11:ジョルジュ閣下とクマちゃん
朝からジョルジュは落ち込んでいた。
彼が早朝から不機嫌なことはままあるが、うなだれ、暗い空気を背負い込んでいることは稀である。
執務室の机に向かいながら幾度となくため息をつく彼を、セルゲイも珍種の妖精を見る目で眺めていた。
「いかがなされたのです、閣下?」
「ああ……セルゲイ、いたのか……」
いたも何も、執務室に一番乗りしたのはセルゲイであり、ジョルジュを出迎えたのもセルゲイである。
これは重症だな、と彼は即座に判断する。
「何か悩み事でも抱えていらっしゃるのですか? 解消のお手伝いを出来るのかは内容次第ですが、ご相談なさって下さい」
「悩みというか……」
再び深いため息を吐き、ジョルジュは机へ伏せる。
「……俺のクマちゃんの、首がもげてしまったのだ」
しばらく、沈黙が続いた。
急に黙りこくったセルゲイへ、ジョルジュが目だけ上げる。
「言っておくが、生のクマではないぞ。箱庭に使っているお人形だ」
「失礼いたしました」
頭を下げるセルゲイだったが、ホッとしていいのか、判断につきかねていた。
生きたクマの首が切断されたわけではない、ということは喜ばしいのだろうが。
スポケーン国境警備基地を預かる男が人形遊びをしているという事実に、今度はうすら寒さを感じてしまう。
「これを機に、その箱庭遊びを卒業されてはいかがでしょうか」
「嫌に決まってるだろ、クソが! あれをしないと、俺は今以上にお前へ迷惑をかけるぞ」
「それは困ります。そして、迷惑をかけていらっしゃるとご自覚なさっていたことに、驚きました」
呆れを通り越して感心しているセルゲイへ、ジョルジュは哀れっぽい目を向ける。
「この辺りで、お人形を扱っている店はないだろうか?」
「分かりかねます。何分、田舎でございますから。クマさんがいらっしゃらないと、箱庭遊びは出来ないものなのでしょうか?」
「今、最も旬で、俺のお気に入りだったのだ……俺のクマちゃん……」
ジョルジュの嘆きに覆いかぶさる形で、執務室の扉がノックされる。
入って来たのはゴルダードであった。当然、彼も司令官の異変に気付く。
「どうしたんです閣下? 食当たりですか?」
「そんなわけないだろ、クソッたれ。俺のクマちゃんがもげたのだ」
「閣下、クマ飼ってたんですか?」
今まで机に突っ伏していたジョルジュが、素早く体を起こす。
「クソが! クマみたいなクソでかい生き物を、あんなクソ狭い屋敷で飼えるわけないだろ! 人形に決まってるだろ! お前らはどうしてそう、俺がクマを飼ってると思い込むんだ!」
冷静に考えれば、ジョルジュの邸宅付近でクマを見かけたこともないので、そうなのだが。
この人ならクマでも飼いかねない、という先入観に囚われていた部下二人は、ばつが悪そうにうつむく。
「……それじゃあ、いっそ、本物のペットを飼えばどうでしょう?」
何かを思い付いたらしいゴルダードが、ぱっと陽気な顔を上げた。
その提案に、セルゲイが顔をしかめる。
「閣下にペットのお世話が出来るとも……」
「いいじゃないか、ペット!」
補佐官の苦言をぶった切り、ジョルジュも明るい表情になる。
「フワフワした生き物を、膝に乗せて愛でてみたいと思っていたのだ! なんだか黒幕みたいだろう?」
「形から入らずとも、あなたはこの基地の黒幕でいらっしゃいます。そのような短慮で、生き物を飼われてはなりません」
「頼むよセルゲイ。どうせ世話は、屋敷の使用人に任せるんだ」
のっけから他力本願全開の台詞であったが、それならペットも酷い目に遭わないだろう、とセルゲイも揺らいでしまう。
ゴルダードが、そこへ追い打ちをかける。
「お願いしますよ、セルゲイ様ー。いつも食材卸してくれてるおばちゃんから、引き取り手を探してくれって、お願いされてるんですよ。地域貢献だと思って!」
「ううむ、そうでしたか」
地元住民からの要請ならば、事情も異なってくる。
先日の亡命者騒動以降、隣国への恐怖心や国軍への不信感が強まっている彼らの心情を、少しでも和らげられるかもしれない、とセルゲイも判断した。
かくして三日後、精肉店の女主人に連れられて、白いフワフワの生き物が基地へとやって来た。
「……これ、ヤギじゃないか」
メェェェと鳴く有蹄類を見下ろし、ジョルジュはぽつりと呟いた。
そうですよ、と女主人もうなずいている。
まだ子ヤギであるものの、膝に乗せるのは骨が折れそうだ。
それに毛も、フワフワというより、むしろゴワゴワ。
ゴルダードもヤギとジョルジュを眺め、頭をかく。
「そうですね、ヤギでしたね。僕、てっきり犬とかだと思ってました」
「これではペットというより、家畜ではないのか」
「家畜ですね。案外大きいですね」
「『案外大きいですね』じゃないだろ、クソが!」
ゴルダードの口調を真似つつ、頭を振りかぶるが、百戦錬磨の彼に敵うわけがない。
反射的に頭突きを返したゴルダードに競り負け、ジョルジュは地面を這った。
「あ、すみません、閣下。つい癖で」
「ついじゃない! 色々と謝れ! コメツキバッタみたいに土下座しろ、クソ石頭!」
額を押さえてがなるジョルジュが、不意に固まった。
子ヤギが、すぐ傍まで近づいていたのだ。
そよ風に白い体毛をなびかせる子ヤギは、ジョルジュの顔を匂い、次いで指をくわえた。
チュパチュパと、そのまま指に吸い付くヤギを見て、女主人も日焼けした顔で笑う。
「閣下さまは、この子に好かれていらっしゃいますね」
「好かれて?」
「指吸われてますでしょ? それ、お乳をねだってるんですよ。お母さんだと思われたのかもしれないですよ、あははは」
「閣下がお母さんですか、おっかないですね。あははは」
つられてゴルダードも、のんきに笑った。
豪快に笑った後、ぼそりと小さな声で、女主人は付け加えた。
「まぁ、お気に召さないなら、連れて帰りますよ。オスですから、食肉にできますし」
「……引き取る」
ここまで言われて、指を吸われて、彼女へ突っ返すわけにもいかなかった。
「オスのヤギなど引き取られて、どうされるんですか? 成長すれば、角も生えるのですよ?」
執務室に現れたヤギを見て、セルゲイは顔をしかめる。
「分かってる」
ヤギの首に結われた紐を持ち、ジョルジュはふてくされた顔だ。
「それに糞尿も垂れ流しでございます」
「分かってる」
「繁殖期に入れば、とても凶暴になると」
「分かってると言ってるだろ、クソッたれ! お母さんヤギに間違われて、引き取らんわけにはいかんだろ! それにな、俺が引き取らねば即日ドナドナだったのだぞ!」
やや脚色された言い訳に、セルゲイもようやく沈黙した。
ただ、先日ジョルジュが評した通り、彼の屋敷の大きさは家畜向きではなかった。
そのため、軍用犬ならぬ軍用ヤギの名目で、子ヤギはスポケーン基地へ就任することとなった。
職務内容は、司令官に甘えること。
いつの間にか、ヤギはジョルジュ号と呼ばれるようになっていた。
ジョルジュ号のイメージは、『アルプスの少女ハイジ』に出てくるヤギ(たぶんザーネン種)です。




