17:ジョルジュ閣下とフォーク
ゴルダードにとって、それは素直な疑問だった。
「セルゲイ様って、閣下と付き合い長いんですよね?」
成り行きで資材庫の在庫確認を手伝ってくれているセルゲイに、ゴルダードは好奇心丸出しの問いを投げかけた。
「左様ですね。かれこれ、二十年以上のお付き合いです」
「よく体壊さずに、今までやってこれましたね」
「いえ。当初は頭痛、不眠、胃痛、動悸、めまい等に再三悩まされましたが……今では慣れました」
セルゲイは上司の鑑だ。今もこうして、雑用にまみれているゴルダードにも手を貸している。
キラキラとした目で、ゴルダードは理想の上司を見つめた。
「セルゲイ様、ほんとすごいですね……僕だったらたぶん、頭突きで閣下殺しちゃってるかもしれないです」
「いえ、そんな大層な物でもございません。閣下には、ご恩もありますから」
「え、初耳です。何ですかそれー!」
思いがけず二人の感動秘話に行き当たったらしく、ゴルダードは食いついた。
苦笑しながら、セルゲイは入隊直後の思い出を語る。
魔術師学校の博士課程を卒業したセルゲイ青年は、親の反対を押し切って国軍へ就職した。
当時はアンゴラ国との関係が悪化していた時期であり、国を憂う正義感ゆえの決断だった。
しかし彼の紐魔術は、戦場では残念ながらあまり役に立たない。
「火も出せない、氷も出せない、竜巻も起こせない、地割れも起こせない……お前、何で国軍に入ったんだ?」
「紐魔術なんて、家庭生活の方が役立つだろ。主夫にでも、さっさと鞍替えしちまえよ」
同僚である魔術師たちから、このような嘲笑を受けることもままあった。
実際、当時の彼はトイレ掃除や物資の運搬、そして新聞縛りなど、雑用中の雑用ばかり押し付けられていた。
そして上司からも、持て余されていた。
「君自身が、優秀な魔術師であることは知っているよ。でも、君の魔術はなぁ……その、華がない、というかなぁ」
「その分、自分の魔術は応用性に優れています。どのような状況下でも、正しくその実力を発揮できます」
先祖代々の紐魔術の素晴らしさを説いたものの、
「でも、紐操るだけだろう? 手品みたいなものだろう?」
と上司に言われれば、ぐうの音も出なかった。
そしてその運命の日も、セルゲイ青年は食堂でからかわれていた。
「俺さー、ネクタイ上手く結べないんだよ。その手品で、ちょちょっと直してくれよ」
「自分の魔術は、手品ではありません」
上司が手品などと口走ったばかりに、同僚たちも図に乗っていた。
「今更格好つけたって、遅いって。どうせ新聞縛るぐらいしか能がな……痛いッ!」
だが、ネクタイを頭に巻いてふざけていた彼の脳天に、天誅が降りた。
「体力のないクソもやし魔術野郎の分際で、暴れるな! クソが!」
拳の主は、今よりも更に短気なジョルジュ青年だった。士官学校をどうやら優秀な成績で卒業したらしいこの男は、すでに中尉の地位にいた。
そして彼の持つプレートには、もちろんてんこ盛りのハムが。
殴られた魔術師は相手が中尉と知り、慌てて背筋を伸ばして固まる。
「す、すみません中尉……」
「ただでさえクソむさ苦しい食堂で、ケンカなんかするな!」
「いえ、喧嘩ではなく、ちょっとした意見の交換でして」
「それで意見が食い違ってたんだろ。ならケンカだ、クソッたれ!」
若かりし頃のジョルジュは、今より口が悪ければ、手も早かった。
ネクタイ魔術師はまた殴られた。
さすがに彼も頭に来たらしい。静観の体を取っていたセルゲイを指さし、ジョルジュへわめく。
「いちいち殴るなよ、親の七光りのくせに! 俺は、この役立たずの紐野郎をからかってただけなんだよ!」
「ヒモだと? 軍で働いているのに、こいつは女のスネをかじっているクソ野郎なのか?」
「違うに決まってるだろ! お前、本当は馬鹿だろ! 紐操るしか能がない、出来損ない魔術師なんだよ!」
出来損ないと言われ、セルゲイの辛抱も限界だった。椅子を蹴倒して立ち上がる。
しかし彼が同僚へ掴みかかるよりも早く、ジョルジュがなぜか、セルゲイににじり寄って来た。
「お前、紐を操れるのか!」
「あ、はぁ……そうですが」
「すごいな!」
「はぁ」
胡散臭いものを見る目で、セルゲイはジョルジュ青年を見下ろした。士官学校出のお坊ちゃんは、やはり世間と感覚がずれているようだ。
「そんなことが出来たら、縛ったり縛られたりの、ちょっと特殊なプレイも思いのままだな! うらやましいぞ!」
「……」
セルゲイは無言でフォークを取り、それをジョルジュの頬に刺した。
「あぎゃアアアア!」
「うわあああ!」
ジョルジュ本人と、そして周囲から悲鳴が上がる。
だが、ここで医務室へ駆け込むほど、当時のジョルジュは丸くなかった。
「何するんだ、クソ魔術師! 貴様はチンピラか!」
自分の頬に刺さり、ぶらんぶらんと揺れていたフォークを引っこ抜いて、セルゲイへ突き出す。
放り投げられたトレイから飛び散ったハムが、花びらのように宙を舞った。
そしてセルゲイはハムを避けつつ、自分のネクタイを操ってフォークを弾く。
「どちらがチンピラだ! あんたこそ、あんな下品なジョークを言って最低だ! このド低脳野郎!」
「誰がド低脳だ! 貴様こそ頭でっかちの、ひよっこもやしクソ野郎じゃないか!」
「貴様呼ばわりするな! 不愉快だ!」
お互い、フォークとネクタイを放り投げ、殴り合いの乱闘へと発展した。
幸いにして、当時のジョルジュはカマドウマ似の上官に嫌われていた。この事件も大事とならず、セルゲイはそのまま軍へ居座ることが出来た。
そして、幸か不幸か同僚の魔術師たちは皆、セルゲイを馬鹿にしなくなった。そりゃ、自分もフォークで刺されれば、たまったものではない。怪我の功名である。
なお当のジョルジュ本人は、治療のために通った軍病院にて看護師の女性に一目惚れし、数年後に見事結婚へとこぎつけた。そのため、セルゲイのこともあまり怒っていないらしい。
むしろ
「あいつはどうやら、下ネタが好かんらしい。次からは気を付けよう」
程度にしか考えていなかったらしく、逆にこれ以降、妙にセルゲイへ絡んで来るようになった。
結果として、感動のかの字もなかった出会いの記憶に、ゴルダードは気の抜けた顔になっている。
「あ、ひょっとして。その看護師さんが、閣下の別れた奥さんなんですか?」
「その通りです」
人差し指を立てたゴルダードへ、セルゲイはうなずいた。あの頃はいつも不満顔の青年だったが、今ではヒゲの似合う紳士になっている。見事な年の重ね方だ。
土嚢にもたれかかり、ゴルダードはあっけらかんと笑う。
「でも閣下って、昔からほんと変わってないですね」
「手を出すのは少々、遅くはなられていますがね」
むしろ箱庭療法に凝り出したり、ヤギを飼い始めたり、若かりし頃よりも何かと悪化しているのでは、と思わなくもないセルゲイであった。
セルゲイの健康の秘訣は、「業務外では絶対に閣下に関わらないこと」です。
 




