カナエの記憶
「上杉さんってかっこいいわよね」
カナエがトイレの個室に入っているとそんな声が聞こえた。
「でも私はあーはなりたくないわ。仕事って所詮お金を稼ぐための手段だもの。やっぱり女の幸せは結婚よ!」
「でもキャリアってあこがれない??」
「そう?」
「あんたは部長の娘だし、かっこいい彼氏がいるからでしょ」
「まあね」
「それでいつ結婚するの??」
「秘密」
二人の女性はそう笑いあいながらトイレを出て行った。
「上杉くん、今日こそは付き合ってもらうぞ」
部長はカナエを営業部まで呼び出すとそう言った。本社転勤になってから、カナエは理由をつけて飲み会を断っていた。
「武田くん、上杉くんは飲めるんだろう?」
「さあ、私は知りませんよ。高校生でお酒飲んでいたら犯罪ですよ」
パソコンに向かっていたタカオが部長に笑いながらそう答える。
「おお、そうだったな。高校の同級生だったな。なあ、上杉くん、一度くらい一緒に飲むのは必要だと思うぞ」
その夜、カナエは結局部長に付き合わされて何軒か店を梯子した。部長のほか、タカオと他に数人管理職の者がいた。
部長は酒が入ってきて、店を回るごとにカナエに触るようになってきており、カナエは我慢して付き合っていた。
「じゃあ、今日はこの辺にしますか」
タカオが明るくそう言うと部長は残念な顔をしてカナエを見た。その顔が真っ赤で目に妖しい光が輝いていた。
「部長、今から、ミサエちゃんの店に行きましょうよ。今日は彼女待ってるみたいですよ」
タカオは部長の肩を抱きながらそう言う。
「ミサエかあ。久しぶりだな。あの胸がいいんだよな」
部長はタカオの言葉に、視線をカナエからはずすと店の扉をほかの者と一緒にくぐった。タカオはそんな部長を見ながら清算をしていた。
「ありがとう」
カナエがぼそっとタカオに言うと、タカオは微笑んだ。しかしその笑みはどこが作り物だった。
茶色の猫の毛のような柔らかい髪が見える。カナエはベッドから体を起こし、その髪の毛に触れた。
「何……?」
振り向いた顔はカナエの予想とは違った。カナエは驚いた顔を見せないように慌ててベッドに再度もぐりこんだ。
そんなカナエをシンスケが後ろから抱きしめる。
「俺の髪……。誰かと間違った?」
シンスケの言葉でカナエは心臓が跳ね上がった。
恋人のシンスケは数日前に髪の色を変えた。それはタカオと同じ髪の色だった。
「上杉、何考えてるの?」
ぼんやりとベッドで横になってるとタカオをカナエの顔を覗き込んだ。
「別に……」
カナエはそう答えた。
今そばにいるタカオはタカオであってタカオではなかった。それはあの宴会の最後に見た作り物のタカオみたいだった。
タカオはベッドで横になってるカナエのそばに腰をおろし、その頬を触った。
「タカオ」
火の精霊カーナは怒りをこめた声でタカオを呼ぶ。
「それ以上カナエに近づいたら、明日を待たずにカナエを殺すわ。いいでしょ?」
カーナはカナエの頬をその爪で傷つけると、石の姿に戻る。
風の精霊フォンは呆れたように溜息をつき、タカオは微笑むと石を拾って机の上に置いた。そして背伸びをしながら部屋の外に出て行った。
カナエはベッドから身を起こすと、頬に流れる血を手の甲で拭った。
火の精霊の石は窓からの光を受けて、机の上で警告するように輝いていた。