14:ジョルジュ閣下と漆塗り
週に一度届く妻からの手紙を開いた途端、セルゲイが真っ白な顔で立ち上がった。
いつも丁寧に撫でつけられている銀髪も、ふるふると乱れている。
「セルゲイ様? いかがなされましたか?」
彼と同じく、魔術師たちの事務室兼研究室に控えていた部下が、気遣わしげに声をかける。
当然のことだが、セルゲイはジョルジュ中将と違って部下から尊敬されている。
「少し、席を外します」
「お戻りは?」
「出来るだけ早く戻れるよう、善処いたします」
「かしこまりました……あの、お気をつけて」
きっとジョルジュ絡みだろう、と察知した部下の気遣いに目で答え、セルゲイは部屋を飛び出した。
セルゲイが部屋を飛び出すのと、ジョルジュが倉庫を整理中のゴルダードを訪れたのは、ほぼ同時であった。
「ゴルダードよ、頼みがある」
「どうしたんです? ハムならいま、余ってませんよ」
「ハムじゃない。なんでハムだと思うんだ、クソが!」
「だって閣下がここに来るから……ん?」
普段と変わらずシャツのボタンが外されたジョルジュの首元を見て、ゴルダードは目を真ん丸にした。
生真面目なセルゲイと異なり、ゴルダードにジョルジュの風紀を正そうなどという志はない。
ただ正直者なので、そこに現れた異変に全身で驚く。
「閣下! その首!」
わなないているゴルダードの声にも、ジョルジュは平然としている。
「そうなんだ。朝起きたら、かぶれていてな。それで、いい塗り薬でもないかと思ったんだが……時にゴルダードよ。顔が汗びっちょりで、汚らしいぞ」
「汗なんていいですよ! その首、かぶれじゃないですって!」
叫び、たまらずゴルダードはジョルジュの肩をつかみ、激しく揺さぶった。
「それは索状痕! 首吊り跡って、学校で習いました! なんで首吊りなんてするんです!」
「はァッ?」
今度はジョルジュが叫んだ。
「どうして俺が首吊りをするんだ。お前の脳みそはクソか!」
「だから、それを訊いてるんですよ! 一体こんな田舎で、何を悩んでるんですか! 婚期なら、まだきっと希望はあります!」
「お前、上司に何言いやがっ……うおぅっ!」
目を潤ませたゴルダードの頭突きが迫り、ジョルジュは間一髪で避けた。
「クソが! 首吊り以前に、貴様に撲殺されるところだったじゃないか!」
「すいません! 癖なもんで!」
「癖で済まされたら、貧乏ゆすりもコーラを飲んだ後のゲップも、とっくに市民権を得てるんだよ、クソ野郎!」
頑強な頭部を避け、ゴルダードの首元目がけてジョルジュパンチが舞った瞬間、せわしないヒールの音が近づいてきた。
こんな高飛車な音を立てる人物は、この基地に一人しかいない。
「閣下! すぐにお戻りください!」
思った通りマチルダが、息を切らして飛び込んで来た。
マチルダに急き立てられ、ゴルダードに自殺の虚しさを説かれながら執務室に戻ると、セルゲイが土下座をしていた。
「コメツキバッタの真似なら、この前ゴルダードにしてもらったから間に合っているが」
「少々違います。最大級の陳謝の意を示すための、土下座でございます」
顔も上げずに、セルゲイはジョルジュの軽口をいなす。
はて、とジョルジュはその言葉に眉をひそめた。
「お前に謝られるようなことを、された覚えはとんとないが」
「はい。私自身は閣下へ変わらぬ忠誠、とまではいかずとも、ほどほどに敬意を払っております。正確には、私の娘が閣下へとんでもないことをしておりました」
「娘というと、奥方と共に首都にいる?」
人の話を半分以上聞き流すジョルジュだが、それぐらいの基礎知識は押さえてある。
ジョルジュでも覚えている程なので、セルゲイの妻と娘のことは基地所属員のほぼ全員が知っている。案外、セルゲイは子煩悩で愛妻家なのだ。
「はい。私と同じく紐魔術を習得した娘のアリサが、閣下に呪いをかけておりました」
「ひぇっ!」
呪いという言葉に、すくみ上がるゴルダード。
マチルダは事前に聞かされていたらしく、固い表情のままだ。
「なんだと! クソッたれ、全然気づかなかったぞ! ちょっと損した気分だ!」
ジョルジュは歯噛みして、悔しがっていた。
ようやく顔を上げたセルゲイが、ジョルジュの顔もとい首を見上げ、呆れた表情になる。
「くっきりと、首を紐で絞められた跡が残っていらっしゃいますが」
「これは本当に絞められた跡だったのか。てっきり、かぶれか何かかと」
「そのようにどす黒いかぶれは、ございません」
首をさするジョルジュへぴしゃりと言い切り、再び頭を下げるセルゲイ。
「妻の手紙によると、娘は夜な夜な閣下へ魔力を送り、首を絞めていたそうで……それも、私がスポケーン国境警備基地へ配属された寂しさの、裏返しであるという話でございました」
言葉を切り、セルゲイは頭髪が燃えかねない勢いで、額を床へこすりつける。
「私の教育が甘かったばかりに、娘を暴挙へと走らせてしまいました! なんと閣下へ、お詫びを申し上げればいいのやら!」
「いや、顔を上げろ」
手招きしながら、ジョルジュは答えた。
「魔力が低いせいかもしれんが、俺は本当に気付いてなかった。さっきまでこの跡も、漆塗りでかぶれたせいだと思っていた」
「漆塗りなんてしてたんですね、閣下……」
意外と多趣味なジョルジュに、ゴルダード一人が驚愕する。
「呪われていた人間が気づいてなかったんだ。お前の娘にも、どうこう言う気はない」
「閣下……」
ようやく上げられたセルゲイの顔には、普段見せないあらゆる感情が塗りたくられていた。
ジョルジュへ向けられる感謝の気持ちや、家族への愛情、そして自分の至らなさへの口惜しさ、などなど。
それらへ快活に笑い返し、ジョルジュはセルゲイの肩を叩く。
「だが、それでも気が咎めると言うのならば、アリサ嬢を俺の嫁にすればいい」
セルゲイの諸々の葛藤が瞬時にして、きれいさっぱり流された。
「何をおっしゃっているのか、さっぱり分かりかねますが」
「もしアリサ嬢が俺と結婚すれば、司令官夫人としてここに住むことになるだろう? そうすれば彼女も寂しい思いをせず、俺も晴れて所帯を持てて、大団円だ。ところでアリサ嬢はハム派か?」
マチルダとゴルダードも、無表情の石像になっている。
ジョルジュにとっては湿っぽい場をなごませるための、半ば冗談な提案だった。
だがそれが、落ち着きかけた執務室へ大きな火種を投じた。
姿勢を正したセルゲイは、右手を一閃させた。
途端に、執務室の隅に放置されていたロープが踊り出し、ジョルジュを簀巻き状にしていく。
「お、おい、セルゲイ! どういうつもりだ! クソが!」
「それはこちらの台詞でございます」
立ち上がり、縛られたジョルジュを見下ろすセルゲイ。養豚場の豚でも見るかのように冷たい目であった。
彼の背後にてマチルダも動き出した。机に向かい、がりがりと何かを書いている。
彼女が氷の表情で書いているのは、宅配伝票だった。万年筆を走らせたマチルダは、その伝票をぺたり、とジョルジュの胸元に貼りつける。
宛先を見て、彼は悲鳴を上げた。
「なんだってアンゴラ国なんぞに送られねばならんのだ! 殺す気か、クソッたれ!」
「二・三発撃たれて、その腐れられた心根を入れ替えて下さい」
「君は馬鹿かッ? 三発も撃たれたら死ぬ! 普通に死んでしまう!」
わめくジョルジュの口には、「折り曲げ厳禁」のシールが貼られた。そしてマチルダは、ゴルダードへ顎をしゃくる。
「輸送費がかかっても構いません。アンゴラ国のど真ん中まで、この荷物を運ぶ手はずを整えて下さい」
「分かりましたー」
もがくジョルジュをひょい、と肩にかつぎ、ゴルダードは執務室を後にした。
セルゲイの娘・アリサがまだ十歳だということを、ジョルジュは宅配便のトラックに載せられたところでようやく思い出したのだった。
「折り曲げ厳禁」と「なまもの」の、どちらのシールにするか悩んだ結果、「折り曲げ厳禁」になりました。




