やめたら――』
そんなの、認めるもんか。
「フン。口だけは達者だな。その強気いつまでもつか――わかってるだろうが手加減はしない。お前がストーカーをやめるまで、俺は本気で」
「あたしは、絶対に、ストーカーやめないっ!」
認めてたまるもんか。絶対に。
こんな一方的な脅しに屈したなんて、あたしの人生にあっちゃならない。
例え殺されたって、あたしはストーカーをやめない。死んだら化けてでもストーカーを続けてやる!
「見つからないように、こっそり陰から覗いてりゃいいんでしょ! そんなん、あたしの勝手じゃん! 朽木さんに指図されるいわれはないよ!」
ムカつきはどんどん膨らんでいって。
もう冷静でなんかいられない。そう察したから、あたしはくるりと背を向けた。
ここじゃあダメだ。人目が多すぎる。朽木さんの仮面を外せない。
なにより、今は朽木さんの顔を見ていたくない。
「なに言っても無駄だからね! あたしはやめないっつったらやめない!」
朽木さんの反攻を受ける前に、言い捨てると逃げるように駆けだした。