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花の記憶  作者: カザ縁
3/6

ある墓守の記憶

 その墓地は他のどの墓地よりも広く、そして薄暗い雰囲気に包まれていた。

墓地のある街で忌避されているその場所は、市街地からほど遠い山の中。元々身元のわからない浮浪者や、戦死者を葬る場所なので、死者の縁者はほとんどいない。

少し寒い日の昼下がりに、神父はその墓地を歩いていた。

この街ではあまり墓地に参る習慣が無いと聞いていたが、汚れも生え放しの植物も少ない。どの墓も綺麗に整えられている。

吐く息が白く空へと浮かび上がった。


「アンタが噂の神父さん?」


軽い調子の声に振り返ると、男が立っていた。

あまり良いとは言えない身形に、無精ひげだったが、声や顔からしてそれ程歳はとっていないだろう。神父は笑顔で応える。


「神父である事は間違いないですけど」

「おお、まぁ見ればわかるけど」


茶化すように笑う男につられて、神父も笑った。

男は右手に箒、左手にバケツを持っていた。


「…あなたは?」

「ああ、墓守だよ。ここの。ま、こんな墓場、人なんか滅多に来やしねえけど」


荒らすようなお宝も無いし、と男は付け加える。

様子から見て、この墓を綺麗に掃除してまわっているのは彼なのだろう。しかし他に人間の姿は見当たらない。


「あなたお一人で?」

「ああ、まあな。給料も大したことねーし、縁起悪いとか、気味悪いとか…それにここさぁ、昔伝染病が流行って、そんときの死者もたくさん埋葬されたんだよ。だからなぁ」


彼の言わんとしている事はなんとなくわかった。人が忌避するには充分な理由があるという事だろう。


「あんたは、なんでこんなとこ来た?」

「私はあらゆる街に訪れたら墓地を見る事にしているのですよ」

「変わったご趣味で。ま、司祭なんて大概変だと俺は思ってるけど」


声を出して笑う男に、神父は苦笑いで応える。

足元に流れる空気はとても冷えているが、男の雰囲気が少し暖かいと思う。


「あなたこそ、どうしてここで働いているのですか?」

「あ…?ああ…」


男は遠くのどこかを見るように、空を仰いだ。


「…あんたはさあ、誰かの為に死ねるか?」

「え?」


言葉を選ぶようにゆっくりと、紡ぐ。

それをそのまま受け取っていいのか、はたまたもっと違う意味があるのか。

二人の間を駆ける風は空気をさらっていく。


「この世にはさあ…誰かのために死ねるってヤツが、いっぱいいるんだと。ま、でも俺にはそうやって命かけても良いなんてヤツはいねえし。だからよー、俺ぐらいはいっそ死者の為に生きようかなって」


妙案でも思いついたかのような横顔。

神父には思いもよらない発想で、それを当然のように話すのが少し面白い。


「死ねばそれまでっつーけど…こいつらも生きてたわけだし?こいつらが生きてたから、この世があるわけだし。誰かはしんねーけど、どうせ行きつく場所が同じなら、今のうちに媚とくのも悪かないかなってな」


どうだ、とでも言いたげに笑う墓守の男。


「そうですか。私も死者のために祈る事は嫌いでは無いです」

「あんたはさ…見えるのか?この世ならぬものってやつ」


その問いに神父は静かな笑顔だけで応える。

墓守はどういう意味で受け取ったのか、眉を上げた。


「ちょっとは俺に感謝しろって言っといてよ、奴らに」

「私なんかが言わなくとも、きっと伝わっていると思いますよ」


男は乾いたように笑いながら、空を見上げた。少しくすんだ空はなんとも墓場の雰囲気に似合っている。


「あー、今気づいたけど…俺くらいはこいつらの事忘れないでおこうーとかって…滅多にしない慈善的な事考えてたんだけどさあ…俺が死んだらそれまでかな、もしかして」


眉を寄せて苦々しげに、笑う。


「いや、俺ってこんな仕事だから、人と話す事自体、久しぶりなんだわ。だから俺の事覚えてるヤツなんていないワケ」


気づいちまった、と大きなミスを犯したように頭を抱えて髪を掻く。


「それなら私が覚えていますよ。大丈夫です、私には私を覚えてくれている人がたくさんいるので」


そうして誰かに繋いでいければいい。誰かを覚えている誰か、そしてその誰かの事をまた誰かが覚えていて。

果てしない繋がりが円のように巡るのだと神父は想っている。

墓守の男はそれを理解したのか、また少し笑う。


「あはは、そりゃいいや。頼んだぜ、神父さん。俺はアンタの人望を頼りにする事にした」

「お任せください」


男はひとしきり楽しそうに笑ったあと、神父の方を見た。

黒い瞳に、黒いクセ毛。身形は綺麗とは言い難いが、何処か暖かみのある風貌。口元をやや歪ませてへらり、と一笑。


「アンタは、死んでも良いっていうヤツ居るのか」


墓場に吹く寂しい風のように、流れる問いかけ。


「ええ。残念ながら、たくさんいます」


神父は真摯に答えた。

男はやっぱり微笑みながら、そうか、と小さく言った。


「ああ、でもよ」


遠く、街の方を見つめながら墓守は言う。


「死んでもらっちゃ困るな。俺の願い、叶えるまでは」


死者の為に生きる墓守が、死者の為に伝えた願い。

心の奥を少し揺らし、響かせるような、神父はそんな感覚になった。


「ああ、困りましたね。私も死者のために、あなたの為に死ね無くなってしまいました」

「おお、頼むぜ。ホント」

「努力します」


そんな風に、死ぬなと言われたのは初めてで。神父は新鮮な気分になる。

墓場から見下ろす街も、出会いも、願いも。悪くは無いものだと、神父は笑った。

彼の願いの為に、何処かで静かに語り継ごう。

奇特で、優しい墓守の記憶を。


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