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無言の着信

作者: 一条あかり

無音の着信



山田健太は26歳のフリーランスWebデザイナーである。

都心の1Kアパートで一人暮らしを始めて3年が経つ。

規則正しい生活を好む彼は、毎日22時に仕事を終え、シャワーを浴びて23時には就寝する。


最初の着信があったのは、火曜日の22時15分だった。


スマートフォンが鳴っている。

080-3247-1895。

見覚えのない番号からの着信だ。


「はい、山田です」


念のため応答したが、相手は何も言わない。

完全な無音だった。


「もしもし?」


数秒待ったが、やはり何の音もしない。

山田は通話を切った。

間違い電話か迷惑電話だろうと思い、特に気に留めなかった。


翌日の水曜日、また同じ時間に同じ番号から着信があった。


今度は出ずに様子を見たが、着信音は鳴り続けた。

仕方なく応答すると、やはり無音だった。


木曜日も金曜日も、毎日正確に22時15分に同じ番号からの着信があった。


山田は苛立ちを覚えた。

毎日同じ時間というのは、明らかに意図的だった。


いたずらだと思い、金曜日の着信後、山田はその番号にかけ直してみた。


「おかけになった電話番号は、現在使用されておりません」


自動音声が流れた。

使用されていない番号から、どうやって電話がかかってくるのだろうか。


土曜日の夜、山田は22時10分にスマートフォンを机の上に置き、じっと画面を見つめた。


22時14分、22時15分...


画面が光り、着信音が鳴り始めた。同じ番号だった。


不気味になった山田は、今度は着信を拒否した。

しかし、すぐにまた着信があった。

再び拒否したが、またかかってくる。


5回連続で着信を拒否したが、執拗にかかり続けた。


山田は仕方なく応答した。


「一体何の用ですか」


無音だった。

しかし、今度は微かに何かが聞こえるような気がした。

呼吸音のような、かすかな音。


「聞こえているなら、何か言ってください」


やはり返事はない。

しかし、山田は奇妙なことに気がついた。

通話中、気のせいか部屋の温度が下がったような気がするのだ。


山田は通話を切った。


翌日曜日、山田は着信拒否設定を行った。

その番号からの着信を完全にブロックする設定だ。


しかし22時15分、設定したはずの番号から着信があった。

着信拒否が機能していない。


山田は恐怖を感じ始めた。

これは単なる迷惑電話ではない。

何か異常なことが起こっている。


その夜、山田は友人の佐藤に電話で相談した。


「毎日同じ時間に、存在しない番号から電話がかかってくるんだ」


「存在しない番号?」


「電話会社に確認したら、使用されていない番号だって言われたんだ」


佐藤は笑った。


「システムの不具合じゃないのか?最近そういう話よく聞くよ」


「でも毎日同じ時間って、偶然にしては...」


「気にしすぎだよ。そのうち止まるって」


しかし、山田の不安は的中した。

翌週も、その翌週も着信は続いた。



2週間が経った頃、山田の生活は着信中心に回るようになっていた。


22時15分が近づくと、緊張で手のひらに汗をかく。

着信音が鳴ると心臓が跳び上がる。


山田は22時頃には外出を避けるようになった。

もし外で着信があったら、周りの人に迷惑をかけてしまう。


ある夜、山田は実験をしてみることにした。

22時10分にスマートフォンの電源を切ってみるのだ。

そうすることでもう着信は来ない。


しかし22時15分になると、電源が切れているはずの携帯が鳴り始めた。


山田は震え上がった。

電源が切れているのに、なぜ着信音が鳴るのか。


慌てて電源ボタンを押すと、いつものように画面に見慣れた番号が表示されていた。

その夜、山田はほとんど眠れなかった。


翌日、山田は携帯電話会社のショップに向かった。

この形態に何か問題があるのかもしれない、

機種を変更すれば、現象が止まるかもしれないと考えたのだ。


新しいスマートフォンに変更し、同じ番号を引き継いだ。


しかしその夜、新しい機種でも着信があった。

山田は絶望した。機種を変えても無駄だった。


山田は携帯電話会社のカスタマーセンターに問い合わせることにした。


「080-3247-1895という番号から毎日迷惑電話がきます。

着信拒否設定をしてもかかってくるため、一度確認したいのですが」


「少々お待ちください」


しばらく待った後、オペレーターが戻ってきた。


「申し訳ございません。

その番号は現在、どの契約者にも割り当てられておりません」


「使用されていない番号ということですか?」


「はい。現在は利用されていない番号です」


山田は混乱した。使用されていない番号から、どうやって電話がかかってくるのか。


「システムの不具合の可能性はありませんか?」


「一応技術部門に確認いたしますが、通常そのようなことは起こりません」


「でも実際に毎晩かかってきています。着信履歴も残っています」


「着信履歴を確認させていただけますでしょうか」


山田は着信履歴を見せるため、ショップを訪れた。

店員は山田のスマートフォンを確認したが、首をかしげた。


「お客様、こちらの着信履歴ですが...」


「080-3247-1895からの着信記録がありません」


山田は愕然とした。


「そんなはずはありません。確かに毎晩かかってきているんです」


「確かにお客様のおっしゃる時間帯に着信記録はありますが、番号が表示されていません」


山田は画面を見た。

確かに22時15分の着信記録はあるが、発信者番号の欄が空白になっている。


「これはどういうことですか?」


「通常、非通知番号からの着信の場合はそのように表示されるのですが...」


山田は混乱した。自分には番号が見えているのに、履歴には残らない。

これは一体何を意味するのか。


山田は自分の記憶を疑い始めた。

本当に番号が表示されているのだろうか。


その夜、22時15分を待った。


着信があった。

画面には確かに「080-3247-1895」と表示されている。


山田は急いで画面のスクリーンショットを撮った。


写真を確認すると、番号の部分だけが写っていなかった。

まるで何かに遮られているように。


山田は恐怖を感じた。

これは幻覚なのだろうか。


翌日、山田は契約書類を確認した。

現在使用している番号は080-5729-3841。

この番号を契約したのは約1年前だった。


携帯電話会社に再び電話し、自分の番号の利用履歴を尋ねた。


「080-5729-3841の前の利用者について教えていただけますか?」


「個人情報のため詳細はお答えできませんが、確かに前の利用者がおりました」


「いつ頃まで使用されていましたか?」


「契約終了は1年2ヶ月前です」


山田が契約する2ヶ月前まで、誰かがこの番号を使っていたことになる。


「その方はなぜ契約を終了されたのですか?」


「申し訳ございませんが、そちらについては個人情報を含むためお答えできません」


山田は電話を切り、インターネットで調べてみることにした。


検索してもほとんど情報は出てこなかった。

しかし、ある地域の掲示板で気になる投稿を見つけた。


「080-5729-3841の田中一郎です。息子からの連絡を待っています。

海外にいる息子が心配です。この名前と番号に見覚えがあれば連絡を下さい。」


投稿日時は1年3ヶ月前。

前の利用者らしき人物の書き込みだった。


山田は更に検索を続けた。

すると、同じような投稿がいくつか見つかった。


「昨日から息子の電話がありません。体調を崩してしまいました。」


「毎日22時15分を待っているのですが、もう1週間音沙汰がありません」


「どなたか息子の連絡先をご存知の方はいませんか、もう長らく連絡がありません


「もう諦めます。息子も忙しいのでしょう」


その後、投稿は途絶えていた。


山田は「田中 080-5729-3841」で検索した。


すると、地域の新聞のウェブサイトで小さな記事を見つけた。


「一人暮らし男性が自宅で死亡 桜区のアパートで」


記事は1年前の日付だった。


「桜区のアパートで、一人暮らしの田中一郎さん(65)が死亡しているのが発見された。

死後1週間程度が経過していたとみられる。

病死と判断されている。

田中さんは定年退職後、息子の海外赴任に伴い一人暮らしをしていた」


山田は背筋に寒いものを感じた。

前の利用者は1年前に亡くなっていたのだ。


記事をさらに詳しく読むと、田中さんの息子はアメリカに駐在しており、時差の関係で毎晩日本時間の22時15分に安否確認の電話をしていたという。


しかし、仕事が忙しくなるにつれて電話の頻度は減り、最後の1ヶ月はほとんど連絡がなかったとのことだった。


山田は気づいた。毎晩22時15分の着信は、田中さんが息子からの電話を待っていた時間と同じだった。



山田は改めて着信のあった番号について考えた。

080-3247-1895。


田中一郎さんの息子がアメリカから毎晩22時15分に電話をかけていたという記事の内容と、この着信時間が一致している。


もしかすると、この番号は息子の番号なのではないか。


山田は地域の区役所に向かった。

役所で家族の連絡先を調べようと思ったのだ。


しかし、個人情報保護の観点から詳細は教えてもらえなかった。


次に、田中さんが住んでいたアパートを訪ねてみた。

記事に書かれていた桜区のアパートだ。


管理人の老人に事情を説明すると、少し考えてから口を開いた。


「田中さんね...息子さんは海外にいて、よく夜遅くに電話してたらしいね。

でも最後の方は全然連絡なくて、田中さんも寂しがってたな」


「息子さんの電話番号、ご存知ありませんか?」


管理人は首を振った。


「わからんなあ。

でも、田中さんが亡くなった後、息子さんが一度だけ来たよ。

葬儀の手続きでね」


「その時、何か話されていましたか?」


「『もっと電話してやればよかった』って、すごく後悔してたな。

それで『父さんとの思い出が辛すぎるから、電話番号も変える』って言ってた」


山田は背筋が凍る思いがした。

私の電話番号は、以前田中さんの息子が使っていた番号で、父親の死後に解約されたものなのだ。


その夜、山田は22時15分を待った。


予想通り、着信があった。

今度は恐怖ではなく、妙な悲しさを感じながら応答した。


「田中さんですか」


無音だった。

しかし、確かに向こう側に何かがいる気配があった。


「息子さんは...もういません」


山田は静かに話しかけた。


「息子さんは、あなたが亡くなった後、電話番号を変えました。

もうこの番号には電話をかけてきません」


無音が続いた。


「でも、息子さんはあなたのことを忘れていないと思います。

きっと、もっと電話をしてあげればよかったと後悔しているでしょう」


山田は通話を切った。


翌日も着信があった。その翌日も。


山田は理解した。これは永遠に続くのだ。


田中一郎さんは息子からの電話を待ち続け、

息子もまた父親にもっと電話をしてあげればよかったと後悔し続ける。


二人の間には、もう繋がることのない回線だけが残っている。


一ヶ月が経った。


山田は毎晩22時15分の着信に慣れてしまった。

着信音が鳴っても、もう驚かない。応答して無音を数秒間聞き、それから通話を切る。


これが山田の新しい日課となった。


山田は時々考える。現代社会では、きっと同じような話がたくさんあるのだろう。


遠く離れた家族との連絡が途絶え、一人で亡くなっていく人々。

そして、もっと連絡を取っていればよかったと後悔する家族。


田中一郎さんの話は、決して特別なものではない。

ただ、普通の現代人が直面しうる、ありふれた悲劇なのだ。


山田は電話番号を変えることも考えた。しかし、結局そうしなかった。


毎晩の着信は、現代社会の孤独という問題を思い出させてくれる。

それは不快だが、同時に重要なことでもあった。


22時15分。


今夜も着信があった。


山田は応答し、数秒間の無音を聞いてから通話を切った。

明日も、明後日も、きっと同じことが続くだろう。


田中一郎さんが息子からの電話を待ち続ける限り。

そして息子が、父親への後悔を抱き続ける限り。


山田のスマートフォンには、永遠に繋がらない電話がかかり続ける。



【完】


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