8:ジョルジュ閣下と鼻歌
執務室にて、ジョルジュ中将は小難しい顔で膨大な文書と向き合っていた。
無理難題を押し付けてくる上司や、あれもこれもと縋って来る付近の街。および厄介事をもたらす他の基地への呪詛を小声で漏らしつつ、それらを処理していく。
「ふざけるなよ、クソが! こっちにも予算があるんだ、クソが! パン祭りなぞ、春だけで十分だろう!」
口癖を連呼しつつも、ペンは慇懃無礼な角の立たない口調で回答をつづっていく。この辺りは、長年の職務の賜物だろう。
本日は補佐官兼魔術師のセルゲイも、執務室に置かれた簡素な机に噛り付いている。
魔術師関連の事柄を、ジョルジュは彼に丸投げしている。セルゲイも、下手にジョルジュが首を突っ込めば、余計に己の苦労が増えると知っている。
だから黙々と事務作業をこなしつつ、時折ジョルジュの机に赴いては、署名だけを頂戴している。
「本当はこちらの書類も、閣下が目を通されるべきなのですが」
「俺は魔術に関しては、全く才能が無い。その辺のカエル以下のクソ魔力だと、医者に言われたことがある」
「よく、今まで生きていらっしゃいましたね」
「ああ、俺にも謎だ。だから引き続き、君に全権を委任しよう」
「かしこまりました」
カエル以下の生き物に任せるよりはいいだろう、とセルゲイも改めてうなずいた。
時折、下っ端の佐官が執務室に現れては、訓練や巡回といった日常業務の報告を提出する。しかめっ面を浮かべつつ、ジョルジュもそれを受け取る。
そして流し読みして、署名を殴り書きする。
文字の乱暴さで、その日の司令官の機嫌や体調が分かる、と部下たちからは有名だった。
そろそろジョジュルの集中力が切れそうになると、いいタイミングでゴルダードが顔を出す。差し入れ付きで。
資材庫や食料庫の管理を任されている彼は、期限切れ寸前の食品を調理しては、基地内デリバリーを自主的に行っていた。この残り物祭りは、彼が独断でやらかしているものではなく、
「食べ物──特にハムを粗末にする奴は、目が潰れて副鼻腔炎を患い、扁桃腺炎を発症して最終的に膀胱が破裂する」
と普段から言ってはばからない、ジョルジュが発起人だった。
残り物処理班班長に任命されたゴルダードの腕前と、ハードな肉体労働によっていつも空っぽな部下たちの胃袋によって、この祭りはおおむね歓迎されている。
ジョルジュの数少ない善行と言えよう。
「閣下、今日はジャガイモのスープですよ」
「おイモ以外の具は何だ?」
「人参とベーコンです」
「クソが!」
文句を言いつつ、ジョルジュは必ず全て平らげる。食べ物を粗末にすれば失明、副鼻腔炎、扁桃腺炎、膀胱破裂に見舞われると信じているからだ。
途中骨休めをしつつ、決裁済みの書類が溜まりに溜まって来たところで、ジョルジュはマチルダを見た。書類の発送および、基地内への配布は彼女の職務の一つだ。
セルゲイと同じく、執務室に設置された机に向かっている彼女は黙々と、雑務をこなしていた。いや、今日は違った。
普段は誰よりも無口に仕事をこなす彼女だが、今日は珍しく鼻歌を口ずさんでいた。
──おばけはウソウソ 吸血鬼はいないいない 狼男はワンちゃんワンちゃん ミイラは動かなーい──
「マチルダ君、昨日は映画でも観たのか?」
「よく御存じですね。私、お話していましたでしょうか?」
「いや、上司の勘だ」
「そう、ですか」
ジョルジュに呼びかけられ、そして頓珍漢な会話を交わし、マチルダは緑色の目をまたたかせた。
彼女は知的で涼しげな美貌に反して、オカルトが大好物だ。怪奇小説やホラー映画も、好んでたしなんでいる。
その反面、彼女は異常に怖がりだった。消灯後の寮内を歩くことすら困難なほど、とは彼女の同僚の弁だ。
そして怪談やホラー映画に震え上がった翌日は、必ず自作の「おばけの歌」を口ずさむ。
本人にこの歌を唄っている自覚は、全くない。
「自覚されて、歌が聞けなくなるのも……」
という男衆の些細なわがままによって、その事実は隠ぺいされていた。
そしてこの努力は、今も続いている。
最近観たホラー映画での傑作は、『永遠のこどもたち』と『ドリームハウス』です。