カナエの最後の願い
地響きがした。
ナジブはウェルザを抱き寄せ、険しい顔で森の奥へ視線を向ける。
木や土が宙を舞い、レンガや木材の破片が空に向かって飛んでいくのが見えた。
ウェルザは駆け出したいと思いながらも、力強く自分を抱くナジブの腕の中でじっとしていた。
目を開けるとベッドの中にいることに気がついた。
隣にはタカオが寝ている。
カナエは体を起こすとタカオの顔をじっと見つめ、その頬を撫でた。彼は熟睡しているようで身じろぎすらしなかった。
タカオの柔らかな髪に触れる。羽毛のような柔らかな髪、自分の硬い髪質とは正反対な感触がした。カナエはその感触を確かめるように何度も触れた。
「上杉?」
ふと目を覚ましタカオがゆっくりと目を開いた。そしてカナエの顔を見ると微笑む。
「どうしたの?」
体を起こしながらタカオはそう聞いた。カナエが何も答えずにいると彼は安心させるように優しく抱きしめた。
「上杉……」
タカオはそう呼ぶとカナエの唇に自分の唇を重ねた。カナエの瞳から涙が一筋零れる。
「好きだ。ずっと好きだった。お前しか好きになれなかった」
カナエは泣きながらそう口にし、その胸に顔を押し付けた。タカオは優しい笑顔を浮かべると、自分の胸に顔をうずめるカナエの頬を両手で包み、頬に伝わる涙を唇で拭った。
ふいに場面が変わる。
タカオではない誰かに包まれているのがわかった。顔を上げるとそれはもう一人の自分だった。
「目覚めてどうするんだ?またつらい思いをするだけだ。それでも目覚めるの?」
もう一人のカナエは男性体のカナエを抱きしめたままそう聞いた。
「もう逃げるのは嫌だ。自分の気持ちに正直になりたい。それが例え今の武田には必要がなくても伝えたいんだ。私は武田が好きだ。この気持ちはずっと変わらなかった」
「そう……。わかった」
もう一人のカナエはそう言うと水のように弾けて消えた。カナエは顔を上げるとゆっくりと立ち上がった。周りは真っ白で静かな空間だった。カナエはふと自分の体に違和感を持った。
長い真っ直ぐな黒髪が見え、頬に触れると骨格が柔らかな曲線を描いていた。咽喉仏が消え、胸にも膨らみがもどり、手足が女性らしいしなやかなものになっていた。
女に戻ったのか?
目を凝らして遠くを見ると赤い扉が見えた。
カナエはゆっくりと扉に向かって歩く。
そして扉に辿り着くと迷わず開けた。
「ごほっつ」
目を開けると赤い炎が見えた。煙で目が霞む。ベッドから体を起こし、周りに見渡す。煙でよく見えなかったが、誰かが側にいる様子はなかった。しかし、そこがタカオ達に連れてこられた家であることは分かった。
逃げなければ……
天井に炎が燃え移り、今に落ちてきそうだった。
今度こそ伝える。
もう自分の気持ちから逃げたくない。
家は半壊していた。出ようと思えば簡単に出られるはずだった。しかし、火に囲まれ、煙が目に入りよく見えなかった。
「ごほっつ」
息が苦しくなる。
カナエはベッドから降り、出口に向かって足を踏み出した。
しかし、そのとたんに眩暈がした。その場に座り込む。頭痛がして、意識が遠のいて行くのがわかった。
武田……武田!
私はまだお前に自分の気持ちを伝えてない。
やっと決心がついたんだ。
自分の気持ちに正直になりたい。
例えそれが遅かったとしても。
お前に伝えたい。
武田……
カナエはベッドのすぐ側に倒れこんだ。
天井が燃え上がり、音を立てて崩れ始めた。カナエはベッドの側で倒れたまま動けなかった。息ができなくなり、視界が暗くなった。そして意識を失った。
武田……
タカオはふいにカナエに呼ばれた気がして空を見上げた。
「タカオ!」
火の精霊カーナはタカオに向かって飛んだ石の塊を火の鞭で粉々にした。
「どうしたの?」
カーナは空を見上げるタカオを訝しげに見つめた。
「何でもない」
タカオはそう答えるとルドゥルと土の精霊ルガーに向かって風の剣を振り降ろした。竜巻が二人を襲うがルガーはそれを黒い炎の壁を作り、消滅させた。