Act. 13-2
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「さんきゅーな朽木。またよろしく頼むぜ!」
「できれば独力で頑張ってくれ」
どこまでも厚かましい高地に冷ややかな一瞥をくれ、俺は高地と図書館を後にした。
外はもう完全に夜の気配だ。結局、閉館ぎりぎりまで高地の勉強に付き合わされた。
やる気があるのはいいことなのだが、俺の勉強する時間を奪われるのはたまらない。
「あ~~CBT終わるまでは祥子ちゃんとおちおちデートもできねー。俺のいない間に祥子ちゃんに悪い虫がつかねーか心配だよ」
「一番悪い虫はお前だろ。もう少し現状と自分をよく見つめなおした方がいいぞ」
言いながら暗がりの中、携帯電話を取り出す。
時間を確認しようとディスプレイを開いてみれば、新着メールの通知が表示されていた。
「メールか……」
「おっ。グリコちゃんからか?」
すかさず高地が反応する。
覗き込もうとするのを手で押し返しながらメールを開くと、確かにグリコからだった。
『遊園地での態度はどういうことだ! あたしのコトばらしたのも! そろそろ教えてくれてもいーじゃん。なんでそんなに不機嫌なわけ?』
すぐに携帯を閉じ、どうしたものか考える。
メールの返事を書くつもりはない。余計なことは一言も漏らしたくないからだ。
あいつに拝島の気持ちを教えてたまるか。
どうにかしたいのはグリコそのものだ。そもそもあいつさえ排除できればこんなに悩む必要はない。
さりげなく俺と拝島の前から姿を消させるにはどうしたらいいのか――
まったく打つ手がないわけじゃない。グリコの排除を考える時、まず頭に浮かぶことがある。
だがその手段は俺にとっても楽しいものではないため、すぐに却下される。できればそれ以外の方法でグリコを追い払うことができればいいんだが。
「なぁ、お前とグリコちゃん、本当に付き合ってねーのか?」
と、隣を歩く高地から唐突に不愉快な質問をされ、俺は露骨に顔をしかめた。
「しつこいな。あんな女と付き合うわけないだろう」
「じゃあ、グリコちゃんが誰かと付き合っても、お前、気にしないよな?」
「当たり前だ。大体グリコにはもう男がいるだろ?」
言うと、高地は難しい顔で「うーん」と唸った後に答えた。
「グリコちゃん、彼氏とは別れたんだとよ。こないだ喫茶店できいた」
なにっ!?
「彼氏と……別れた? グリコがそう言ったのか?」
「おう。うまくいかなかったとかなんとか。拝島も一緒にその話をきいた」
拝島も……。
握った拳に力がこもる。
あの――――――馬鹿女!
なんでいきなりそんなことを言ったんだ!? 自分がフリーになったみたいなことを!
これじゃますます拝島の気持ちがお前に傾くじゃないかっ!!
「なぁ、朽木。俺、思うんだけどさ」
続けて何かを言おうとする高地を置いて、俺は足早に校外へと向かった。
「って、あれ? 朽木!? おーい! どこ行くんだよ!」
「家に帰るに決まってるだろ!」
のんきな高地を怒鳴りつけ、もはや小走りとなった足が徐々にスピードを増すがままにまかせた。
校門を突っ切り、この時間帯ならいるだろうあいつのバイト先へと。
もう、野放しにはできない。
やはり一刻も早くあいつは排除すべきだ。
こんなに心が乱れてばかりでは、勉強にも身が入らない。そんな状態がいつまでも続くのは御免だ。
「いらっしゃいませ~」
「なにがいらっしゃいませだ!」
件のファーストフード店に駆け込み、のうのうと営業スマイルを向けてくるグリコに、俺は開口一番、怒声を浴びせた。
「ひょわっ! なっ、朽木さん。いきなりなんのヤクザプレイ!?」
「お前は一体どこまで俺の――」
「桑名くん、塩」
その時、俺の言葉を遮るように放たれた声は、グリコと同じくカウンターの向こうに立つ店長とおぼしき男からのものだった。
「こういう客には撒いてもいい」
真っ直ぐにグリコの目を見つめ、どこにそんな物を用意していたのか、塩が山盛り入った枡を手にきっぱりと言う。見返すグリコの目が微かに潤んだ。
「店長……」
なんだ。この心が通じ合った瞬間のようなドラマチックな間は。そっと枡を受け取り、静かに頷くグリコ。
いや。ちょっと待て。
「んじゃ、遠慮なくいかせてもらいます! どわりゃあああああ!」
「コ、コーヒーとポテトのS!」
次の瞬間、塩を掴んで大きく振りかぶる少しも躊躇いのない姿に負け、思わず叫ぶと、
「桑名くん、注文!」
「らじゃっ! 280円になりま~す♪」
空気は一転してニコニコの接客モードにすりかわった。
なんだこの店。ノリがおかしいだろ。
さすがグリコのバイト先だと冷や汗を拭いつつ、渡された番号札を手に席に行く。
待ちながら気を落ち着けた。
冷静になれ――
グリコはいつもこうだ。
妙なノリやふざけた態度で俺の怒りをかわす。俺がどれだけ怒っても真剣に受け止めようとしない。
だから俺も怒るのが馬鹿らしくなり、つい甘い顔をしてしまうようになったが。
それじゃ駄目なんだ。ますますあいつを増長させてしまう。
俺の本気を伝えるためには、少々手荒だが――
「お待たせしました~。コーヒーとポテトのSです」
「グリコ」
品物を手にやって来たグリコを俺は鋭く睨みつけた。
「ほいほい。で、なに? ようやく話してくれる気になった?」
がらりと態度を変えたグリコが俺の前の席に座り、足を組んで不敵な笑みを浮かべる。
俺の怒りの理由などこれっぽっちも想像つかないのだろう真っ直ぐな視線とふてぶてしい態度。その余裕っぷりに腹が立つ。
「架空の彼氏との別れ話をいきなりでっちあげたのはどういうわけだ?」
「へ? 別れ話? 架空の……ああ、こないだ喫茶店でみんなに言った話?」
「そうだ」
「別に、深い意味はないんだけど……もう嘘も苦しくなってきたし。あたしに彼氏がいるなんて、いかにも嘘くさいじゃん? なんでそんな嘘ついてんだっていずれ突っ込まれたらメンドイな~と思ってさ」
……なるほど。
「それに、あたしに彼氏がいるとかいないとか、誰も気にすることじゃないし。いらん設定つけてんのも邪魔くさいや~と思ったんだよね」
内心の舌打ちを隠し、コーヒーの蓋を取り払う。
気にする奴が――――いるんだよ! お前がわかっていないだけで!
こんな鈍感で腹黒女のどこがいいんだ、拝島は!
「で? いい加減教えてよ。なんでそんなに機嫌悪いの……」
バシャッ
「これが理由だ」
望みどおり、答えてやった。
グリコの時間が止まる。
茶色の液体を前髪から滴らせ、笑顔のまま一瞬凍りついた後。
バンッ、とロケット発射のように勢いよく椅子から跳ね上がった。
「にょわちぃぃぃぃぃぃっ!!」
ふん、いい気味だ。
慌ててトイレに駆け込んでいくグリコの姿に溜飲を下げ、俺は立ち上がって席を離れた。
店の奥から響くやかましい声から遠ざかる。
「アチッ! アチッ!」
大袈裟な奴だ。ここのコーヒーが大して熱くないことは知っている。火傷するほどでもないだろうに。
そのまま店を後にした俺はすっきりした気持ちで家路を辿った。
今日はこのくらいでいいだろう。あいつが来るたびにこうして手痛い目にあわせてやれば――
そのうち、俺に近寄らなくなる。
……だといいんだが……。
そんな方法で撃退できるんなら、とっくの昔にあいつはストーカーをやめている。
多少の痛みを与えたくらいでこたえる奴じゃないから厄介なんだ。
どうせまた明日になれば、ケロッとした顔で――
「むがぁぁぁあああぁぁぁあああぁぁぁぁぁっ!!」
って今日来たか!?
咄嗟に身を捻りながら振り返った俺の横腹に、飛びかかるグリコの頭突きが襲ってくる。
「ぶっころぉぉぉぉぉぉぉぉすっ!」
イノシシかっ!?
あまりの素早い動きに避けきれず、直撃を食らった俺は、
「ぐっ!」
とたまらず数歩後退った。なんという重量感。
俺の前では仁王立ちしたグリコが怒りのオーラを発している。
「あちいじゃんバカっ! ケンカ売ってんのかこの鬼畜っ!」
「ああ、そうだとも……」
ふらつく体を起こしながらグリコを睨みつける。
「見てわからんのか。売ってるんだよ、この変態女っ!」
剥き出しの脛をローキックで蹴りつけてやると、がくっと一度膝を折った後、
「あたしが何したってのさ、怒りんぼ!」
すぐに起き上がって俺の襟に掴みかかってくるグリコ。
「いつもしてるだろ! 俺の気に障ることばかり!」
「そりゃ悪かったですね~。でも協力もしてあげてんじゃん!」
「お前がいつ協力した!?」
「拝島さんとの時間を作ってあげてるじゃん! そりゃこないだのは失敗したけどさっ。一応、頑張ったんだから認めてよ!」
「誰が認めるか! そもそもお前の協力なんかいらないと言っただろ!」
「よーゆうよ! 何もできないヘタレのくせに!」
「ヘタ……! なんだと貴様っ!」
投げ飛ばした。
道の端の電信柱に向かって。
「ぶぎゃっ!」
奇声をあげ、電信柱で一度バウンドした後、顔から地面に落ちるグリコ。
さすがに痛かったのか、呻き声をあげながら地面に突っ伏したままピクピクと痙攣するのみで起き上がってくる気配はない。
「ひ、ひどっ……」
「散々プライパシーの侵害をしてくれたお礼だ! これに懲りたら、もう二度と俺をつけまわすな!」
冷たく怒鳴りつけると、わずかに咎める良心を押し込め、動けないグリコを置いてその場を去った。