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境界の咎人  作者: 丹㑚仁戻
エピローグ
58/58

境界の咎人〈後〉

「――お久しぶりっス、支部長」


 オフィスにやってきた東雲を見て、朱禰は目を瞬かせた。「あれ? 明日まで休みじゃなかった?」問えば、「暇なんで来ました」と東雲が明るく答える。そんな彼に朱禰は呆れたような顔をすると、「怪我人なんだから駄目じゃない」と眉尻を下げた。


「いくら追跡官が丈夫って言っても、本来は入院が必要だったんだからしっかり療養しないと。しかも文入が君の身体で無茶したせいで悪化したんだろう?」

「そっスねぇ……追跡官(おれら)の身体興奮すると痛み飛ぶから、なんか結構派手に動いてくれちゃったみたいで」


 東雲が思い出すように言えば、朱禰は「ああ、あれか」と表情を渋くした。


「〝いかなる時もハンドラーの命令を遂行できるように〟……それがどうして瀕死の重傷を無視して動けるようにすることなのかは正直理解できないよ。痛みは身体の危険信号なのに、それをなかったことにするだなんて……」

「支部長もそっち派です?」

「当たり前じゃない。君は人間なんだから」


 朱禰の言葉に東雲が口角を上げる。「そう言われるの嬉しいっスね」ニマニマと思い出したように笑い出した彼に朱禰が首を傾げると、「こっちの話っス」と東雲は背筋を正した。


「ていうか支部長、あれどうやったんスか? 文入が起こした自殺も黒狼の件も、なんかすぐなかったことみたいになっちゃいましたけど……おれ事情聴取されるかなって身構えてたのに」


 それまでとは打って変わって真面目な顔で東雲が問いかける。だが東雲がそうしてしまうのも仕方のないことだった。

 文入の起こした同時多発的な自殺はゴーストの仕業として公表されている。それ自体は生の亡者(ライフクリンガー)の存在が公になっていないことを考えると当然のものだったが、一方であれだけ人目に触れた黒狼の存在は、翌日にはもうほとんどニュースでも扱われなくなっていたのだ。


 東雲の問いに朱禰はにっこりと微笑むと、「内緒」と口元に指を当てた。


「内緒って……」

「だって教えたら君、絶対嫌な顔するもの。知らない方がいいよ」

「……そういうもんスかね」

「そういうものだよ」


 飄々とした朱禰に、東雲は溯春の言葉を思い出した。

 朱禰は後処理しかしない――それは皮肉のようなものだと理解していたが、しかしここまで何事もなかったかのように片付けられてしまうと、皮肉る溯春の気持ちも少しだけ分かる気がする。と考え込みそうになった東雲だったが、不意に「って、そうだ」と顔を上げた。


「そういえば溯春さんはどこっスか? さっきオフィス行ったらいなかったんスけど」

「今日は休みだよ」

「えっ、そうなんスか?」


 朱禰の言葉に、今度は東雲が驚いた顔をする。だがすぐに怪訝そうに眉根を寄せて、「今日シフト入ってませんでしたっけ」と首を捻った。


「うん、でも有給使ったから」

「有給? 私用があるってことっスか? あの人にぃ? ――ッ、まさか一人で調べに行ったんじゃ!」


 考えながら慌て出した東雲に、朱禰が「待って待って、落ち着いて」と声をかける。しかし「とりあえず今日は大丈夫だよ」と続けても、今にも溯春を探しに行ってしまいそうな東雲の様子は変わらない。

 そこで朱禰がホロディスプレイを出して溯春の位置情報を表示してみせれば、東雲はやっと納得したように「あ、そっか」と身体を朱禰の方へと戻した。


「おれが休みだったから支部長が監視役なんスね」

「そういうこと。ちゃんと行き先は聞いてるから問題ない」


 落ち着いた東雲を見て、朱禰がホロディスプレイをしまう。東雲もまたそんな朱禰の様子を見ていたが、すぐに不思議そうな顔になって、「でもやっぱ気になります」と口を開いた。


「あの人がわざわざ有給取ってまで出かけるって初めてっスよ。いつもは休みの日にちょろっとどっか行くくらいなのに」

「その〝ちょろっと〟と同じ場所だよ。まあ、今日は刑務所にも寄ったみたいだけど」

「刑務所? 烏丸さんのとこっスか?」

「だろうね」


 当たり前のように頷いた朱禰を見て、東雲の中にふと疑問が浮かんだ。


「そういえば溯春さんって、刑務所の事故で生の亡者(ライフクリンガー)になったんスよね? ってことは刑務所の人達は知ってるってことっスか?」


 生の亡者(ライフクリンガー)が具体的にどうやって生まれるかを東雲は知らない。だが以前溯春に聞いた話では、既にゴーストとなった死者が蘇ることで生の亡者(ライフクリンガー)になるとのことだった。ならば人目のある場所で死んだ溯春は、周りに見られながら蘇ったことになる。

 そう思って東雲は尋ねたが、朱禰から返ってきたのは意外にも「知ってるのは烏丸さんだけだよ」という言葉だった。


「烏丸さんだけ?」

「うん。当時の彼女は所長じゃなくてただの分析医だったんだけどね、あの事故では彼女も負傷者の対応に当たってたんだよ。それで死者を臨時の安置室に移動している時に()()()()()()に出くわして……あとは言わなくても分かるね」

「……その死者が溯春さんだったんスね」


 東雲の答えに、朱禰がゆっくりと頷く。


「だから彼女には色々と世話になっているんだけど……()()()()()()()()()から、これ以上は流石に君にも教えられない」


 言葉どおりの厳しさを持つ朱禰の視線を受けて、東雲はゴクリと唾を飲み込んだ。「……分かりました」不承不承といった様子で頷き、引き下がる。空気を変えようと視線を彷徨わせれば、あることを思い出した。刑務所の話が出る前に朱禰と話していた、溯春の向かった場所についてだ。


「それで結局、溯春さんは今どこに? いつもと同じ場所って言われても、正直離れすぎなければあんま気にしたことなくて……」


 言いながら東雲が顔を渋らせる。溯春の監視は自分の役目だが、バディとして行動を共にする以上、あまりプライベートは覗き見しないようにしていたのだ。

 これは注意されるかもしれない、と気まずそうにする東雲に、朱禰が「そんなことで怒らないよ」と苦笑をこぼした。


「君の気遣いはありがたいよ。溯春くんが出かける先って基本的にお墓だから」

「墓って……あ」


 東雲の脳裏に答えが浮かぶ。


「その……陽咲さんって人のですよね? 溯春さんの奥さんで、支部長の妹さんの……」


 口にしながら、東雲は朱禰の表情が暗くなったことに気が付いた。「ってことは、溯春さんと支部長は義理の姉弟だったんスね!」空気を変えようと慌てて言葉を繋げる。すると朱禰はいつもの様子に戻って、「ちょっと惜しいかな」と肩を竦めた。


「二人は正式に籍を入れていなくてね。だから姉弟じゃなくて普通に友人だよ。まあ、向こうが今もそう思ってくれてるかは分からないけど」


 困ったように朱禰が笑う。その理由は東雲にも分かった。朱禰の家に避難した時の二人の会話を覚えていたからだ。

 ただ、少し気になることもある。あの時は溯春が一方的に朱禰に怒りを抱いているように感じたが、そもそも朱禰は溯春に妹を殺されたのだ。そうしなければならない事情があったことは分かっているが、朱禰は何故あれほど溯春に言われるがままだったのだろう――東雲が聞くべきかどうか悩んでいると、彼の考えに気付いたらしい朱禰がそっと視線を落とした。


「恨んでないよ」

「えっ」

「気になってるんだろう? 私が妹を殺した彼を恨んでるんじゃないかって。恨んでない。むしろ感謝してる。……私ができなかったことをやってくれたから」


 朱禰の目は机の上に向けられたまま、東雲を見ない。しかしその声は落ち着いていて、そこに恨みや怒りは感じられなかった。そのことに東雲がほっと胸を撫で下ろしていると、「でもね」と朱禰が続けるのが聞こえてきた。


「私が恨んでいなくても、彼のやったことは間違いなく人殺しだ。だから、全員が全員私と同じ気持ちってわけじゃない」


 深刻そうな朱禰の表情に、東雲の肩に力が入る。

 一体誰のことを――そう問いかけようとした時、朱禰の前に着信を知らせるホロディスプレイが現れた。



 § § §



 薄紫色のバラが、黒い墓石を華やかに彩る。よく手入れされているらしく、墓石に汚れはほとんど見当たらない。


 その墓を、溯春が見つめる。冷淡さを感じさせない眼差しだ。だがどこか暗い感情が感じられる、寂しい目。

 溯春はしばらくの間そうしていたが、そのうち何も言わずに墓から離れていった。


 たくさんの墓石に見送られながら、階段へと向かう。山を切り開くようにして作られたこの墓地は見晴らしがいい。遠くを見れば街を一望できるところは、永遠の眠りにはちょうどいいのだろう。

 だが、溯春は景色を見ようとはしなかった。ただ黙々と足元を見て歩いていく。そうして階段まで来たところで、溯春の視界に見慣れない足が映り込んだ。


 白いスニーカーを履いた、女性の足だ。どこかで見た覚えがある、と溯春が顔を上げる。するとそこには見知った姿があって、溯春は驚いたように動きを止めた。


「久しぶりね、太陽(たいよう)くん」


 そこにいたのは朱禰の母だった。普段着のような服装をしているが、そのスニーカーには見覚えがある――サナトリウムで患者に支給されているスニーカーだ。安全のために紐がなく、患者達が普段生活をする時に使っているもの。それだけでは何とも言えなかったが、しかし朱禰から彼女が退院したとは一言も聞いていない。


「……お義母さん」


 溯春の口からは、無意識のうちにかつての呼び方がこぼれ落ちていた。それは、目の前の女性が〝朱禰響希(ひびき)の母〟ではないと分かったからだ。

 何故ならあの施設で会ったこの女性には、()()()()()()()()()()()のだから。


『ふふ、私の夫にそっくり。二人並んだら()はきっと間違えてしまうわね』


 その理由を溯春は知っていた。二人の娘を持つこの女性は、そのうちの一人が酷い死に方をしたことで忘却を選んだのだ。

 だからこの女性は溯春を知らなかった。施設で会っても彼を彼と認識せず、初対面だと勘違いした。


 だが、今は違う。


『……一時期よりかはマシだよ。時々正気に戻ることもある。でもあんまり良いことじゃないかもね。夢の中が幸せなら、ずっとその夢を見続けていて欲しい』


 溯春の脳裏に朱禰の言葉が蘇る。そして、女性が最初にかけてきた言葉も。


『ひさしぶりね、太陽(たいよう)くん』


 彼女は()()()()()()()()のだ。娘を殺した男のことを。


「――どうしてあんなことしたの」


 思考に沈む溯春の耳に、泥のような声が塗り込まれる。


「どうしてあんなことができたの? どうしてあの子の望むままにしたの!? 私はあの子に生きて欲しかった! 今は辛くてもいつか乗り越えられたかもしれないのに、どうしてあなたはその未来を奪ったの!!」


 深い恨みのこもった声が溯春を責め立てる。しかし、溯春は何も答えなかった。ただただ目の前の女性を見つめたまま、その言葉を受け続けている。


 それが彼女の気に障ったのかもしれない。


「……責任取ってよ」


 そう告げる陽咲の母の手には、包丁があった。肉を切るのに用いられるような、刃渡りが長く先が鋭利な包丁だ。

 それを溯春の方へと向け、女性が一歩踏み出す。


 そして、一切の迷いなく溯春の腹に突き刺した。


「ッ……」


 先が刺さっても尚、女性は力を込め続ける。鋭い刃が、溯春の腹に沈んでいく。


「あなたも死ねばいいのよ」


 そう、呪詛のように吐き捨てて。

 女性が体当たりするように力を込めれば、溯春の身体は長い階段を下へと落ちていった。

境界の咎人 −了−


―――


最後まで読んでいただきありがとうございました!

(続きがある感じで終わりましたが、いつか気が向いた時に書こうと思います)

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