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南国の魔法  作者: ありま氷炎
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記憶に溺れるカナエ

「退屈だ……」

 風の精霊はそうつぶやいた。神により数百年間も牢屋に閉じ込められていたころよりも、自由なのだが、この契約生活に飽き飽きしていた。

 ファンはふと隣に座る黒髪の美しい男、カナエに目をむけた。

「楽しいか?」

 フォンは珍しく自分からそう話しかけた。風の精霊は人間をわずらわしい存在としか思っておらず、人間を気にかけることはなかった。しかし、隣に座るカナエにはなぜか興味をもった。

「オマエは以前女だったみたいだな。男になって嬉しいか?」

 カナエはフォンに視線を向けた。その黒い瞳には憂いのようなものが浮かんでいる。

「男になっても何も変わらない。体と記憶はすべてのことを覚えていて、私を悩ませる」

 男になった女はそれだけ答えるとまた海のほうをみた。

「オマエも哀れだな」

 フォンはなぜかそう感じた。人間を哀れだと思ったのは初めてだった。その憂いのこもった眼差しが精霊にそう思わせたに違いなかった。



「カナエちゃん!あんたもいい年なんだから。そろそろ身を固めたら?松山くんっていい男じゃないの」

 全国展開している普通のファミリーレストランでカナエの叔母の上杉マユミはそう言った。地方から東京に子供を訪ねに来たついでにカナエにも会いにきていたのだ。母の頼みか、せひシンスケも見たいということで3人は昼食を食べるためにここにきていた。カナエの恋人はもっといい店につれて行きたがったが時間もなく、叔母の押しもあってここになった。

「ごめん。遅くなった。サラダバー混んでたよ」

 そう言いながらトレイに数種類の野菜を載せた皿をもって、シンスケは戻ってきた。茶色の髪が動くたびにゆれ、カナエはふとタカオのことを思い出せずにはいられなかった。

「はい、カナエ」

 シンスケは微笑みながら、カナエに野菜の入った皿を渡した。

「ありがとう」


「カナエ。俺はお前が好きだ。多分これからもずっと好きだ。でもお前はだめなのか」

 その夜、シンスケはカナエの部屋でふいにそう言った。

「お前のお袋も俺との結婚を望んでるし、俺のお袋もお前のことが気に入っている。俺達いい夫婦になれると思うんだ」

 恋人の黒い瞳にカナエはとらわれた。


 もう逃げられない……

 でもこんなの嫌だ……


「シンスケ。ごめん。私は結婚する気はない。多分これからもずっと」

 カナエはシンスケの瞳を見つめ返す。

「武田のせいか?武田は結婚するという話だぞ。それでもか?」

「武田は関係ない……。結婚する気がないんだ」

 その答えを聞き、シンスケは辛そうに眉を寄せてそれから息を吐く。

「分かった……。でもしばらくこのままでいてくれ」

 可哀そうな恋人は消えそうな声でそうつぶやくと、カナエを抱きしめた。


 翌日、ベッドで横になるシンスケを起こさないにして体を起こすとシャワーを浴びるため、浴室に向かう。


 浴室の鏡に自分の姿が映る。

 丸い、やわかな曲線。

 自分が嫌いな体が映る。

 男に抱かれた女の体……


 カナエは自分の姿を消すようにシャワーヘッドを鏡に向けた。


「今日、面接だっけ?」

 シンスケはいつもと同じ様子で食卓に座りトーストを手に取った。

「そう。だからあと5分で出るから」

 カナエは黒いパンツスーツ姿でシンスケにそう答えた。

 今の会社の主任のポストは悪くなかったが、せっかく東京に出てきたので自分の可能性を試すため転職先を探していた。

 今日はその最初の面接だった。


「彼氏いるの?」

 面接官の人事部長は一通り質問が終わった後、手に持つ書類を机の上に乱暴に置いて聞いた。

「いますが……」

「君、28歳だろう?うちに入社してからすぐ妊娠、結婚じゃ困るんだよねぇ」

 人事部長はそう言ってメガネの奥の小さい眼をカナエに向けた。


 だったら、面接なんかするな!


 カナエはその会社から出ると、手に持っている書類を丸めてゴミ箱に投げ捨てた。


 鞄の中で携帯電話が鳴る音がしたが電話に出る元気もなかった。

 嫌な気分だった。


「カナエちゃん、今日は家にいたの!」

 家に帰り電話を取ると母の元気な声が聞こえた。カナエは今日も繰り返されるであろう結婚催促話を覚悟した。

 予想通り母はべらべらと孫がみたいだ、シンスケの両親と会ったなど話し続けた。


 電話が終わるとカナエはどっと疲れがでてその場に座り込んだ。


 鞄の中から携帯電話の呼び出し音が聞こえた。携帯電話を取り出すとシンスケからだった。

 カナエはため息をつくと携帯電話を鳴らしたまま、床の上に置いた。

 そして音から逃れるため、浴室にむかった。


 浴室のバスタブにお湯をため、その中に体をうずめる。さっきまで硬くなっていた心がやわらいでいくような気がした。

 その優しい、温かさはタカオを思い出させた。自分を包む温かい体……

 カナエの瞳から涙がこぼれる。

 そして同時にそんな自分に嫌気がさした。


 だから嫌だ……

 遠い昔の記憶を忘れられないこの体……

 女という体……


「上杉主任ってそそる体してないか?」

「だって色々きつくねぇ?それよりもユリちゃんがいいな。俺は」

 くだらない……

 カナエはコーヒーを買うために休憩室に立ち寄ろうとしたが新入社員と思われる男の声がしたので諦めて総務部に戻った。


 能力の前に性別で判断される世界。

 それを否定したいが女として逃れられない性質……


 嫌になる……


「上杉」

 タカオの声にカナエはぎくっとして立ち止まった。彼はいつもの作り物の笑顔を向けながらこちらに向かって歩いてきていた。

「この書類。明日までお願いできる?」

 タカオはそう言って数十枚の書類の束をカナエに渡す。

「大丈夫。明日の朝にはメールで送って置く」

 カナエが書類に目を通しながらそう答えると、彼はほっとしたような顔をした。

「ありがとう。さすが上杉だよ」

 タカオはそれだけ言うとカナエの側を通り、エレベーターのあるところへ歩いていく。

 甘い香り……

 彼が通った後には甘い香りが残った。それは明らかに女性のもので、先ほどまで女性と一緒にいたのがわかった。


 カナエは書類を握りしめると作業をするために自分の席に向けて足を動かした。



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