ルイーザ女伯爵
マクドネル家は代々王家のマナー講師をしている家門であり、女当主も珍しくない。
自分もそうだし、母もそうだった。
そして、我が子も娘2人なのだから、どちらかが爵位を継いで女伯爵になるのだろう。
貴族としてのマナー、それは階級社会の社交に必要不可欠な物である。
そう教わってきたし、そう教えてきた。
だからこそ、自分が教えらえれたように厳しく娘たちにも躾てきたし、長女は模範的な貴族令嬢と育った。
そんな我が子の努力を、王命という強制力によって無かったものにされるとは、思いも寄らない出来事だった。
騎士団長の嫡男が、国王陛下を護って生死をさ迷う大ケガをして、命は助かったが騎士としては働けなくなった。
この事は、本当に痛ましいことだと同情もした。
だから、末の息子を後継者に据えねばならず、その余り出来の良くない息子をフォローする為にキチンとした婚約者、将来的には妻を娶りたいと言うのも理解できる。
しかし、それが我がマクドネル家の次期当主として目されていた娘のアマリアである必要があるのだろうか。
良さそうな娘ならば、我が家門から推薦することも、教育している貴族家と繋ぐこともいくらでも方法はあったのに。
私から、我が一族から、努力を無にしてアマリアを取り上げたことを、私は許すことが出来なかった。
それでも、そんな気持ちを心の奥底に秘め淑女の仮面を被って横暴な願いを受け入れてあげたのに。
王宮の私に与えられた一室に、貴族学院でマナー講師をしている私の再従姉妹からその日食堂で起こった娘の婚約破棄騒動についての一報が早馬でもたらされた。
あの馬鹿息子が、娼婦の娘に嵌まっていることはアマリアから早々に聞いていた。
そのまま嵌まって抜け出せなくなって、上手い具合に婚約が解消されたら儲け物だと思っていたので、娘には辛い思いをさせていたが、我慢させていた。
あの馬鹿息子、何をとち狂ったか、アマリアが自分に一目惚れしたので、ごねて婚約したと思い込んでいた。
何度も違うだろう、そっちが国王に願い出て請うて婚約の王命を出させただろう、大切にする気がないのなら、直ぐにでも娘を次期当主に戻したいから解消してくれという趣旨の手紙を何通も出し、相手側からキチンとわからせますという返事も貰っていたのに、思い込みが訂正されることは無かった。
出来るだけ早く解消したいと学友だった王妃にも何度も伝えていたのに、その度に
「もうすぐ王太子に第1王子が就くわ、そうしたら側近よ。次期騎士団長よ、良いじゃない」
そんなことを言われて、お茶を濁されていた。
何が良いのか、一門を背負っていく覚悟を持って学んできた時間を無下にして、あんな者の手助けを一生する人生を歩ませるなんて、娘にさせたい親がいるのだろうか。
そんな憤慨を抱えていた中での、婚約破棄宣言である。
堂々と不貞を働いた者が、衆人環視の中での婚約破棄!
なんと愚かな、娘に瑕疵がついてしまったではないか!
怒りに目の前が真っ赤になったが、こんな所にいる場合ではないと、すぐにメイドに荷物を纏めさせ、王宮の部屋を退去する手続きをとり、王宮のマナー講師の退職届を認めて、王子妃の教育係を取りまとめる文官に押し付けてすぐさま王宮の馬車に飛び乗ってマクドネル家へと帰って来てしまった。
「どうした、ルイーザ!何があった?」
夫のダグラスが馬車止まりに飛び出してきたので、あらましを話ながら邸宅内へ入った。
「ま、あ、あんな、馬鹿息子が!」
血管が切れるのじゃないかと思うほど、くっきりとこめかみに青筋が浮かび、怒りで目がつり上がったダグラスが、
「こうしては居られない。アマリアを迎えに学院へ向かうよ。あんな場所から一刻も早く連れ出してやりたい」
そう言って、家令に馬車の支度を指示した。
その最中に、
「旦那様、奥さま。お嬢様がお戻りになっております。学院の保健教諭が付き添ってくれております」
そう言って侍女が飛び込んできた。
応接室で待つ、アマリアと保健教諭から話を聞き取っていると、娼婦の娘の口に肉を運ぶ描写の生々しさに持っていた扇子がミシミシと音がした。
「キャンベル伯爵ご令息が食堂を後にしたわたくしを追いかけて来て下さって、保健室へとお連れ下さいまして、馬車の手配も担任への事伝もして下さいましたの」
アマリアがそう言って、少し嬉しそうに口許を綻ばせていた。
「まあ、キャンベル家!アマリア貴女キャンベル家のご令息とお知り合いだったの?」
確かAクラスには居なかったはずと思い、そう聞くと、
「いいえ、初めてお話されました。初めましてとお声かけ下さって」
「じゃあ、なぜ?」
「不貞を行った者が婚約破棄を叫ぶなど尋常じゃないと。わたくしは何一つ間違って居ないとそう仰って。騒ぎになる前に帰った方が良いだろうとお気遣い下さいましたの」
やはり、アマリアはその時を思い出しているのか、柔らかい雰囲気を纏い、すこーしだけ口許が弧を描いていた。
まあ、まあまあまあまあ。
中立派のキャンベル家。
建国からの由緒正しい、真面目で律儀、国を揺るがす出来事の時にだけ素早く動くと言われているあのキャンベル家の嫡男が動いた、そう言うことか。
夫のダグラスを見ると、同じように考えていたのかうんうんと頷いているし、付き添っていた保健教諭も(彼女も我が一門からマナー教育の免状を受けている)うんうんと頷いていた。
「国が、動くわ、ダグラス、アマリア」
保健教諭が暇を告げるのでお礼を言って見送ると、今後の話し合いをしようともう一度応接室へ向かった、そこにキャンベル家のご令息がアマリアの荷物を届けに来てくれたと知らせが届いた。
まあ、まあまあまあまあ。
話せば、気の良い、極々普通の常識を持ち合わせている青年であった。
その普通さが逆に眩しい。
やはり、あの馬鹿息子は可笑しかったのだ。
そんな可笑しな者の尻拭いを一生しなければならない人生を娘に歩ませる所だった、この機会はアマリアの為には良いことだったのだ、そう思うことが出来た。
どうせ嫁に出す気でいたのだ、この際、まだ幼い次女を当主と定めて一から教育することにして、アマリアはこの普通すぎて逆に普通でない、一族に娶って貰おう。
横を見ると、嬉しそうに眉を下げた夫が、同じことを考えていたのだろう、
「ゆっくりさせたいのだが、我が家には領地がない」
なんて言っていた。
領地など無くとも、田舎の保養地に転地療養にいくことなど何ともないことなのに。
そんな貴族的な駆け引きなど気にも留めないようで、気の良い青年はアマリアを自領へと療養に誘ってくれた。
アマリアをチラリと見ると、
一瞬目を瞬かせた後、遠くを見て、気の良い青年の目を見つめて、やっぱり少しだけ口許をむずむずさせてから、
「お世話になります、トマス・キャンベル伯爵ご令息、どうぞ宜しくお願い致します」
そんな挨拶をした。
「ああ、もうトマスと呼んでくれて構わないよ。自領についたらキャンベルばかりだから」
「では、わたくしもアマリアとお呼びくださいませ」
「では、わたくしのことはルイーザと。わたくしも娘と同行して宜しいかしら?」
「あ、ああ、はい。ルイーザ夫人、どうぞ何もない田舎ですけれど、アマリア嬢の心身の回復に付き添って差し上げて下さい」
そうして、支度をしに一度タウンハウスへと戻る彼をアマリアが見送りに出るている間に、
「ルイーザ、ゆっくりしておいで。こちらの事は万事任せて。君たちが出立したら、家門の者を集めて話し合いをもち、相応の対応を王家にも、ボンソビー家にも求めよう」
「ダグラスお願いね」
「君はアマリアを護ることだけを考えてくれれば良いよ」
そうして向かった、キャンベル領でのまるで貴族らしくない裏表の無いやり取りに、アマリアだけでなく私自身も癒されたのだった。
だけれど、こんな素直なまま貴族学院に向かうことになるトマスの妹、ジェマイマが不憫に思えて。
「ジェマイマ、北部辺境貴族家一門はとても素晴らしい人柄なのだけれど、残念ながらそうではない貴族も、たくさん居るのよ」
「ええ!でもそうですわね、だからアマリア姉様もあんな嫌な目にあったのですもの」
「だから、ジェマイマ。相手を良く窺う時間を稼ぐためにも、淑女教育が必要なのです。言葉の裏を読み、相手の思惑を探り、どう切り抜けるかを知らねば、ひどい目にあってしまうのが貴族なのです。私が教えを伝授しますから覚えておきなさいな」
「ええ、そうですわね、どうぞ宜しくお願い致します、ルイーザ夫人」
こうして、平凡、普通な気の良いキャンベル家の中にあって、疑い深い淑女、ジェマイマ・キャンベルが誕生するのだが、それはまた別のお話である。




