13:ジョルジュ閣下とご褒美
訓練場のその光景に、セルゲイは青い瞳を見開いていた。
「驚きました」
「ふっ、ふふふ……」
訓練用に刃を丸くした銃剣を支えにして、ジョルジュがにやりと笑い返す。体中ボロボロで、生傷だらけという体たらくであった。
「よもや、本当に三十人斬りを達成なされるとは思いませんでした」
「俺にはな、やると言ったらやる凄みがあるのだッ!」
ジョルジュの背後には、うなだれる三十人の新兵がいた。いずれもジョルジュと同じか、それ以上にボロ雑巾じみた有様である。
きっかけ自体は些細なものであった。
新兵への恒例行事となっている、銃剣を用いた実戦訓練。接近戦の訓練であるため、もっぱら銃剣の先端で刺突をしたり、銃身で殴りかかるのが基本である。
そんな泥臭い訓練に、本来ならばジョルジュは参加しない。よしんばしたとしても、日陰でコーヒーをすすりながら観戦する、お偉いさん役だ。
だが今日は、審判を務める軍曹とセルゲイが、彼を訓練場内まで招き入れた。
「せっかくなんで、閣下も腕を振るわれてみては?」
そう軍曹に言われても、クソが!と一蹴するのが普段のジョルジュであるが、今日はためらった。
先の落とし穴事件以降、ジョルジュは根深い恨みを新兵たちに抱いていた。この実戦訓練は、恨みを晴らすにはもってこいの機会だ。
だが彼の職務は、ほとんどがデスクワーク。まだ経験が浅いとはいえ、若さだけはある連中に太刀打ちできるだろうか。もしもこてんぱんにやられたら、それこそ面目丸つぶれだ。
恨みと自尊心の間で揺れ動くジョルジュに、セルゲイが追い打ちする。
「参加をしていただければ、ご褒美を用意する心づもりでございます」
「ご褒美だと!」
現金なジョルジュは食いついた。
セルゲイとしては、新兵と和解をして欲しい一心であった。
このまま彼らとジョルジュがいがみ合っていては、有事の際に何が起こるか分からない。
ジョルジュならば、
「お前とお前、爆弾抱えてアンゴラまで突っ込んで来い。お前は的持って、国境辺りでうろうろしてろ」
程度の指示を出しかねない。そうなれば大醜聞だ。
「おいセルゲイ。ご褒美とは何をくれる予定なんだ? 丸ごとハムか? クマちゃんの人形か?」
だから前のめり気味の彼を、決して放してなるものかと、セルゲイも必死に知恵を絞る。
「そうでございますね……新兵三十人に勝利した暁には、マチルダ君からの祝福のキス、などはいかがでしょうか?」
「やるぞ!」
もちろんこのご褒美は、でたらめである。
この時点では、セルゲイはジョルジュが勝つとは思っていなかった。とりあえず一番食いつく餌を垂らせばいいだろう、程度に考えていた。
結果として、彼にしては珍しい浅はかさがその首を絞めていた。
欲が絡むと強いとは思っていたが、とジョルジュの底力に唖然とするセルゲイ。
「さあセルゲイ! 俺は約束を果たしたぞ!」
訓練場の地面に胡坐をかいたジョルジュは、自分の太ももをリズミカルに叩いてご褒美を要求する。せわしのない男だ。
彼にこてんぱんにやられた新人たちは、まだ地べたを這いつくばっている。
中には善戦した者もいたが、相手がオッサンと侮ったり、司令官という肩書きへの尻ごみが敗北を招いていた。
「セルゲイ! 早くマチルダ君を呼べ! 異常事態が起こる前に、火急速やかにマチルダ君のキスを要求する!」
「左様でございますね」
どうしたものかと口髭を撫でながら思案していると、間が良いのか悪いのか、マチルダが通りがかった。書類の配達途中らしく、いくつもの封筒を抱えている。
「マチルダ君!」
「あら、閣下」
手を動かすだけで砂埃が舞う、打ち身切り傷だらけのジョルジュの姿に、マチルダは顔をしかめている。
「何をなさっているのですか、書類を放り出して」
「クソッたれの新兵どもの、クソ性根を叩き直してやっていた」
「閣下の性根を直された方がよろしいのでは?」
「あいにく、叩き直される前に返り討ちにしてやった。だから!」
「だから?」
まずい。
ここまで直球でねだるとは思っていなかったセルゲイが、紐魔術を発動させた時には遅かった。
「だからキスしてくれ! ご褒美でくれるんだろ?」
飛んできたロープを叩き落としたジョルジュと、顔色が思わしくないセルゲイの双方を、マチルダは無表情に眺めた。
聡い彼女のことだ。それで全てを察したのだろう。
「そうでした、ご褒美でしたね」
途端にマチルダは、大輪の笑顔になった。
「ですが申し訳ございません、閣下」
「どういうことだ!」
疲労で笑う足をひきずりながら、ジョルジュが前へ乗り出す。
「だってセルゲイが、キスをしてくれると!」
マチルダは心底心苦しそうな表情を作っている。
「ええ、ぜひ閣下へキスをいたしたいのですが、我が家の家訓が『女は結婚前まで貞淑であるべし』でして」
「なんと古風な! 君の家はどうなってるんだ! 生きる時代を間違えてはいないか!」
「躾は厳しいものの、ごく普通の本屋でございます。キスの代わりと言ってはなんですが」
一旦言葉を切り、マチルダは制服の胸ポケットをまさぐった。
出て来たのは、赤と白の縞模様柄の包み紙にくるまれた、いちごキャンディ。
「こちらでぜひ、疲れを癒していただければと思います。はい、どうぞ」
ジョルジュの前にしゃがみこみ、ほふく体勢の彼へキャンディを差し出す。
小難しい顔で、しばらくの間ジョルジュはキャンディをにらんでいた。
「……家訓ならば、仕方ない。キャンディを代わりにいただこう」
しかし、案外あっさり折れた。ひょいとキャンディをつまみあげ、包み紙を広げる。
「素晴らしいご決断です、閣下」
今回ばかりは素直に称賛し、セルゲイも頭を下げた。
そのためジョルジュが途端に、えへらと相貌を崩したことにもすぐ気付かなかった。
「マチルダ君の胸ポケットに入っていたキャンディならば、手を打ってもいいだろう」
「……閣下、やっぱりそのキャンディ返して下さい」
「クソが! やなこった!」
青い顔で自分につかみかかってくるマチルダをかわし、ジョルジュはキャンディを口に放り込んだ。
閣下は根に持つタイプです。




