おわり
「ケンジ!遅いわよ!」
青い空の下で怒鳴り声が響く。それはかわいらしい白色のワンピースを着るユリだった。周りの人はかわいい外見だと思って見とれていたが、その怒鳴り声を聞いて視線をそらした。
「ごめん。剣道の先生の話が長くて!」
大きなリュックを担いで現れたのはケンジだった。
精密検査と警察により調書が終わり、日本に帰ってきたのは1ヶ月前だった。ケンジはあの世界で剣を扱っていたこともあり、剣道を習い始めた。
インドア派にケンジにしては珍しいと家族が驚いていた。あの経験が役立ったのか初心者なのだが見込みがあるといわれ、毎週道場に通っている。
「くさい!ケンジ、その匂いどうにかならないの?」
「仕方ないよ。防具の中は蒸れるからさ」
ケンジは鼻をつまんで見つめるユリにそう笑いかけた。
「だったらシャワー浴びてきてたらよかったじゃないの!」
「だってそうしたら待ち合わせの時間に遅れるだろう?遅れてもいいの?」
「う~ん。この次はシャワー浴びてきてよね」
「わかってるよ」
僕達が日本に戻った後、上杉主任は会社を辞めた。そして武田係長は宮園さんと別れ、会社を辞めた。どうやら二人は今香港にいるらしい。
あのことがあり、僕達は時折メールのやり取りをしている。
二人とも元気そうだった。
「ケンジ!なにぼさっとしてるのよ。はじまるわよ」
映画館の前でユリはケンジを呼ぶ。
「待ってよ!」
ケンジはそう言うと慌ててユリの元へ走った。
「あなたが男連れてくるとはね~」
向かいの席に座るジュディ・チュアが口元に笑みを浮かべてそう言った。
「うるさいなあ。今日はもうこれで終わりだろう。帰るよ」
顔を赤くしたカナエは机の書類をまとめるとジュディに手渡した。
「どんな男か、顔が見たいわ。今度会わせてよね」
書類を受け取りながらジュディが面白そうに言うのを無視してカナエは手だけを振ると事務所を出て行った。
「お帰り~」
家に戻ると部屋着に着替えたタカオが部屋から顔を出してそう言った。
「早退?どうしたの?」
部屋に入り着替えをしながらカナエは聞いた。
「実は……」
「見るな!」
タカオが後ろを振り返って答えようとするのをカナエが鋭い声で止めた。タカオはため息をつくと視線を再び机の上のパソコンに戻した。
「まったく、一緒に暮らしてるんだし。ベッドも一緒なのに。君はあいかわずだよね」
「うるさい」
カナエはそう答えると着替えた服を持って洗濯機のある場所へ向かう。
香港にきて一緒に暮らし始めて1ヶ月が経とうとしていた。カナエは相変わらず裸を見られるが嫌だった。
タカオは香港にきて1週間で仕事を見つけた。前の職場のお客さんが香港に駐在になっており、タカオのことを覚えていて、即採用をなったのだ。カナエも方も慣れない環境の中でジュディの手伝いをしながら忙しく日々を送っていた。
「で、何?今日はなんで早く帰れたんだ?」
冷蔵庫から出したお茶のペットボトルをタカオに渡しながらカナエは聞いた。
「ああ、実は明日から出張なんだ」
「え!?」
カナエはペットボトルの蓋を開けようとした手を止めてタカオをみた。
「どこに行くの?どれくらい?」
視線をタカオから逸らしてカナエは聞いた。タカオは椅子から立ち上がるとカナエをそっと抱きしめた。タカオは言葉に出さないがカナエが不安がっているのがわかった。
「シンガポールなんだ。3日くらいなんだけど」
「シンガポール?!」
カナエはタカオを見上げて目を丸くした。
1ヶ月前、その国から帰ってきた。
そしてまた……
タカオは息を吐くとカナエを抱く腕に力をこめた。
「心配しないで。上杉を置いてどこにもいかないから。3日だけだよ。一人で大丈夫?」
「子供じゃないんだから大丈夫。心配するな」
そう答えるカナエに苦笑してタカオはその頬をその手で包み込むと唇を重ねた。
「どこにも行かないから。3日だけだよ。すぐも戻ってくる」
そして2日後……
タカオは営業先の待ち合わせの時間より早くホテルから出て、ここに来ていた。
あの時と同じように水の音か聞こえた。
青い空が上空に広がる。
複数の観光客と思われる人々が噴水の周りを回っていた。
その近くでタカオは見覚えのある男を見た。
男はすらりと伸びた長身で黒髪の黒い瞳だった。
タカオを見ると優しい笑みを浮かべた。
ふいに大きな音が聞こえ、女の子の泣き声が聞こえた。
タカオがその方向を見ると女の子が噴水の近くで水遊びをしており転んだようだった。母親が女の子を助け起こし、その体をハンカチで拭っている。
タカオが再び視線をさっき男がいた場所に戻すとそこには誰もいなかった。
ただ優しい声が脳裏に響いた。
タカオ、
幸せそうですね。
私がしたことは意味があったんですね。
「そうだよ。マオ。ありがとう」
タカオは光の噴水に向かってそうつぶやいた。するとそれに答えるように優しい風が吹いたような気がした。
タカオは微笑を浮かべると光の噴水に背を向けた。
にぎやか声が後ろから聞こえる。
今日も多くの人が願いを叶えるために光の噴水にきていた。
タカオは光の噴水を振り返ることなく、前に向かって歩いていた。
ここに来なければ上杉の気持ちを知ることもなかった。
偽りの人生を送り続けるところだった。
祖母の故郷の国。
この国の魔法でタカオは自分を取り戻すことができた。
色々なことがあった。
しかしタカオは魔法をかけてくれた光の噴水に感謝していた。
「南国の魔法」はこれで完結です。
特別番外編として、ケンジとユリ、タカオとカナエの話を後で更新します。
ぜひここまで読まれた方は読んでいただけると嬉しいです。