三つ巴の戦い
「どうした?ウェルザ」
墓地を抜け森の中に入った後、ウェルザはふと足を止めた。
「やっぱりだめよ」
ナジブはウェルザの呟きを聞いて眉をひそめる。
「あの魔族を殺したらいけない。あの魔族は仲間を人間に殺された。それで 人間を恨んでるのよ。当然だと思うわ」
ウェルザはその大きな黒い瞳をナジブに向けた。それは10年前に助けられたときと同じ瞳だった。
「ケンジさん達を止めなきゃ。ケンジさん達とあの魔族の願い両方を叶えるいい方法があるはずよ」
ナジブはウェルザの輝きを増した黒い瞳に捉われていた。だが頭を振って息を吐く。
「ウェルザ。戦いはもう始まっているんだ。どうしようもできない。君はただの人間だ。家に帰ろう。俺が連れて帰ってあげるから」
彼女をあやすように優しくナジブはその肩に手を乗せる。諦めさせようと説得を試みる。しかしウェルザはじっとナジブを見つめ返した。
「戦いを、ケンジさん達を止めることはできるはずよ。あの魔族は殺したらいけない。だって彼は私を殺さなかった。彼は邪悪な者じゃない。ただ仲間に会いたいだけなんだわ」
「ウェルザ……」
ナジブはため息混じりにその名を呼ぶ。ルドゥルが邪悪なものではないことはナジブも知っていた。しかし既に戦いは始まっている。止めることはできない。
「ナジブ。あの魔族のいる場所へ戻って。止めなきゃ」
「ウェルザ。俺にはできない。君を危険にさらすことはできないんだ」
ナジブは苦しげな表情を浮かべる。今戻れば戦いに巻きこまれる恐れがあった。ナジブは何よりもウェルザを守りたかった。
金の精霊カリンと木の精霊ディーアが対峙する中、ふいに光が現れた。光は風の渦になり地下室にあるものを吹き飛ばす。
「ケンジ!」
「ベノイ!」
水の精霊アクアはユリとケンジの腕を掴むと水の塊になり二人を包んだ。カリンは金の光になると、ベノイのところまで飛び、その体を包んだ。
めきめきと音を立て、天井にひびが入り始める。
崩壊していく地下室でディーアは大木の姿のまま立ちすくんでいた。土の精霊ルガーはその体を石の塊に変化させ、崩れて飛んでいく天井の梁やレンガからルドゥルを守る。
やがて風の渦がなくなり、風の精霊フォンとタカオがその姿を現した。そして崩壊がおさまった。地下室の天井はすべて吹き飛ばされ、真っ暗な空が見えた。新鮮な空気が地下室だった空間に入り込み、砂埃を部屋の外に運んだ。
「派手にやったわね」
火の精霊カーナが炎と共に姿を見せ、崩壊した地下室にいるケンジ達を見下す。
「火!」
水の塊から人の姿に戻ったアクアが頭上のカーナを睨みつけた。
「武田係長……」
ケンジの目の前で、タカオは風の剣を玩具のように弄ぶ。その表情は楽しげでいつもどおりの彼だ。
「この野郎。カナエはどうした!」
ベノイは彼の姿をみとめると、金の剣を構え直す。しかしタカオはただ微笑みを浮かべるだけだった。
「ほう、火の精霊に風の精霊か……。これで精霊がすべて揃ったわけだな」
ルガーが石の塊から人の姿に戻り、ルドゥルから離れる。視界がひらけたルドゥルは目の前に現れたフォンの姿、そして頭上のカーナの姿を確認して皮肉な笑みを見せた。
タカオは興味がなさそうにルドゥルを一瞥しただけだ。
「木、どうしたんだ?何があったんだ」
フォンは大木の姿のままのディーアに近づいた。
「風、来てくれてありがとう。ワタシを助けて。ケンジとは戦いたくないの」
ディーアは大木から人の姿に戻り、フォンに懇願する。
フォンは少女の姿でもなく、精霊本来の姿でもないディーアの姿に驚きを隠せなかった。
「ディーア、そのまま風の精霊を捕まえておけ。ルガー、風の精霊の契約を解くのだ」
ディーアは悲しげな表情を浮かべると再び大木の姿になる。主の命令には背けない。枝を伸ばしフォンの姿を捕える。ルガーは黒い炎をその手に作り出し、フォンに向かって投げた。
「危ない!」
とっさにケンジは動き、炎を真っ二つに切った。タカオ、カーナ、フォンが驚いたケンジを見る。
「黒い炎に触れると契約が解除されるんだ」
ケンジはそう言いながら、結果的にタカオを救うことになった自分自身の行動に驚いていた。
「風……。ワタシは戦いたくないの。どうかワタシを止めて」
泣きそうな声でディーアはフォンに語りかける。しかし、言葉とは裏腹にディーアはフォンの体をその枝で蔦のように捕らえたまま離さなかった。
「ワタシは命令に逆らうことができない。ワタシを攻撃して、お願い。止めて」
「木……」
愛する者の切実な願い。しかしフォンにとってそれは叶えることができないものだ。彼女を傷つけることなどできない。
「ルガー。もう一度だ。火と風を同時に手に入れるのだ」
ルガーは黒い炎を両手に作り出し、フォンとカーナに向かって投げつけた。
タカオはカーナに向かって放たれた黒い炎を風の剣で叩き切った。そしてもう一つの炎はベノイが金の剣で消滅させた。
「これ以上、魔族に精霊を奪われるわけにはいかないからな。カナエのことも心配だし」
べノイは忌々しそうにそうつぶやいた。
「タケダ、カナエは無事だろうな」
「さあ?どう思う?」
タカオは質問に対して猫のように目を細めて笑う。明らかに挑発しているのだが、ベノイはそれに乗ってしまった。
「この野郎!」
柄を握り締め、タカオに向かって切りかかる。同時に黒い炎がアクアを襲うのが見えた。驚くべノイの目の前でケンジがその炎を真っ二つに切った。
「べノイ。上杉主任は無事だ」
ケンジはタカオを横目にそう口にする。
心がなくても、タカオはカナエを殺すことはできない、ケンジはそう確信していた。
「契約主が邪魔だな」
混戦の様子を見て取り、ルドゥルは作戦を変える。木の杖を構え、魔法を放とうとする。
しかしユリが先手を取り、地面を叩こうとするルドゥルに向かって火の矢を放つ。矢は炎を放ち、木の杖を握るルドゥルの手に刺さった。
「この女!」
ルドゥルは炎を発したままの矢を引き抜き捨て、木の杖をユリに向けた。
「ホンエン!」
炎がユリを襲う。だが、それは金の精霊カーナが光の壁で防いだ。ルドゥルは舌打ちをすると再び木の杖で地面を叩いた。
地面から木の根が現れ、ケンジ達を襲う。
ケンジ、べノイ、タカオは木の根をその剣で切り落とし、ユリは火の矢を放つ。木の根が矢の炎によって燃え上がる。
「油断は禁物よ!」
アクアが氷の槍をルドゥルに投げる。それをルガーが土の壁でふせぐ。カーナはその隙を狙いルドゥルに炎の塊を投げつけた。ルガーは黒い炎を発生させ、赤い炎を相殺する。
ケンジは間髪入れず、ルドゥルとルガーに向かって水の剣を振り切った。大量の水が発生し、二人を飲み込み、その体を壁に押し流す。二人の体が音を立てて壁に激突する。衝撃で壁がへこんだ
「ケンジ、やったわね!」
アクアは嬉しそうに笑った。しかしケンジは表情を硬くしたままだった。
「なかなかやるな。しかし戦いはこれからだ。魔族の力をみせてやろう」
壁の側から立ち上がりながらルドゥルは余裕の笑みを浮かべる。唇の端から血が流れていたが、それ以外にダメージのようなものは見えなかった。