第2話 え?なにこの状況!? まだ総理になってないんですけど!!
翌日の昼休み。春の光が教室の窓から差し込む中、私はポーチの中をゴソゴソしていた。
香水、リップ、ハンドクリーム、ミラー。……よし、詩音と放課後カフェ仕様、完了。パンケーキを前に写真撮る流れはもう見えている。ツヤと笑顔の準備だけは怠れない。
「おい、これ見ろって!」
教室の後ろから森下の声。いつも休み時間にうるさい男子ランキング堂々一位。だけど今日はテンションが二段階ぐらい高い。
「久遠成臣、マジで出馬表明したらしい! ニュースでやってんぞ!」
あんたの声の方がニュースなんだけど!? と突っ込みかけた瞬間、森下は勝手にスマホをプロジェクターに接続した。スクリーンに現れたのは、スーツ姿のお父さん。うわ、でっかい。職員室より情報早いよこの教室。
「久遠成臣外務大臣が、本日午後、民主憲政党総裁選への出馬を正式に表明しました」
アナウンサーの声が教室全体に響く。お父さんは淡々と、でもやたら堂々と喋っていた。原稿見ないし、声にエコーでもかかってるのかってくらい落ち着いてる。
……え、なにあれ、うちの父? いつも「ネクタイが見当たらん」って騒いでる人と同一人物? やだ、なんかかっこいい。いや、そう思った自分が一番ショック。
「え、玲花のお父さん、総理になるの?」
クラスの誰かが無邪気に言った。空気が一瞬にして変わる。全方向から視線集中砲火。
「マジ?」「すげえ!」「総理候補の娘じゃん!」
「や、やめて! 違う! まだ候補の候補だから!」
なんだこの公開尋問みたいなノリ! 心拍数がテレビのニュース速報より早い!
「も、森下、それ消して!」
思わず立ち上がる。勢い余ってイスがガターンと倒れた。森下はその気迫にビビったのか、「え、あ、ごめん」と言ってスマホを抜く。スクリーンが暗くなった。
「えー」「もっと見せろよー」「玲花パパ、イケオジだよね〜! 授業参観きちゃったらあたし集中できな〜い!」
とかいう雑音が飛び交ってる。来るわけないだろ。ていうか、ほんと、クラスって小さな国会だよね。まとまらないのが仕様。
「玲花、大丈夫?」
詩音が、そっと肩をつつく。
「だいじょぶ……多分……。てか、心臓に悪い」
「でも本当に出馬するんだね」
「らしいね。本人からは何も聞いてないけど」
「なんかもう、“総理の娘”の座が近いかもね?」
「いやいやいや、やめてって! カフェ行けなるかもよ!」
「え〜そんなー! じゃあ今日のうちに行っとこ」
「そうだね、行こ行こ! ま、総理なんてそう簡単にならないでしょ」
ふたりで笑い合った。その時はまだ、ほんとに他人事だと思ってた。
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放課後。校門を出た瞬間、空気が変だった。
見慣れない黒塗りの車が一台……そのドアには“警視庁”の文字。そして、黒スーツの男たちが仁王立ち。
あれ、映画の撮影? って思ったけど、カメラや監督はどこにもいない。
「え、警察!?」「誰かの護衛!?」「マジでSPじゃん!」
高校生たちの声が飛び交う。
そして、スーツの男が私たちに近づき
「久遠玲花様、お迎えに上がりました」
と完璧すぎるお辞儀。いや、ただの高校生にそんな丁寧な角度いらない。
同級生たちから一斉に向けられるスマホ。あの子たち、写真を撮る速度、反射神経でオリンピック出られるよ。
そしてその画像が「#久遠玲花」「#SP付き通学」で拡散される未来が、一瞬で脳内に見えた。
「え、ちょっと待って。なんで警視庁!? 結城さん!?」
結城さんがSPの横に立って、申し訳なさそうな顔をしている。
「本日より警備体制が変更となりました。党からの指示でして」
「いやいやいや、まだ当選もしてないじゃん!」
「万全を期してとのことです」
「万全って何が!? それに、今日、友達とカフェ行く予定で──」
私は詩音の腕を掴む。詩音も一緒に訴えるようにSPを見た。
「申し訳ありません。本日は直帰をお願いいたします」
「ほんの少しだけ……」
「報道陣が近辺におりますので、安全のためです」
うん、もう「安全のため」って言われたら、何も言い返しようがない。
「玲花……」
「ごめん……今日は行けないって……」
「そっか、仕方ないね。じゃあ、また明日!」
「うん。また明日!」
ドアが閉まる音が、やけに重い。窓の外で、詩音が手を振っていた。車の窓ガラスは、単なるガラス以上の厚みがあるように感じた。
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夜。リビングのテレビをつけたら、またお父さん。ニュース番組がリピート再生してるんじゃないかってくらい同じ映像。
「久遠成臣、総理レースの本命」「娘の存在にも注目」
いや、注目しないで! 私まだ明日までの宿題終わってない!
「玲花様、明日は登校をお控えください」
「えっ、また!?」
「報道陣が学校付近に集まっております。内閣広報室からの要請です」
「……明日提出の課題があるんだけど」
「申し訳ありません、“念のため”とのことです」
もうその“念”がなんなのか、話についていけない。
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夜、ベッドでスマホを眺める。トレンドには「久遠成臣」。そして関連ワード「娘」「高校」「美人」。
SP付きの車に乗り込む私の後ろ姿写真が拡散されてた。
「いやいやいや、制服で学校バレるじゃん! ボカシ入れて!」
思わず一人ツッコミ。隣の部屋の結城さんに聞こえたらどうしよう。
詩音からメッセージが届いた。
『今日行けなくて残念! でもニュース見たよ。やっぱ玲花のパパすごいね』
『ごめんね。明日も行けなくなっちゃった。学校、休まされるんだって』
送信して、既読がついて、すぐに返事が来た。
『うん、大丈夫。また今度行こうね』
短いのに、優しい。詩音の一言は、SPより心強い。
窓の外では、街灯に照らされた桜がゆらゆら。花びらが舞うたびに、私の“普通”が一枚ずつ剥がれていくようだった。──それでも、まだ信じてた。「また明日」はちゃんと来るって。




