泉の竜
カナエはタカオに呼ばれたような気がして、顔を上げた。
しかし森の中は鳥のさえずりが聞こえるだけだった。
カナエは神のところから戻ってから何度が神殿を抜け出そうと試みた。しかしその度に邪魔が入った。
「人間!」
シャオシェンがそう言いながら走ってきた。この神のお気に入りの子供――シャオシェンに気に入られ、どこに行くにしてもついてきた。おかげでカナエは神殿からなかなか抜け出すことができなかった。
「ここにいたんだ!人間。森の奥で遊ぼうよ」
シャオシェンはその無邪気な顔をカナエに向けて、服をひっぱった。カナエは思わず渋い顔になった。子供は苦手だった。なぜシャオシェンが自分をこうも気に入ってるのかわからなかった。
「だめですよ。」
厳しい声がして銀の精霊が現れた。シャオシェンは銀の精霊をにらみつける。
「なんで?」
シャオシェンは口を尖らしてそう聞いた。
「泉で遊びなさい。竜が待ってますよ」
なだめるように銀の精霊はそう答え、冷たい視線をカナエに向けた。
監視か?
大方森の奥に行ったらそのまま逃げるとでも思っているのだろう。
カナエは皮肉な笑みを浮かべて銀の精霊を睨んだ。
「人間~、泉に行くよ!」
シャオシェンはカナエの服を引っ張ると失ったものの泉へと走り出した。カナエが服を一方的に引っ張られバランスを崩しそうになる。それを見てシャオシェンは楽しそうに笑った。
銀の精霊はシャオシェンとカナエが泉に走っていくのをいつものように感情の読めない目で見つめていた。
「この変態、離してよ!」
花の精霊の腕の中で橘ユリはもがいた。しかし腕はびくともしなかった。
「ユリちゃん、変態って呼ぶのやめてくれるかな?結構傷つくんだけど」
「あんたが私を解放してくれたら花の精霊って呼んであげるわ」
腕の中でユリは花の精霊を睨みながらそう言った。花の精霊は口元に笑みを浮かべ、ユリの唇に人差し指を当てた。
「キミはオレのものなの。ずっとオレの側にいるの。だからそのうるさい口は閉じちゃうよ」
花の精霊が指を唇から離すと、ユリの口が突然開かなくなった。射るような視線を向けるが花の精霊は気にしない様子でにっこりと笑った。
生きたかった……
なんで僕が殺されないといけなかったの?
ねえ?
苦しい……
俺の手を返してくれ。
首が……
火のように体が熱い……
助けてくれ!!
失ったものの泉の竜は死んだ者の嘆きのその水の中で聞いていた。
「竜!」
明るい声が聞こえた。
竜は嘆きが響き渡る泉の底から水面に上がった。シャオシェンが眩しい笑顔を浮かべて待っていた。
「また泉の底にもぐっていたの?何か面白いものでもあるの?」
シャオシェンは無邪気にそう聞いた。白い竜は何も答えずその青い瞳を向けただけだった。
「竜、見てみて。人間を紹介するよ!えーと」
「上杉カナエだ」
「ウエスギカナエ?」
シャオシェンはしどろもどろにカナエの名前を繰り返した。
「カナエでいい。竜には名前があるのか?」
「ないよ。竜は竜だよ。ね。竜?」
シャオシェンがそう言うと、失ったものの泉の竜はその青い瞳をカナエに向けた。美しい青い瞳。宝石のようにきらきらと輝いていた。
「じゃ、よろしく。竜、私はカナエだ。」
カナエが手を差し出すが竜はその瞳をじっと向けたままだった。