Act. 12-13
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「あ」
待て。待て待て待て。
上下逆さまになった紙袋が、中のものをぶちまけながら遠のいていく。
ドサドサドサッ。地面に広がり落ちた本は予想通りのもので、さすがのあたしも血の気が引いていくのを感じた。
「いっ」
高地さんが目を丸くして地面のものを凝視する。
真昼と祥子がそろって『あっ』と声をあげる。
拾おうと席を立ち上がった拝島さんが、しゃがみこみ、本に手を伸ばしたところでぎょっと固まる。
「これ……えっと……」
あたしにコメントを求めないでいただきたい。羞恥心なんぞないけど、それなりに気まずい空気は伝わってくるのだ。
しーん、とその場に沈黙を落とした地面に散乱するモノ。
BL本。
そう、それはあたしのBLマンガ本だった。
それもかなりきわどい表紙のやつで、メガネをかけた男子が半裸で縛られてたり、可愛い少年がフェロモンむんむんの男にいじられている図がバッチリもろ見え全開となっているのだ。
見なかったふりをするべきかどうか。拝島さんの顔に懊悩が駆け抜ける。
しかし、見てしまったものをなかったことにはできない。仕方ない。あたしは観念することにした。
「あたしの愛読書です。朽木さんちにちょっと置かせてもらってたんです」
「愛読書!?」
あがった驚きの声は、拝島さんの向こうに座る高地さんのものだった。
「これってアレだろ? BLとかいう、えーと、男と男の同性愛もので……」
「そうです。BLです。あたし、同性愛が好きなんです」
きっぱりと言い放つ。
「そ、それってまさか、いわゆる腐女子……」
「はい、腐女子ですよ〜。びっくりしました?」
ニッと明るくチャラけてみせた。
ここでへたな言い訳をしても仕方ない。疑念はどうせ残ってしまうのだ。
もともとあたしは自分が腐女子であることをあえて隠そうとは思わないタイプだ。
今まで高地さんと拝島さんに隠してたのは、あたしが朽木さんに近づいた理由を悟られないためだった。
だけど、よくよく考えてみれば、あたしが腐女子であることと、朽木さんがゲイであることは、すぐには結びつかないだろう。
それに、腐女子であることがバレた方が動きやすい場合もある。
「いやぁ〜確かにびっくりした。朽木、知ってたのか?」
「ああ。こいつは前々から、俺の部屋にこういうものを持ち込んでくるから困ってたんだ」
「まさかとは思うけど、お前もこういういの読んだり……」
「するわけないだろ。勝手に置いていくんだ、こいつは」
ため息と共に吐き出す朽木さん。
「いい加減、警察に突き出そうかと思ってたところだ。こいつは頭の中で俺と拝島をくっつけちゃ、その妄想を嬉しげに語ってくるんだ。俺と拝島にとってはいい迷惑だ、まったく」
「俺と朽木!?」
ぎょっとした顔の拝島さんがあたしを振り向く。
おや。それをバラすなんて意外。
もしかして、朽木さんも同じことを考えてるのかな?
そうとくれば、遠慮なくあたしも腐女子全開でいかせてもらおう。
「えへへ〜。だって拝島さん、可愛いじゃないですか。カッコイイ朽木さんに抱かれてる図なんてもう、腐女子にとってはどっきゅんハート直撃もんですよ!」
「ぐえっ! マジで!? 拝島がされる側なのか。あんま想像したくねぇな〜」
高地さんが嫌そうに顔を歪める。
「想像されても困るって! 可愛いって言われても、微妙な気分だし……」
まぁそうだろうね。
あたしは席を立ち、困惑する拝島さんの前にしゃがみこんだ。
いつまでもこういうのを公共の場に晒しておくもんじゃないし、とっととBL本を片付ける。
「BLには『受け』と『攻め』があるんですよね。拝島さんっていかにも『受け』で、ちょうど朽木さんが『攻め』っぽいんですよ。どうですか? 意外と気持ちいいらしいですよ、男同士も」
「いや、どうって言われても……。俺、そっちの趣味はないし。朽木は友達だし、そういうのはあんまり考えたくないっていうか……」
「男同士なんて、って考え方は偏見ですよ、偏見! 友情がいつしか愛情に変わったっていいじゃないですか! ネ、そういうわけで、ちょっくら禁断の園の扉を開けてみませんか?」
「栗子ちゃん! 妙なこと言わないで! 俺と朽木が気まずいだろ!?」
「とかって、まんざらでもないんじゃないですか〜? 顔が赤いですよ〜?」
ニヒヒヒ、と拝島さんの頬をつつく。拝島さんはますます赤くなってうつむいた。
そう。純情な拝島さんのこと。こういう風にからかわれれば、意識しないわけにはいかないのだ。
最初はその気がなくても、段々と朽木さんを『そういう目』で見るようになるかもしれない。
これが、腐女子であることをカミングアウトする利点なのだ。言葉攻めで朽木さんを意識させ、気持ちを錯覚させる。
相当腹黒い手段だけど。なかなか進展しない二人だから、あたしが一肌脱いであげるしかないじゃーないですか!
栗子、頑張っちゃいますよ〜〜!
「そのくらいにしときなさいよグリコ」
と、その時。
やや冷ややかな呆れ顔の真昼があたしを止めに入った。
「拝島さんが可哀想でしょ? 自分で妄想されてるなんて、誰だって気持ちのいいことじゃないわよ」
う。正論が突き刺さる。確かに、それはあたしもチクチク胸が痛むところだ。
「拝島さんに謝りなさいよ。あんたの鈍感は今に始まったことじゃないけど、今回はやりすぎ。あんた、どんだけ拝島さんを傷つけたかわかってないでしょ」
へ? 拝島さんを傷つけた?
なんで傷つくことがあんだろ。思わずうつむく拝島さんの顔を覗きこむ。すると。
げっ! 本当に泣きそうな落ち込んだ顔をしてる! も、もしかしなくてもあたしのせい!?
「ごめん拝島さん! そ、そんなに嫌だった!? ウソウソ! やっぱり女の子がいいよね? 男だもんね?」
あたしは慌てて拝島さんの手を取り、180度、がらりと態度を変えてフォローした。
うは。章くんの時といい、あたしはどうやらカワイコちゃんの涙に弱いらしい。
ごめん、朽木さん。ここは裏切らせてくれ。拝島さんを泣かせることはできない。
「可愛いってのもあたしの歪んだ視点から見てだから、ちゃんと普通はカッコイイって思うよ、拝島さんのこと! うん、自信を持って! 拝島さんほどステキな人はなかなかいないから! 絶対、どんな女の子もメロメロになるから! あたしが保証する!」
バン、と肩を叩いて励ますと、拝島さんの悲しそうだった目が、少しずつ元気を取り戻してくる。
よっしゃ! その調子だ拝島さん! 男は強気が一番!
「あたしはホラ、この通り変態だから無神経なことたまに言っちゃうけど。朽木さんみたいに、またなんかアホなコト言ってんなコイツ、って軽く流してくれればいっから! ムカついたら殴るのも全然オッケー! むしろバッチこーい!ってカンジなんですよ、ホント!」
段々自分でナニ言ってんだかわかんなくなってきたけど。とりあえずあたしの必死さは伝わったらしい。
拝島さんの顔から、くすっといつもの笑みがこぼれ、あたしはホッとした。
「別に、ムカついたとか、そういうのはないよ。ちょっと驚いただけで」
「本当に? 殴りたかったら殴ってもいいですよ? あたしMだし」
「まさか。女の子を殴れないって」
「朽木さんは毎回のように殴ってますよ?」
「ああ、そっか。朽木がやたら栗子ちゃんを怒鳴るのはそういうわけなんだ?」
「そーなんですよー。もう手加減なしですよ、朽木さん。あ〜〜、拝島さんは優しくていいなぁ〜。どこかの誰かさんとは人間の器が違うっていうか」
言いながら、まだそこに突っ立っている朽木さんにチラリと視線を投げる。
朽木さんはムッと眉をしかめた。
「お前の変態に始終曝されていれば、誰だって心が狭くなる」
「朽木さんの狭さはもとからでしょ。一寸の腐女子にも五分の魂って言葉知ってる?」
「くさい物はもとから断て、なら知ってるな」
「ゴミ扱い! ききましたか拝島さん? ゴミ扱いですよ? あの容赦のなさ! 拝島さんがあんな風になっちゃうのは嫌ですが、もう少し、拝島さんもアレを見習って、遠慮をなくしちゃった方がいいですよ?」
「あはははっ! む、ムリだよっ。朽木みたいな鋭い突っ込み、俺にはできないよ」
「黙ってろこの変態! くらいの突っ込みはいつでも受けて立ちますから」
「俺、栗子ちゃんの趣味を共感はできないけど、変態なんて思わないよ? 人それぞれだからね」
そんなのきれいごと。
歪んだ見方をすれば、そう言えちゃうんだろうけど。
拝島さんは、心底そう思ってるような澄んだ瞳をしているから、素直にその言葉を信じられる。
よかった、笑ってくれて。こんなキレイな瞳を泣かせたかと思うと目覚めが悪い。
あたしはふうと息をついた。
「いい人ですよね、ホント、拝島さんって。いつまでもそのキレイな心のままでいてくださいね?」
「栗子ちゃんもいい子だと思うけどね」
「そんなフォローはいいですよ。あたしは濁った自分でいたいんですから」
袋にしまった本を抱えて立ち上がる。
そろそろ周囲の視線が痛い。ドラマの撮影か? って目で見られてる気がする。見物料とるぞこの野郎。
もうこの話はここでオシマイ。うん、そうしよう。
「雑草みたいにしぶとく生きたいですからね!」
複雑そうな顔をする拝島さんに向かい、ニカッと笑って言うと席についた。
そんなこんなで食事は終わり、その後あたしと朽木さんの関係について言及されることはなかったんだけど。
気になるのは朽木さんの様子。
あたしのカミングアウトの一件から、なにやら暗い表情になり、その後ほとんど口をきかなくなってしまったのだ。
あれほど執拗に仕掛けてきた意地悪もぱったりなくなって、拍子抜けするやら気味が悪いやら。
一体どうしたんだろう、朽木さんは。
拝島さんに泣かれそうになったのが、よほどショックだったんだろうか。
そうだよね。自分とのカップリングをあそこまで嫌がられちゃ、そりゃ傷つくってもんだよね。
でも望みがなくなったわけじゃない、とあたしは思う。
朽木さんの真摯な気持ちを知れば、きっと拝島さんは受け入れてくれると思うんだ。
あんだけ優しい人なんだもん。
きっと大丈夫。……だと思う。
あたしは前向きな気持ちで拳を握った。
夕暮れの大きな太陽に見送られ、別れの手を振るみんなに背を向けて。
ゆっくりと歩きだしたものの。やがて弾んでくる心と共に速まる足を抑えられず。最後には家路を駆け抜けた。
正反対の二人が互いに想い合う日。
その日がくるのを、待ち遠しく感じながら。