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花の記憶  作者: カザ縁
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嘘つきな笑顔

いつものように太陽が空の高い位置から微笑みかける午後。

普段籠りきりの教会の外から出て、太陽の日差しを乱反射する海に目を細めて歩いていた。港にほど近い商店街の前まで歩くと、懐かしい顔があり足を止める。

こちらに気が付いたのか、少し背の高いクセ毛の男は手に持っていた紙から目を離し、最後に見た時のように柔和な笑みで会釈をした。


「やあ、これは神父様。お久しぶりです」

「お久しぶりです。此方へ戻って来られたのですね」

「ええ、戻ってきましたとも。ここの海産物は珍しいからよく売れるんです。まあ、腐り易いのが難点ですけど。綺麗な貝殻なんかも多いし加工すれば高値で売れますし」


神父は男の足下に置かれた荷物をちらりと見た。

どうやって背負っているのかわからない程、あらゆる物が飛び出した巨大なリュックに、恐らく大量の本が入っているであろう風呂敷包み。持ち手のついた病院でぐらいしか見かけない大きな薬箱からも薬草がちらりと飛び出していた。

相変わらず驚くほどの荷物の多さだ。

そんなに体格が良いとも言えないのに、よくもこれだけの物を持ち運べるものだと神父は感心した。しかしこれが行商人たる彼の大事な“商品”の数々なのだ。


「まだここの街での商売はこれからですけど、神父様には特別に仕入れた物をお見せしますよ。こないだ神父様が薬草の代金にくださった本、あれは高値で売れましたからね。神父様が買われた薬草の値よりも随分…大儲けです。そのお礼に」


特徴的な茶色の瞳の猫目を更に細めて、人好きのする笑顔を振りまく商人。こちらも相変わらず盛況なようである。


「それは良かったです」

「返せと言っても無理ですからね。もちろんお金も…と、まあ神父様がそんな俗で卑しいことを言うわけ無いですね」


ははは、と声に出して笑う商人に、神父は苦笑いで返した。

ほかの顧客には本当に愛想が良く、また品も良い知性のある商人なのだが、神父たる自分の前では己を隠そうとはしないらしい。それが彼の面白味なのだろうが。

ふと、商人の胸元に、見覚えのある黒いリボンが付けられているのに気が付いた。


「どなたか…お亡くなりになられたのですか」


神父が問えば、商人はああ、と力無く気まずそうに笑った。


「うちの商会の会長が先日ポックリ」

「それはお気の毒に。ご冥福をお祈りします」

「ああ、結構ですよ。勿体無いです。祈っても死人からお金取れませんからね」


祈りとはそういうものでは無いと思うのだが。と、神父が言っても無意味なのだろう。

商人はへらりと口元を緩ませて微笑んだ。


「それより聞いてくださいよ。これがね、もう爆笑ものなんです。こないだ会長の送魂式があったんですけどね。その時の司祭様が“会長殿は生前数々かずかずの善なる行いを積み重ねられ、今際の時に笑って逝かれた”なんて言うんですよ。あの業突張りの爺さんが!そんなわけないじゃないですか。ねぇ」


ねえ、と言われても神父は実際に会長を知らないし、死に際を見たわけでも無い。

なんと返すか困って、曖昧な笑みを浮かべた。


「死に際に僕になんて言ったと思います?“あの世の番人に渡す賄賂を寄越せ”ですよ。あの世の沙汰も金次第なんて迷妄信じてるわけでもな無いクセに卑しいですよね。まったく…あんな業突く張りが世間では成功者、人格者として言われるのですから世も末ですね」

「ずいぶんユーモアのある方なのですね」

「いえいえ本気でがめついんですよ、あのじじいは」


いつの間にか“爺さん”から“じじい”に呼び名が変わっている。口許は笑っているが目許が妙に怖いなと神父は思った。


「だいたい…胡散臭いですよ。笑って死ぬ?そんな事が本当に可能なんですか?此岸の人間が彼岸に赴く際に、いったい何人が笑顔で逝けると言うのでしょうね」


思えば神父も笑顔を浮かべて死んだ人など、見たことは無い。

静かに眠るように逝くか、或いは苦悶のうちに死すか。そこに幸せを浮かべるような笑顔を灯すような人は…記憶には無い。


「なればこそ、笑って死にたいと願うのではありませんか」

「死ぬ間際、死んだ後の事なんて考えた事も無いですね。時間の無駄ですから」


キッパリとそう言い切って商人はあはは、と笑った。

傍目から見れば実に陽気だ。

神父は眩しそうに少しだけ目を眇める。


「では、少しだけ考えてみませんか。貴方は…どのように死にたいですか」


商人は猫目を少しだけ丸くして、神父をしばらく見つめていた。


「…そうですね。じゃあこういうのはどうでしょう。僕はやっぱり笑って死にます。何があってもです。そして本を残しましょう。そうですね表題は…“笑って死ぬための千の方法”なんて良いでしょう。そして…それを売り出しましょう。笑って死にたい連中に」


これは良い商売になる!と一人で意気込む商人。

まさか自分の死ですら商売に利用しようとするとは。


「神父様はどうですか?」

「私は…そうですね。矢張り、笑って逝けたら、と思います。そうすれば…私の死を哀しむ人が少しでも減るかもしれないですから」


自分勝手な事ですが、と神父が笑うと、全くその通りですな、と商人は笑い返した。


「だが神父様ともなるとそうして哀しんでくれる者も多いのでしょうね。僕も哀しいです。祈りましょう…割安で」


縁起でも無い事に実際に祈るように手を合わせる商人。

実際死んだ時にお金を取られそうでちょっと怖い。


「しかし…神父様でも嘘の笑顔を浮かべるのですね」

「え?」

「死してなお人を騙そうとするとは…お人が悪い」


ニヤっと少し意地悪い笑みと目が合う。

確かに、自分の本心を隠して笑うというのは、騙している事になるのかもしれない。


「そうですね…私も性格が良いとは言えませんから」


少しだけ可笑しくて笑うと、商人は首を少しだけ傾けて神父を見た。


「今なんで笑いましたか?」

「何か可笑しくなりまして」


笑った事を詫びながらまた少し笑みを浮かべると、商人は目を細めた。


「僕にとっては笑顔や神父様の存在そのものが嘘臭いですよ」

「嘘臭いですか」

「だって貴方のようなお人が、本当に存在するなんてありえませんよ」

「あり得ないですか」


商人はええ、と軽く頷く。

本心が汲み取れず、神父は少しだけ首を傾けた。


「まるで聖書の聖人のような胡散臭さです」

「そんなにですか」

「…まあ、ちょっと言い過ぎましたかね」


聖人に例えられた事を喜ぶべきなのか、嘘臭いという事に悲しむべきなのか。


「神父様はいつも笑顔で人と話してますね。前、人と話すのは楽しいからだと言ってましたけど、本当に全てそうですか?」

「どのような表情をして話しているかなどあまり意識した事無いですけど、いつも笑顔なのはいつも楽しいからですよ」

「はっはっは。やっぱり嘘臭いです」


こうして商人と話をしている今でもとても楽しい。なので嘘臭いと言われてしまえばどういう顔をして良いのか、わからなくなってしまう。

正解は無いのだろうが。


「では、貴方はどうしていつも笑っているのですか?」


商人はいつも爽やかな笑みを浮かべて人と接していた。

一口で“笑顔”と言うには収まらないほど、彼には色とりどりの表情がある。しかし矢張り彼の顔を思い出す時に、いつもその口許は横に引かれていた。

ふむ、と口に手を当てて悩むように少しだけ視線を空に向ける商人。


「そりゃもちろん、皆さんを騙して商品を買ってもらうためですよ…なんて言い方は人聞き悪いですが。けど、まあアレです。笑顔でにこにこしてる方が気分が良いでしょう。だから…」


ほんのわずかな時間、瞑目する商人。


「死んでも騙し続けますよ」


目を開いてにやり、と少し意地悪っぽい笑み。

神父もなんとなくふっ、と笑みをこぼした。冗談なのか、真意なのかは矢張りわからない。

その笑みで全てを曖昧な世界に連れて行ってしまう。

確かに…悪い気分はしない。


「だからねぇ、神父様。もし私が笑って死んでいたとしても、それが嘘だというのは我々だけの秘密ですよ?」


人差し指の側面で唇を抑えて商人はそう言った。


「騙し通せますかね」

「出来ますよ!僕が性悪だというのを知っているのはツレか神父様ぐらいなものですよ」


その少ない人間の中に入っているのは良いのめにらか悪いのか。

矢張りわからないな、と神父は思った。

でもその笑顔を見ていると、矢張り悪い気はしないのだ。

そう思ってから、はたと気がついた。


「会長さんもそうだったのかもしれませんね」

「どういう意味です?」

「いえ…」


空を見上げれば今日の太陽は何時ものように、キラキラと建物や水辺を輝かせている。少し暑いくらいのその陽気も、心地よいくらいだ。


「では、私は貴方のその“嘘の笑顔”が嘘になるよう願っていますね」

「なんですか、それは」


声をあげて笑う商人の横顔を見て、初めて彼の本当の笑顔を見たような気がした。



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