1:ジョルジュ閣下と賞味期限
アゾリス国の、国境地帯に配置された一団を束ねるジョルジュ中将は、変わり者として有名であった。
まず、いい年をした、きちんとした職に就いている大人であるにもかかわらず、口癖は
「クソが!」
であった。繰り返すが、彼は反抗期の子どもではない。
毎年税金をコツコツ払い、独りが寂しい夜には飲んだくれ、己の枕の匂いに顔をしかめる、いい年をしたオッサンだ。
そして、四十にして中将にまで上り詰めた切れ者のはずなのだが、彼は常にカリカリと、何かに苛立っている。圧倒的にCa──カルシウムが不足しているのかもしれない。
また彼は、ハムをこよなく愛していた。
それは、隣国のアンゴラ国との小競り合いが長期化した際にも、変わらなかった。
一つ前の世紀から、飽きもせずにダラダラと続くこの因縁がもたらす災いの火の粉は、国境地帯を越え、他の都市にまで及ぼうとしていた。
「閣下。このままでは両国の主要な市街地まで、戦火に晒される危険性があります」
彼よりもずっと若いのに妙な迫力のある、美女のマチルダ秘書官が、戦況を読み上げた。そして、指示を仰いだ。
彼女の美声が届いていないのか。うつむいたまま、ジョルジュは椅子に腰掛けていた。
「閣下、聞いておられますか?」
「ああ、聞いているとも、クソ! クソが!」
叫んで身をよじり、マチルダに何かを押しつけた。
彼の朝食に供されたハムが入っていた、ビニールパックである。
「賞味期限の日付を見たまえ。今日なのだ」
「そのようですね」
「だから停戦だ。即時、停戦だ!」
この宣言に、司令室はざわめく。長い赤毛をかきあげ、マチルダも目をまたたいた。
「ハムと停戦に、どのような因果関係があるのでしょうか?」
「小競り合いが続いていては、ハムを届けてくれる補給路が断たれるだろう? そうしたら俺は、賞味期限の切れた、腐ったハムを食べる羽目になるんだぞ。そんなこと、してたまるか!」
しかし、と部下たちから声が上がる。
「ここで我らから停戦を申し出れば、向こうを増長させるだけです」
「賞味期限は、少しぐらい過ぎても大丈夫です」
むっつりと椅子に座ったジョルジュへ、一際大きな声が投げかけられる。
「閣下! あなたにとってハムとわが軍の名誉、どちらが大切なのですか?」
「ハムだ!」
何の迷いもない、即答であった。もちろん部下からは、あんまり過ぎる上司の回答に、悲鳴や泣き声が上がる。
一連の発言からも伺えるように、彼は責任能力も判断力も乏しい。ついでに言えば、ボキャブラリーも貧弱である。
必要以上に持ち合わせているのは、おそらくハムぐらいだろう。
しかし指令室でハム論争が巻き起こっている最中、前線では変化が起きていた。
アンゴラ国側から、停戦の打診があったのだ。
曰く、今回の泥沼長期戦によって、ずいぶん前にアンゴラ国側の補給路は寸断されていたらしい。そして飢えに耐えかね、腐った食料を食べては、食中毒を患う兵士が続出しているとのことであった。
この粘り勝ちを、後世の人々は「ハムの恵み事件」と呼んだ。
だんだんとハムの字が、ゲシュタルト崩壊して来ました。