プロローグ
此処が今日から君の家だよ」
そう聞こえてぐっと首を持ち上げる。何故かその建物の様式には記憶にあった。
「きょうかい…?」
小さな少年が呟くと、手を握っていた青年が穏やかに微笑む。
「そうです。この教会が今日から君の家です」
少年は何をどう考えて良いのかわからなかった。
少年の手を引いていた男性の話に依ると、燃え尽きた村の中に自分は居たらしい。
だけど何も思い出せなかった。どうしてそんな所に居たのか、自分は何者だったのか。
何一つ覚えていなかった。
家族も歳も名前すらも。
何も言う事ができない。
気がつけば船に乗せられて、穏やかに微笑むこの男性に手を引かれていた。海から吹く風が少年が頭からかぶっていたローブを揺らした。
「あ…」
フードが落ちて、傷だらけの少年の顔が露わになる。
広範囲に包帯が巻かれて、ところどころの赤い傷が時々痛む。男性の手を握る小さな手に巻かれた白い包帯からも、赤紫の影が染み出ていた。
「だいじょうぶですか?」
男性が少年の為に屈んで視線を合わせて言った。
この穏やかな瞳のお陰か、この男性には一度も恐怖感を抱いた事はなかった。
今は包帯のせいで片方の目しか見えていなかったが、歪む視界の向こうでこちらを伺う男性の顔をじっと見つめる。傷の痛みよりも、この男性がこちらを見つめる心配そうな瞳の方が悲しいと思った。
「だいじょうぶ」
「痛かったらすぐに言ってくださいね。傷の具合を診ましょう。…少しは傷が残ってしまうかもしれないですね。でも大丈夫ですよ。此処の司祭様は治癒魔法の専門家なんです。火傷くらいならすぐに治ってしまいますからね。でも…」
男性の視線がちらり、と少年の肩の方を向いた。
少年もそちらに首を向けようとしたが、うまく動かなかった。動いているかどうかも少年にはわからなかった。
「今は何も感じないかもしれません…こればかりは綺麗に治してあげられるかわからないのですけど…」
男性が目を伏せて寂しそうに言った。
「だいじょうぶ」
少年はもう一度そう言った。何が大丈夫なのかわからなかったが、そう言えば喜んでくれるような気がした。
持ちあがった男性の顔は笑っていたけど、それでも寂しそうに見えた。
「君は優しい子なんですね」
「…」
言葉の意味は知っていたけれど、どういう理由で言われたのか少年にはわからなかった。だけど少しだけ嬉しかったから、もっと男性を喜ばせたいと思った。
「あの…これ」
少年はポケット何か入っていた事を思い出して、探って小さな手でそれを差し出した。
「なんですかこれは」
「あげる」
黒い玉のようなそれは、少年には何かわからなかった。
男性がそれを受け取ると、少しだけぱさぱさと茶色いものが剥がれ落ちていた。
「ありがとうございます。球根ですね」
「きゅうこん?」
「花の種ですよ。何の花でしょうね。此処に埋めましょう。花が咲くのが楽しみですね」
言いながら男性が少年の頭を優しく撫でた。
その暖かい感触は、少年にとって生涯忘れる事の出来ないものとなった。