9:ジョルジュ閣下とスピーチ
スポケーン国境警備基地が、異常事態にさらされた。
アンゴラ国からの亡命者が、国境付近の警戒区域をかいくぐって侵入して来たのだ。
彼らはアゾリス国への移住を求めている。これは、アゾリス国とアンゴラ国が仲たがいして以来、初めての出来事であった。
周辺諸国も承知の通り、両国の闘いは世紀をまたいで続いている。
仮に亡命者の入国を認めれば、国民がそれを許さないだろう。抗議活動が行われ、デモが行進し、火炎瓶が街を飛び交い……最悪、軍の予算が激減する。
だが、彼らを門前払いにしては、国際社会を敵に回すこととなる。
アンゴラ軍が亡命者を追跡している今、元帥に指示を求める暇はない。
全ての決断が、この場の長に求められていた。
ジョルジュ中将の決断に、国の全てがかかっている……まるで悪夢のような状況だ、とセルゲイはかすかに体を震わせた。
制服からのぞく首元には、鳥肌も立っている。
だが、そんなことはおくびにも出さず、努めて冷静にジョルジュを振り返る。
「いかがなされますか、閣下?」
腕を組むジョルジュへ声を掛けると、司令室の視線が二人へ集中した。
「……出だしが肝心と言うからな……奇をてらって、もしくは、あえて王道に攻めるべきか……」
しかし彼は、真っ白な原稿用紙に向かって自問自答を繰り返している。
「一刻を争うこの事態に、閣下は原稿用紙で何をなされているのですか?」
口ヒゲを揺らすセルゲイへ上げられた顔は、情けないものだった。
「……セルゲイよ。結婚式で、俺はどんなスピーチをすれば良いと思う?」
ジョルジュは明日、姪の結婚式へ出席することになっていた。
真剣に困り顔を浮かべるジョルジュに、マチルダは大股で近づき……右手を高々と振り上げての平手を浴びせた。
すっぱ抜かれた小気味いい音に、男性陣は爽やかな快感を覚える。
引っぱたかれた当人はその勢いで、顔と言わず上半身をよじれさせた。
「あァァァんまりだァァ! ゴルダードの頭突き級だぞ、マチルダ君ッ!」
「ご無礼をお許し下さい、閣下。ですが、この状況を今一度お考えください」
しびれる右手をそっと隠しつつ、マチルダはいつもの怖い表情で淡々と続ける。
「姪御であるオドレイ様を可愛がられることは結構ですが、このままではそもそも、結婚式へ参加できかねるのではないでしょうか」
その考えに思い至らなかったジョルジュは、のけぞった体勢から飛び起きる。
「何故だ!」
「だってあなた、ここの司令官でしょう?」
呆れ顔のマチルダの背後で、部下たちも二度三度うなずいていた。
まだぽかん、と理解の乏しい様子であるジョルジュへ、セルゲイが補足する。
「亡命者受け入れの可否を決められるまで、ここからは出られない、ということでございます」
「なんだと! それではすぐに入れてやれ!」
驚いてからの決断まで、わずかゼロコンマの時間差であった。
この即決に、今度は部下たちが面食らう。
「は? 閣下……お分かりですよね? 亡命者は、アンゴラ国民なのですよ?」
「入りたいと言っているなら、入れてやれ。俺はいつも周囲から仲間はずれにされっぱなしの、クソみたいな少年期を過ごしている。亡命者共の気持ちも分からんでもない」
「子供の些細ないじめと、国と国との軋轢を、同列で考えられるのはいかがなものかと」
「クソが! 大人にとっては些細でも、子供にとっては海より深い仕打ちなのだぞ!」
おそらく今、ジョルジュは珍しく正論を唱えたのだと思われる。
だが、この状況で言うべき台詞ではなかった。
大きなため息をついて、セルゲイは首を振った。
「本当に……繰り返し申し上げますが、本当に、受け入れをなされるのですね?」
「ああ、そうだとも」
「国民から、非難をされるとも限りませんよ?」
「その時は農林省にでも天下る。そうすれば、ハムを思う存分食べられる」
「それならいっそ、ハム工場の工場長にでもなられて下さい……このご決断により、大規模な抗議行動あるいは、暴力活動が起こるやもしれませんが、よろしいのですか?」
「そんなクソッたれ共は、お前の魔術で縛っておけ」
本気か冗談か分かりかねる回答をし、ジョルジュは白紙の原稿用紙を引っ掴んだ。
「クソが……結局、良いスピーチが思い浮かばなかった。もう、俺の功績をだらだら垂れ流してやるか。クソ花婿への良い牽制になるだろう」
一様に困り顔を浮かべる部下へ目もくれず、ジョルジュは身支度を整えるために邸宅へ戻って行った。
結局、どうせ責任を取るのはジョルジュだ、と腹を括ったセルゲイの指示により、亡命者たちは受け入れられた。
当初は国内のあちこちで非難の声が上がったものの、長らく不透明だったアンゴラの実態──強固に縛られた軍事政権の一端が、彼らの証言によって明らかとなると、非難は同情へと変化した。
また周辺国の反応も、おおむね好意的であった。
そんな未来などつゆ知らず、車に揺られながらスピーチを考える、ジョルジュの胸に去来したのは
「引き出物は、ハムだと嬉しいのだが」
という願いであった。
ジョルジュには兄と姉がいます。




