19:ジョルジュ閣下とおばあちゃんの教え
アンゴラ国軍による襲撃の翌日には、スポケーン国境警備基地は活動を再開していた。
あちこち壊されたり、爆破されたりしているが、幸いにして死者はまだ出ていない。
「重傷者が多数いますので、予断は許されないですけどね」
今回の襲撃によって失われた食料、資材、弾薬類、そして今消費しつつある医療品類の在庫を確認しながら、ゴルダード准尉が頭をかく。前線に出ていた彼は腕を撃たれたらしく、三角巾で吊るしていた。
「にしても、案外早く鎮圧できて、よかったですよね」
顔にガーゼを貼り付けた魔術師セルゲイも、清掃の手を休めることなく深々と息を吐く。
「本当に。司令室に突入された時は、正直死ぬかと思いました」
「でもあの光景を見たアンゴラの人たちの方が、死ぬと思ったんじゃないですかね」
「その可能性は、大いにあり得ます」
二人で顔を見合わせ、少しばかりニヤリとなる。
セルゲイに限らず、動ける生存者たちはもれなく現場の片付けに駆り出されていた。
自分達と、そして司令官が守り抜いた基地だ。掃除どころか、早く元の姿へ修理をしてやりたい、という気骨がみなぎっていた。
負傷者たちは医療棟からその光景を眺めつつ、命がつながったことに感謝すると同時に、動けないことへの歯がゆさも感じていた。
襲撃翌日とは思えぬ一体感と高揚感であったが、ジョルジュ中将だけはやっぱり違った。
掃き掃除をしながら、ブツブツと文句を言っている。
「閣下。また手が止まっていますよ」
ヒールからブーツに履き替えたマチルダ秘書官が、がれきの入った籠片手に小言を呟く。彼女の後ろには、幸いにして無傷だったジョルジュ号がくっついていた。
「手ぐらい止まるだろ! 皆して、俺のことを馬鹿にしてやがるんだ!」
「馬鹿にだなんて、とんでもない。皆さん、閣下の決死の行動に感動していらっしゃるんですよ」
そう淡々と説きながら、途中でマチルダの唇は歪んだ。
目ざとくそれを見つけ、ジョルジュが指さす。
「ほら、みろ! 今、ちょっとだけ笑っただろ!」
「笑っておりません」
「いいや、笑ったね! 君だって、俺のクソこっ恥ずかしい戦歴を馬鹿にしてるくせに!」
「いえいえ、滅相もない」
「嘘つけ! どうせクソッたれなお前らみんな、心の中で俺を指さして爆笑していやがるんだろ! もうお前らなんか大嫌いだ! 絶交だ!」
「基地内とはいえ、往来で叫ばれてはなりません」
絶叫するジョルジュの声を聞きつけ、呆れ顔のセルゲイとゴルダードも姿を見せた。
相変わらず場の流れや雰囲気を察知しないゴルダードは、能天気に笑ってジョルジュの背中を叩く。
「今回の圧勝の立役者が、そんな怒っちゃ駄目ですって」
「クソが! あんな勝ち方、俺は認めんぞ!」
手にしていた箒をぶんぶん振り回し、ジョルジュは謎の抗議行動を取る。
「そうはおっしゃっても、裸になられたのは閣下ご自身ではありませんか」
鼻息で口髭を揺らしながら、セルゲイがすかさず言った。
そう。司令室の扉が吹き飛ばされた瞬間、セルゲイもマチルダも死を覚悟していた。
着古した軍服に、烈火のごとき闘争心をまとったアンゴラ国軍は、旧式の銃剣を構えて叫んだ。
「オイ、お前タチの司令官ハドコだ! 隠シても無駄ダ! コノ基地は我々ガ占拠スル!」
訛りの強い尋問に、一同は顔を見合わせる。
──閣下は先ほど、部下を見捨てられるか、と言い切られた。
──しかし彼をここで犬死させてはならない。
──なんとかして彼らを指令室から外へ誘導し、閣下の退路を作らねば。
部下たちが強張った表情で視線を交わし、脳みそをフル回転させていたというのに。
「何だ今の爆発音と、嘘くさいアゾリス語は!」
今の今までトイレに籠城していたジョルジュが、あっさりドアノブを回したのだ。
重い金属音を立てて、アンゴラ国軍が一斉にトイレへ向き直る。
──閣下の馬鹿! もう、この基地もおしまいだ……
涙目で部下たちが見守る中、ゆっくりと扉は開かれた。
殺意と悲壮感のうずまく指令室へ舞い戻ったジョルジュは、全裸であった。
一糸まとわぬまま、堂々と仁王立ちで現れる。その背後では、水洗トイレの流れる音が粛々と鳴り響いていた。
国を問わず、司令室にいる面々全てが息を飲む。
「ダレだコイツ!」
「ヘンタイだ! ヘンタイがイタぞ!」
最初に声を上げたのは、予想外すぎる不審者に慌てたアンゴラ人だった。
制服というものは便利なもので、たとえ顔を知らない相手であっても、同じ制服を着ていれば同胞なのだとすぐに分かる。
それは反対に、「この制服を着ている人間は敵」という判断も、可能にするということだ。
だからアンゴラ人は面食らった。
突如現れた裸の男が、アゾリス人なのかアンゴラ人なのか、そもそも軍人なのかすら判断出来なかったのだ。
だが当の全裸男には、自分へ凶器を向けている人間がアンゴラ人であると一目で分かった。
「む、クソアンゴラ人だな!」
言うが早いか、ぽかんとしている一人の銃剣を奪い取り、躊躇なくそいつを撃った。
先手必勝の言葉通り、後はあっという間であった。
全裸のジョルジュとセルゲイの紐魔術によって、アンゴラ国軍は一網打尽となった。
そして不幸なことに、ジョルジュに太ももを撃たれた男が指揮官であったらしく、アンゴラ国軍は奇襲を仕掛けておきながら、あっさりと降伏したのだった。
「『ハムの恵み事件』に続く、『全裸の英雄』ってことで記者にリークしときますね」
笑ったゴルダードへ、今は服を着ているジョルジュが詰め寄る。
「やめろォォッ! 余計なことはするな、クソッたれ! 実家に帰れなくなるではないかッ! 貴様は黙って、そこら辺で頭突きしとけばいいんだよォッ!」
胸ぐらを掴まれてガンガン揺さぶられているのに、ゴルダードは楽しそうだった。
他の兵士たちも同様である。
裸の指揮官に怯えて敵が降参などという珍事、長い国軍の歴史の中でもそうそうあるもんじゃない。
「ところで」
髭を撫でながら何気ない口調を装ったものの、セルゲイは珍しく好奇心丸出しだった。
「どのようなご事情で、閣下はお召し物を脱がれて用を足されていたのでしょうか?」
怒りに歪んでいたジョルジュの顔が、途端に真っ赤になる。
そしてうつむき、もじもじした。
「いや……それは、そのぅ……」
「閣下。ぶりっ子が通用される年齢でも、性別でもございませんよ」
マチルダも穏やかな笑顔で、さっさと吐けと無言の内に催促する。
「……小さい頃からの習慣なんだよ」
くい、とセルゲイの片眉が上がる。
「ほう、変わった習慣でございますね」
「トイレでは……思う存分解放感を味わえという、おばあちゃんの教えなんだよ! クソがッ……前妻のクソアマにもバレていなかったのにぃ……クソがァァァァ!」
後半は涙混じりであった。
「教えが役に立たれて、良かったですね。ぷっ」
地面に伏して慟哭するジョルジュをなだめるものの、マチルダはまた途中で吹いてしまった。
セルゲイとゴルダードに限らず、道行く兵士たちもジョルジュを見てはニヤニヤしているので、彼女を責める者はいなかった。
そしてゴルダードが余計なことをしなくても、食堂のおばちゃんや口の軽い新米兵士たちが発信源となり、「裸の英雄事件」の逸話は首都にまで拡大。
当事者であるジョルジュの顔写真入りで、中学校の教科書にも取り上げられるのであった。
全裸ではありませんが、パンツ一丁で寝るのが好きです。




