カーナの殺意
風……
風……
助けて、ワタシを助けて。
ディーアとして金の精霊カリンに対峙する木の精霊は風の精霊フォンに呼びかけた。
風……
お願い…
フォンは家から離れ、外で空を見上げていた。
暗い空にぼんやり月が浮いている。
「木が呼んでる。オレを呼んでる」
フォンは表情を厳しくするとタカオ達が寝ている家に向かって飛んだ。
石鹸のさわやかな香りがした。
目を開けるとすぐそばで長い黒髪の女が寝ている。タカオはその髪にそっと触れた。性格を表すような堅い感触の髪だった。
上杉……
その顔は長い黒髪で覆われていたがタカオにはそれがカナエであるとわかった。
タカオはその顔を覆う髪をそっと払いのけた。
すると現れた顔はカナエに似た美しい青年だった。
夢。
目を開けて木製の天井を確認し、夢を見ていたことに気が付く。体をベッドからゆっくりと起こし、周りを見渡す。
火の精霊カーナは、無駄な体力を使うのが嫌だといい石に姿を変え、机の上で静かにしていた。
ベッドから少し離れたところでカナエの姿を確認する。規則正しい寝息を立て身じろぎすることもなく寝ていた。
タカオはベッドから降り立ち、カナエに近づく。
その美しい長い黒髪は短くなり、骨格は幾分がっちりとした男性体。
男になってしまった上杉……
僕のせいなのか?
タカオはそっとカナエの顎のラインを撫でる。女性のときとは異なる骨格。しかしその唇は同じだった。
普段はその意志を示すように硬く閉まっている唇が今は微笑んでるように柔らかく閉じられている。
タカオはカナエを見つめた後、そっとその唇に自分の唇を重ねた。
その瞬間、机の上の赤い石が抗議するように光を放った。
「タカオ!」
現れた火の精霊カーナは不機嫌そうにタカオを呼んだ。しかしその後、カーナは言葉を続けられなかった。珍しく血相を変えたフォンが二人の前に現れたからだった。
「タカオ、頼みがある。木のところにいかせてくれ」
「アンタ、まだ言ってるの?」
カーナはあきれた調子でそう言った。
「火、土が契約された。ケンジ達ではない。それはどうでもいいんだが、木の気配が変わった。探ってみろ」
フォンの言葉にカーナは文句をいいたかったが、その表情があまりにも真剣だったので気を探ることにした。
「!」
宙を見上げたカーナの顔色が変わった。
「ケンジが死んでないはずなのに、木がほかの奴に契約されているわ」
「シランで何かが起こってるんだ。タカオ、頼む。行かせてくれ」
「断る。僕には関係がないことだ」
タカオが迷うことなくそう答えると、フォンはため息をつき目を閉じた。そして次に目を開けた瞬間、壁に立てて置いた風の剣がすばやく動き、ベッドの上のカナエの首筋に剣先を当てていた。首の皮が少し切れたようで、赤い血が一筋その白い首筋を流れる。すると風の剣は剣先をカナエに向けたまま、天井に当たりそうな所まで上がり動きと止めた。
「木のところへ行かなければ、こいつを今すぐ殺す」
フォンはタカオを見ながらそう言った。
「オマエはオレの契約主だ。オレの力を止めることは簡単だ。しかし、オレを止めると風の剣がそいつに刺さるだろうな」
タカオはフォンを見つめ返した。その顔には怒りのようなものが浮かんでいた。カーナは訝しがってタカオを見つめた。心がないはずのタカオがこんな表情を見せたのは、初めてだった。
「わかったよ。行ってあげる。ただし、様子を見たらすぐこちらに戻ってくるよ。いいね?」
タカオがそう答えると風の剣はカナエの頭上からタカオの側に飛んできた。タカオは目の前に浮かぶ剣を掴んだ。それを見てカーナは残念そうにため息をついた。
「急ぐんだ。今すぐ飛ぶ」
タカオはフォンの言葉を聞きながら壁際に立ててある風の剣の鞘を拾い、剣をおさめた。そしてベッドで静かに眠るカナエの首筋をそっと布でなでた。血が少し布についたが、首の傷は浅く、血はもう出てなかった。
「行くぞ」
フォンは家の外に出てタカオを呼んだ。タカオは血のついた布を床に捨てると、家の外にでた。
先ほど夜空にぽっかり浮かんでいた月は雲に隠れ、外は真っ暗だった。波の音だけが聞こえる。
フォンはタカオの腕を掴むと風の玉になり、空に向かって飛び上がった。それは黒い空に一瞬光を放つと消えた。
部屋に取り残されたカーナはベッドで静かに眠るカナエを見た。そして口元に笑みを浮かべると手の平を天井に向けた。ごく小さな赤い炎が現れた。カーナはその炎を掴むと部屋の壁に投げつけた。小さな炎は徐々に明るさを増し、壁を燃やし始める。
「永遠に眠ってもらうわ。カナエ」
カーナはベッドのカナエに向かってつぶやくとタカオの後を追うために炎の塊になり、部屋から消えた。