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第1話 総裁選出馬秒読み? 聞いてないよお父さん!!

 春の朝。久遠くおん邸の中庭で、桜の花びらがひらひらと落ちていく。白いカーテンの向こうでは光がやわらかく揺れ、食卓の紅茶が小さく波打った。今日は放課後、何を食べるか──じゃなくて、何をするか。第一候補パンケーキ、第二候補パフェ、第三候補…宿題。うん、第三候補は補欠。


玲花れいか様、朝食のおかわりはいかがですか」

 執事の結城慎一郎の声は、今日も高級なスピーカーから発せられたかのように安定した低音を響かせた。

「ううん、大丈夫。太っちゃうし……お父さんは?」

「今朝は党本部へ直行されました。重要な会議があるとか」

「ふーん。さすが外務大臣。忙しいね〜」

「“時代の節目”だそうで」

「じ、時代の……節目?」

「ええ。玲花様の未来にも、関わるかもしれませんよ」

「ちょ、そういう予告編みたいな言い方やめて。朝から不穏」

 結城はにこりと微笑み、何も言わずにカップを片づける。あの微笑みは「知ってるけど今は言いません」の顔だ。


 最近、家の空気が新品のスーツみたいに張っている。使用人は少し増え、見知らぬ靴音が床に混ざった。でも私の中ではただの「お父さんが忙しい期」。桜と同じで、そのうち散って、また普通に戻る──はず。


 時報代わりにつけている朝の情報番組は、ちょうど政治のニュースが始まったところだった。

「民主憲政党では、次期総裁選をめぐる動きが本格化しています。出馬を検討しているのは、石橋敏明政調会長、阿曽晋助元財務大臣、──」

 固い名前が朝食のBGMになっていく。けれど、最後の一つでフォークが止まった。

「……そして久遠成臣くおんしげおみ外務大臣も、有力候補の一人と見られています」

「…………は?」

「玲花様、やはりご存知ではなかったのですか?」と結城。

「聞いてるわけない! 最近お父さんに会った覚えないし! ていうか、出馬って何!? あの人、外務大臣で手いっぱいじゃん!」

「“国のため”と仰っておりました」

「国のためはわかった。じゃあ“家のため”にも、月イチで夕飯一緒にして」

 言いながら、紅茶の波がやっと落ち着く。私の心拍数は落ち着かない。



 放課後。カフェ「ルピナス」のテラス席は、今日もいい風が回っている。世界がふわっと甘い匂をまとまっていて、ここだけ政治が入ってこない気がする。

「玲花のお父さん、マジでニュース出てるじゃん! “出馬表明秒読み”だって!」

 親友の田中詩音たなかしおんがスマホの画面を見せてきた。

「ほんとだ……。ていうか本人から何も聞いてないんだけど」

「やば〜。総理の娘になっちゃうとか、まじで次元違う!」

「やめて! そんなのなったら、普通に学校来れなくなるし!」

「いや逆に“国会から制服で通学”とか映えるじゃん?」

「国会に住むわけじゃないから。てかそれ、どういうバズの狙い方?」

 二人で笑った瞬間、店員さんが絶妙なタイミングでスフレパンケーキを置く。


「でもさ」

 フォークを持ったまま、詩音が少し真面目な声に切り替える。

「玲花って、いつも“お嬢様”とか“玲花様”って言われるけど、なんか全然そんな感じしないよね」

「それ、褒めてる?」

「うん、もちろん。普通に友達してくれるし」

「そっちこそだよ。だってさ〜、私のこと“近づいたらSP出てくる”とか言って避ける人いるんだよ? ヒドくない〜?」

「うわ、そんなこと言う人たち、絶対人生損してる〜」

「そうかな?」

 笑うと、胸の真ん中がぽっと温かくなる。詩音は、家の看板も肩書もいったん脇に置いて、私を“玲花”として見てくれる人。春風がポニーテールとミニスカートの裾を揺らすのを感じながら、友情とスフレパンケーキを噛み締めた。



 夜、久遠邸。リビングで何気なくテレビをつけたら、お父さんのアップがドーン。

「……初当選よりこのかた、常にその覚悟を持ってやってまいりました。──」

 ぶら下がり取材の声が、部屋の空気を一段階だけキリッとさせる。画面の向こうの父は、“久遠家の父親”ではなく、“国家を背負う政治家”。同じ人なのに声の温度が違うの、毎回ちょっと不思議だ。

 ふうんと思いながらテレビを消して、自室へ戻った。明日の数学の小テストが、私には今のところ最重要案件。


 ベッドに横になってスマホを開くと、詩音から。

『ニュース見たけど、何があっても玲花は玲花だから。明日もカフェ行こうよ!』

 その一文だけで、肩の力がひゅっと抜ける。

『了解! 今度は私が奢るね』

 送信。父がどこへ向かっていても、私には関係ないない。どうせ滅多に顔合わせないんだし。それに私は高校二年生。政治とか総理とか、画面の向こうで喋ってる人たちの話。


 春の夜風がカーテンをふわりと押し、桜の花びらが一枚、部屋に迷い込んだ。ノートの上にひらり。このときの私はまだ知らない。あの花びらが全て散る頃、私の生活がニュースになるなんて。

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