変わらない日常
僕の憧れの橘ユリさん。
相変わらずきれいだよな……
ケンジは斜め向かいに座るユリの顔をそっと見つめた。
あーいい夢だったな。
ユリって呼んだりして、僕の彼女だったし。
でも誰だっけ?
あの女性。
僕達はその女性を探していた。
ケンジは誰を探していたのか思い出そうとしたが思い出せなかった。そして夢の記憶は時間とともにおぼろげになっていた。
「山元~。今日まで提出予定だった報告書見せてみろ」
不意に野太い声がして植山ノボルがケンジの側に立った。
げ、忘れていた。
「う、植山主任!今日の1時までは提出します。ご安心ください」
ケンジは薄ら笑いを浮かべながらパソコンに視線を向けた。
まずい。
忘れていた。
夢のことなんて考えている暇はないぞ。
ケンジは画面上のマウスポインターをマイドキュメントに持って行き、マウスをクリックした。そこに作りかけの報告書が保存してあった。
ふと報告書を見つけ、ダブルクリックしながらケンジは違和感を覚えた。
植山主任……
主任の名前そんな名前だったっけ?
確か主任は別の人だったんじゃ……
そんなことを疑問に思っていると植山シンゴの鋭い視線がケンジに向けられた。ケンジは慌ててシンゴの視線から隠れるように頭を低くすると報告書作りに専念した。
「ユリ~。お昼行こう」
パソコンの画面を見ていたユリに別の部署の桃山ヒカルが声をかけてきた。
「あー待ってね」
ユリは作成中だった文書を保存すると席を立った。斜め向かいには泣きそうな顔をしたケンジがキーボードを叩いているのが見えた。ふとケンジとユリの視線が合わさる。
優しい黒い瞳……
夢と同じで優しい瞳だわ。
はっ、私ったら。
ユリは慌てて視線をケンジからはずすとヒカルのいる場所へ小走りで向かった。
あの変な夢のせいだわ。
あんなへたれ社員のことを気にするなんて……
「武田くん、お昼どうするの?」
「あーごめん。ユキコ。今日は取引先と昼食なんだ」
タカオはそう言ってユキコに微笑んだ。
「そう、わかったわ。私はノリちゃんとお昼食べるから」
ユキコは微笑をタカオに返すと部屋を出て行った。皆が出て行った部屋ががらんとしていた。時折機械音が聞こえる。
取引先か……
僕は嘘ばかりだな。
取引先と昼食なんて予定はなかった。
ただ今日はユキコと昼食を取る気持ちじゃなかった。
あの夢の女……
きれいだった。
母に似ていた。でも意志が強そうな感じだったな。
廊下を抜けてエレベーターに乗ろうとしたとき、総務部に残っているケンジの姿が見えた。ケンジはパソコンの画面を真剣にみつめ、キーボードを叩いていた。
山元ケンジか。
おとなしい若手社員。
そういえばなぜか彼も夢に出てきた。
本当おかしな夢だ。
タカオは自虐的に笑うとエレベーターに乗り込んだ。