失ったものの泉
ケンジ達は神殿の広間に集められた。そこは飾り気がなく、大理石の床に白い壁の大きな部屋だった。
ユリはケンジの手をぎゅっと握りしめ不安げに部屋を見渡してした。その後ろのベノイは不機嫌そうに腕を組んで立っており、ルドォルとナジブは居心地悪そうに壁に寄りかかっている。
「武田係長……」
タカオが広間の扉を開け入ってきた。彼の顔色はすぐれなかったが、神の水のおかげか体にはどこにも傷がなかった。
銀の精霊は何をしたかったのだろう。
武田係長をそしてシュエさんを幸せにしたかったのだろうか。
「皆様」
銀の精霊の声が広間に響き渡る。
ケンジ達が声の方向を見ると天神とシュエ、そしてシャオシェンの姿が現れた。天神は人間の姿をしており、その青い眼をケンジ達に向けていた。
「別の世界の人間達よ。私が元の世界に戻してやろう」
天神が前置きもなく威圧的な声でそう言った。
天神の言葉にケンジ達は目を見開いた。天神からそう言われるとは思ってもいなかった。
元の世界に戻れる。
それはこの世界に来てずっと願っていたことだった。
しかし、今の状態で元の世界に戻るなんて考えられなかった。
ケンジが戸惑っているとタカオが先に口を開いた。
「僕はここに残ります」
タカオは天神の青い瞳を見つめた。
「僕は上杉が死んだとは思えません。生き返らせる方法があるはずです。僕が生き残って上杉は死ぬなんてそんなおかしなこと受け入れられない」
天神はじっとタカオのシュエに似た目を見つめ返した。
「僕もこのまま帰る気はありません。上杉主任だけじゃなくて、亡者となって消えたガルレン達を生き返らせてください。そして世界をもう一度一つにして、ルドゥルを魔族の仲間に会わせてください」
ケンジはタカオに続いてそう言った。
ルドゥルに仲間に会わせることを約束した。約束を守らずこの世界を去るのは嫌だった。
「私も残ります」
ユリはケンジの手を握りしめたまま天神を見た。
「そうだぜ。天神様よ。元はと言えばあんたが世界を分けたり、ガルレン達の魂を亡者になるまでほっといたんじゃないか。責任は取るべきだぜ」
ベノイがケンジの後ろで皮肉な笑みを浮かべてそう言った。銀の精霊がベノイの手荒い言葉を注意をしようとする前に、天神の低い声が広間に響いた。
「愚かなものたちめ!」
天神はその目に怒りをにじませながらケンジ達を見渡した。
「お前たちは私の世界を騒がした。通常なら罰するべきところを元の世界へ戻してやろうと言ってるのだ。お前達に何かを願う権利はない」
「なんだと!」
ベノイは天神に殴りかかりそうな勢いで睨みつけた。これが神だと信じられなかった。
タカオも、ケンジも、ユリもじっと天神を見つめる。
「天神。私の孫のことだ。私が責任を取る形で願いを叶えてくれないか」
天神の後ろに控えていたシュエがそう口をはさんだ。
「シュエ!お前は……」
「亡者のことは天神、お前の勝手が生み出したものだ。私は始めから元の世界に戻る気はなかった。シャオシェンを生み出してくれたお前には感謝している」
シェエは天神を見つめた。その瞳には慈愛のような思いが含まれていた。24年間、共に過ごした天神。常に優しく自分を見守っていた。その優しさはシャオシェンを自分の体の一部を使って生み出してくれたことからも窺われた。
「よかろう。シェエの頼みだ。聞いてやろう。しかし、カナエと亡者だったものについては私の力だけでは生き返らせることができない」
天神の言葉にケンジ達は息を飲んだ。
「あの者達の魂は今完全に浄化されるために失ったものの泉から光の噴水に移行しようとしている。光の噴水に行く前に魂を私の前に連れ戻すことができたならば、私が生き返らせることができよう」
「わかりました。今すぐ連れ戻しに行きます。どこに行けばいい?」
タカオはそう言って天神を見つめた。ケンジ達も同じように天神に顔を向ける。
「失ったものの泉の底だ。銀、お前が入り口まで案内すればよかろう。もともとは失ったものの泉はお前が担当していたのだから。よいな」
天神の言葉に銀の精霊はただうなずいた。それを見届けて天神はケンジ達に視線を戻した。
「中に入れる人間は外の者だけだ。したがってタカオ、ケンジ、ユリの3人しか行くことができない」
「なに?!」
ベノイは不服そうにそう声を上げた。
「ベノイ。大丈夫だよ。僕達が上杉主任もガルレン達の魂も連れて帰るから」
「そうよ。安心して」
ケンジとユリはベノイにそう言うとベノイはため息をついた後、口を開いた。
「わかったぜ。俺はおとなしくここで待ってる。だが、天神様。世界を一つにすることはどうなったんだ?」
ベノイの言葉使いに銀の精霊が眉をひそめた。しかしそれだけでベノイを止めようとはしなかった。ルドゥルとナジブはじっと天神を見つめ、その答えを待った。
「……その者達が無事に魂を連れて帰ってきたならば考えてやろう」
「なんだと!」
ベノイは声を張り上げ、ルドゥルは天神を睨みつけた。
「バルーのような人間には私はうんざりなのだ。もし、その者達が無事に帰ってくることができたならば、人間の世界と神と精霊の世界をもう一度一つにしてやろう。そして魔族の世界もな」
天神はルドゥルの瞳を見つめ返した。魔族の世界と人間の世界を切り離す必要はなかった。しかし、神と精霊の世界を人間の世界から切り離すことになり、人間と魔族の間に争いが起きることが予想できた。それゆえに天神は魔族の世界をも切り離したのだ。
「マスター。ケンジ達なら必ず戻ってくるはずだ。そうだろう?ケンジ」
ナジブは無言で天神の青い瞳を見つめるルドゥルの隣でそう言った。
「もちろんだよ。絶対に魂を連れて戻ってくる」
ケンジはナジブの言葉に強くうなずいた。
「人間よ。待っているぞ」
天神の青い瞳から目をそらすとルドォルはケンジを見つめてそう言った。その瞳にはケンジへの信頼のようなものが浮かんでいた。
「安心して待ってて」
ユリがルドゥルに微笑んだ。
「さあ、皆さん。行きますよ」
銀の精霊はそう声をかけると光を放ち銀色の細長い龍の姿に変化した。シュエは天神に寄り添いながらタカオに視線を向ける。タカオはシュエに笑顔を見せた。その笑顔はシャオシェンと同じ笑顔だった。シャオシェンは自分と同じ顔のタカオに不可解な視線を向けたが、シェエが笑ったのでシャオシェンもタカオに笑いかけた。
「武田係長、行きましょう」
すでに竜の背中に乗ったケンジがタカオにそう呼び掛けた。その後ろにはユリが座っている。
「ああ、行こう」
タカオはそう答えると銀の龍の背中に飛び乗った
「皆さん、しっかり掴まってください。振り落とされますよ」
銀の精霊――銀の龍はそう言うと体を宙に浮かした。そして光を放つを広間から姿を消した。