トマス・キャンベル伯爵令息
トマスは今、自分の昼食を取っている所から見える2列前のテーブルで起こったことを驚愕の眼差しで見ていた。
あろうことか、この国の第1王子殿下と婚約者の公爵令嬢と同じテーブル、王子の反対側に座っていたエマ男爵令嬢が、向かい側の席のボンソビー伯爵令息から、彼のフォークでステーキを『あ~ん』とか言って給仕させていた。
エマ男爵令嬢に関しては、トマスは、いやトマスのクラスの同級生たちは皆、隣国での娼婦上がりの子爵夫人が公妾になった件を思い浮かべて、こんな稚拙な模倣に引っ掛かる貴族なぞ居ないだろう、と言っていたのだが、まんまと第1王子とその取り巻きが引っ掛かっていたので、
『え~この国の次世代って俺らの世代じゃん、大丈夫かな~』
『いや、一応領地の親や寄り親の侯爵家にも知らせなきゃ』
『僕はもう先月には伝えたよ』
そんなやり取りをしながら、ヒヤヒヤした目で見ていた。
エマは、パール男爵の愛人の娘と言う触れ込みだったが聞いた所によると、高級娼婦の娘だそうで、パール男爵との血縁関係は確証が無いらしい。
第1王子の公妾狙いであれば、出自は気にしなくていいのだろうか、ボンソビー伯爵夫人となってから王子の愛人になるつもりかな、正直田舎貴族の自分には理解が出来ない。
自分の側近と恋人を共有したり、同じ場に婚約者を同席させたり、この国の倫理観はどうなってしまっているのだろうか。
トマスの住まうキャンベル領は、王都の北側全域に広がる北辺境侯爵領にある。
王都の北側には、高い山々が連なる山脈と深い森林が広がる冷涼な土地である。
王国で一番広い領地ながら、耕作に向く地域は限定的で、一番北の辺境伯領は遥か山の上。
その山が隣国との国境線で、そこを通って攻め込むような国はまず無い。
しかし、痩せた土地が多く、冬も険しい寒さで住民の確保や領地の富を少しでも増やすことに一門で総力を上げて努めている。
北の領地の少ない耕作地と王都からの街道を持つ領地が、キャンベル伯爵領である。
トマスの家だけでなく、北辺境侯爵家とそれに連なる家門の者たちは、自分達の領地から余り出ない。
それは、短い夏から秋の間に一年分の食料生産やインフラ整備などの仕事をしなければならないからで、社交に勤しむ時間が無いからだ。
領地の社交は、北辺境侯爵家が一手に引き受けてくれて、他の貴族たちは自領のことに専念する。
婚姻も大体北の貴族間で重鎮たちが、年頃が近い者を見繕って話を纏める。
だから、こんな王立貴族学院の食堂なんて場所で、この国の上位貴族たちの淫らな関係を見せられて、思わず独立なんて際どい言葉が脳裏を過ったりするのも、仕方ないことだと思う。
更に驚くことに、衆人環視の中でどうどうと不貞を行っていた男側が、その行いの間違いを指摘した自分の婚約者に向かって、婚約破棄を告げ、相手の家門を侮辱し、何の権利があってか知らないが王都追放を叫び散らしたのだ。
その言葉を聞いた婚約者の女子生徒は、なんの感情も見えない如何にも貴族令嬢らしい能面のような顔をしてガラス玉のような目を相手に向けて黙って佇んでいた。
ところに、第1王子の従姉妹の公爵令嬢メアリーが颯爽とやって来て、王子にしなだれかかっていたエマの首根っこを掴むと、先程怒鳴り散らしていたボンソビー伯爵令息に、
「同じ口をわたくしに叩いたら、不敬罪で摘発するわよ」
「あ、う、」
「左右の貴方達、ボンソビー伯爵令息を連行して」
「は、はい」
「貴族学院とは貴族の子女の教育機関。平民では~などと甘えたことを抜かす生徒は、この学院には必要ないのではなくって?
王子殿下も王子殿下です。秩序を整える側の王族が目新しいからと秩序を破壊するなら王族とは、貴族とは、階級とは何ぞや、という話になるではありませんか!さあ、貴方もご一緒に」
そう言って職員室へと連れだって向かったようだった。
先程婚約破棄を告げられた彼女は、隣の席の公爵令嬢と少し会話を交わして、食堂から出ていこうと歩み出した。
トマスはその後ろを追った。
彼女との面識は無い。
いや、トマスは一方的に知っているが、きっと彼女は知らないだろう。
でも、トマスはそのまま見過ごすことなど出来なかったので、急いで彼女を追うと、あと数歩のところで声をかけた。
「突然失礼、マクドネル伯爵令嬢、」
その声にビクリと反応して彼女が振り返った。
「初めまして、キャンベル伯爵家嫡男トマス・キャンベルです。この後はもう帰ってしまった方が宜しいかと。学園の馬車を借りて来るので、暫く保健室で休んでいたらどうか、と。もしご迷惑でなければ、私がお手伝いしたいのだが」
「え、え、あの、初めまして」
突然の申し出に困惑している様子の彼女にハッキリと告げた。
「貴女は何も間違って居ない。私の妹がこのような目にあったならと思うと、放っておけないのです」
そう言うと、手を差し出し、エスコートを申し出ると、数秒躊躇した彼女が恐る恐る手を預けてきた。
「知らない私に恐怖もあると思うが、貴女の味方であると北の山々に誓おう」
そう言って、保健室までゆっくりと歩き出したのだった。
彼女を保健教諭に預け、学生課の職員に馬車の使用を願い出た。
「マクドネル伯爵令嬢が体調不良の様子なので、帰宅のために学院の馬車を」
「わかりました、キャンベル伯爵令息が送られますか?」
「いや、私が彼女の荷物を放課後届けるので、彼女だけお願いしたい。付き添いは保健教諭にお願いして欲しい」
「わかりました、ではそのように手配します」
「宜しく頼む、私は彼女の担任に告げに向かうので、準備でき次第、保健室へ迎えに行って欲しい」
先程の短いエスコートしか、彼女と会ったことがない男と馬車内になど居たくないだろう、外聞も悪い。
貴族ならではの、適切な距離と言うものがあるはず。
婚約者でもない者が密室でなど、醜聞になってしまう、あんな場所で婚約破棄を叫ぶなど尋常じゃないな、王都の貴族とはみなあんな者なのだろうか、第1王子も似た感じだったな、おかしな事だ、やはり、独立・・・
またまた、脳裏に物騒なワードがチラチラしてきた頃、職員室についた。
職員室は、それはもう大騒ぎであった。
その中、Aクラスの担任にマクドネル伯爵令嬢が体調不良の為早退すること、荷物を自分が届ける事を告げた。
「あ、ああ、そうだな。帰られた方が良いな。では申し訳ないが、キャンベル君荷物を頼むよ、あ、教頭はい、今そちらへと伺います」
担任の男性教諭は青い顔をしながらそう答え、教頭に呼ばれて奥の部屋へと行ってしまった。
何かとザワザワ騒がしい学院のその日の授業が終わり、迎えに来た自家の馬車に乗ると、マクドネル伯爵家へと向かうように御者へ告げた。
伯爵邸につくと、応接室へと通され、アマリア嬢とご両親マクドネル伯爵夫妻がやって来た。
「お初にお目にかかります、キャンベル伯爵家嫡男トマス・キャンベルと申します」
「初めまして、アマリアの母で当主のルイーザ・マクドネルです。この度は娘に手を差し伸べてくれたこと感謝します」
「初めまして、父のダグラス・マクドネルです。君の機転のお陰で娘が噂の渦中でこれ以上傷つかなくてすんだ。ありがとう、さあ掛けて」
席につくと、お茶が用意され、保健室で見た時より幾分か柔らかい雰囲気になったアマリアが
「キャンベル伯爵令息、本当にありがとうございました。あの後、保健教諭に話をして、そのまま付き添ってもらって帰ってこれました。お陰で、落ち着いて両親と話が出来ましたの。でもなぜご令息がわたくしにお声を掛けて下さったのか、伺っても?」
そう言って、綺麗な貴族令嬢の微笑を見せた。
「そんな大層な事をした訳ではないので、感謝には及びません。
声をかけたのは、貴女の発言に1つも間違いが無かった、貴女に一切の非が無かったと伝えたかった、あとは個人的なことですが、私には領地に妹が居ます。
ご存じのように北辺境侯爵家に連なる我々は、滅多に王都へと足を運ばない。
この貴族学院の時のみです。そんな私たちには今の王都で、いや学院でのあの騒動が信じられない。
隣国の例を出すまでもない、あから様なハニートラップに高位貴族、王族もですが、かかって、婚約者を蔑ろにするなど、信じられない気持ちでした。
もし、我が妹がこんな目に会うのなら、貴族学院へなど行く必要が無いのではないかとすら思っていた、ところでのあの騒動、どう見ても不貞者が破棄を告げるなど、マナー云々では無く常識的に可笑しい。
非常識に怒鳴られている貴女が、私の妹と重なって見えて、人として放っておけない気持ちになりました。そんなわたしの個人的な感情でのことです、どうかお気になさらず」
「まあ、まあまあまあまあ」
「うん、本当に。その通りだ、さすがキャンベル家」
なぜか向かいの席に座っている伯爵夫妻が頷きあっていた。
「暫く学院へは通えないのだから、領地でもあればそちらへ移りたいくらいだが我が家は宮廷貴族だからねえ」
「そんなに早く結論が出る訳ないし、この子には苦労だけを3年も背負わせてしまって可哀想に」
先の事を憂慮して悲しげに顔を歪ませている両親を、悲しげに見つめるアマリア嬢が居て、ついつい同情心が沸いてきて、
「もし差し支えなかったら、我が領地へと来ませんか。本当に田舎で何もすることが無いかもしれないけれど、騒がしい王都を離れて雄大な山々を見ていたら、少しは心が晴れるかもしれませんし」
そんなことを言っていた。
誓って、北の山々に誓って、不埒な思惑など無かった。
本当に、彼女に同情してかけた言葉だった。
しかし、その言葉をどう取ったのか、
「まあ、まあまあまあまあ。ところで、キャンベル伯爵ご令息、ご婚約は?」
「いえ、おりません。まだ学院の1年ですから重鎮からのお話も着ておりません」
「まあまあ」
「うん、そうかそうか」
ご夫妻がまあとうんを繰り返し呟いて、
「アマリア、トマス殿のご厚意に甘えてみたらどうだね?」
そう切り出した。
アマリアは、少し遠くを見る目をした後、トマスの目を見つめて、うんうんと小さく頷き、
「ええ、キャンベル伯爵ご令息のご厚意に甘えさせて頂きます」
そう答えたのだった。
それからは、怒涛の展開で、マクドネル女伯爵も同行することになり、急ぎ支度をしにトマスはタウンハウスへと戻ると、暫くしてマクドネル家の立派な馬車が連なって迎えに来て、そのままキャンベル領へと帰省することになったのだった。
貴族学院でのイザコザの話は以前から手紙で知らせていたのだが、当事者のご令嬢と女伯爵が来ると言うことにキャンベル家は上を下への大騒動となったのだが、まあそれはさておき。
トマスは直ぐに学院へ戻った為知らなかったが、領地でもともと両親から話の断片を聞いていた妹のジェマイマは、アマリアに酷く同情して彼女の婚約者のブライアンを毛嫌いして直接的な暴言を吐いていたが、アマリアと夫人は上品な言葉で刺す貴族言葉で罵倒していたようだ、いやいや怖い。
その上、母まで、いや近隣の北部のご夫人方々もが、お茶会で顛末の話を聞いて、第1王子へもブライアンの父親の騎士団長へも国王陛下へさえも、かなりな不敬発言を連発しこのままでは北部は独立戦争を仕掛けそうな雰囲気が漂い出した、と、後日父からの手紙で知った。
社交を一切しない北部の貴族家ではあるが、そこに当事者のアマリアと夫人が居ることから自然と王族から注目され、その動向が探られていたような気がした。
そして、夏季休暇に帰省すると、有無を言わさずアマリアとの婚約が整えられていたのだが、その頃にはトマスはアマリアと文通を重ねてお互いを知るようになっていたし、まあ、その、真面目な淑女然とした表面と違って、実は苛烈でお転婆が本来の姿というそのギャップに殺られて、好きになってしまっていたので、素直にお受けしたのだった。
婚約した後、貴族学院へと通うのに遺恨があるとアマリアが辛いだろうと、第1王子に話を通し、アマリアへ王家を代表して第1王子が誠心誠意謝罪をしたことで手打ちとなり、心置きなくアマリアと夫人が王都へと戻って来れたのだった。
そうして、2年時にアマリアはトマスと同じCクラスに戻ってきて、残りの学院生活をキャハハウフフと楽しく過ごせたのだから、なんと素晴らしきかな我が学生生活であった。
そう考えると、あの騒動も俺の結果的には良かったの、かな。




