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境界の咎人  作者: 丹㑚仁戻
第一章 砕けた星は虚空を彷徨う
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昨日の友は今日の仇〈一〉

「ひっ……!?」


 突如目の前に現れた顔に倉木が悲鳴を上げる。覗き込むだなんて可愛いものではない。鼻先が触れ合いそうなくらいに近くで、大きく開かれた目が倉木を見つめる。その顔に流れた前髪で相手が金髪だということは辛うじて把握できたが、しかし意味の分からない行動に倉木は動くことができない。


 倉木を見つめているのは東雲だった。自分よりも頭一つ分は背丈の小さい倉木の顔を、東雲がぐんと背中を丸めて正面から覗き込んでいるのだ。体勢のせいで彼の首は真横を向き、お互いに立っているとは思えない顔の角度で向かい合う。

 はたから見れば異常なのは東雲の行動の方だった。片や男子高校生、片や黒スーツの大男。だが東雲は自分がどう見えるかなど気にした素振りを微塵も見せず、倉木を見つめたままスンスンと鼻を動かし続けた。


「におう、におうなぁ……あの女の子の匂い。それからこの腐臭……――」


 東雲の首が、ぐるんと縦に戻る。と同時に腰をぐっと屈めて、今度こそ()()()()に倉木の顔を見つめた。


「――きみ、ゾンビ飼ってる?」

「っ……!?」


 その瞬間、倉木が東雲を突き飛ばした。


「あっ!」


 押された東雲は声を上げたが、バランスは全く崩さなかった。しかしその間にも倉木は東雲のいない方へと駆け出していた。ひとけのない場所から、生徒達のいる方へ。

 だが、倉木の逃亡はほんの数歩で終わりを迎えた。


「ッ、離せ!!」


 先に動いていたはずの倉木の腕を東雲が掴んだのだ。逃げられないようにその腕を倉木の背中に回し、「離すと逃げちゃうでしょ?」と困ったように言う。


「当たり前だろ!? 通報するぞ!!」

「――そいつは探知犬だ、追われる方が悪い」


 そう告げたのは溯春だった。倉木が逃げようとしたのとは反対側の物陰から、悠然と溯春が二人の方へと歩いていく。彼の言葉に倉木はギクリと身を強張らせ、東雲は「言い方!」と口を尖らせた。


「確かに探知もしますけど、どうせなら狩猟犬って言ってください! ほら、ちゃんと被疑者も捕まえられる!」

「喚くな」


 東雲の不満を溯春はぴりゃりと跳ね除けると、拘束された倉木に目を戻した。


「そいつが探知するのはゴーストだ。言っている意味は分かるな?」

「っ……」

「ゾンビだっけか。ったく、連中は滅多なことじゃ能動的に動かないから普通は探すのが楽だっつーのに……移動させてる人間がいたんじゃあ、調査班が見つけられないワケだ」


 溯春の話を聞いて視線を落とす倉木の一方で、東雲は得意げに鼻を鳴らした。「ほら、おれ優秀!」自画自賛する声に溯春は何も返さない。しかし東雲は気にしていないのか、一人満足そうに笑っている。

 そんな東雲を溯春はやはり無視すると、「ガキ、」と倉木に話しかけた。


「ゴーストの隠匿は最低でもレベル(ワン)の実刑だぞ。ゾンビならどれだけ重くてもレベル(スリー)止まりだろうが、罪は罪だ。さっさと俺らを案内しろ」

「……案内したら、どうなりますか」


 地面を見つめたまま倉木が問いかける。相手が不審者ではなくゴーストクリーナー――公務員だと気付いたからか、最初よりもおとなしい。


「俺達に協力的だったとは報告してやるよ。運が良けりゃ保護観察になって前科は付かないんじゃねェの?」

「ゴーストは……」

「あ?」

「ゴーストは、どうなりますか」


 そう問う倉木の目は溯春を見つめていた。真剣で、懇願するような視線だ。相手の様子に溯春は呆れたような顔をすると、「そんなの気にしてどうする?」と首を傾げた。


「ただ消すだけだ。ゴーストがどうなろうがお前にゃ関係ないだろ」

「…………」

「もしかして自分よりそっちの方が心配なのか。付き合ってたのか?」

「え……?」


 溯春の問いに倉木がきょとんと目を丸くする。その反応に溯春は意外そうに片眉を上げると、「君津(きみつ)アヤだ」と続けた。


「二年の女子で、ここのところ意識不明で入院してるそうじゃないか。東雲がお前から嗅ぎ取ったのは君津の匂いだ」


 倉木が僅かに瞼を伏せる。「……付き合っては、いません」小声で答えれば、溯春は「そういう仲でもねェのに通報せず隠してるのか?」と眉を(ひそ)めた。


「お前まさか、ゴーストを性欲処理に使ってるんじゃないだろうな」

「は……? ッ、違います! そんなことするはずないでしょう!?」


 血相を変える倉木を溯春は冷たい目で見ていた。二人の会話を聞いていた東雲は嫌そうな顔をして、「溯春さん、下世話っスよ」と苦言を呈す。


「子供に不適切なこと言ったって苦情来たらどうするんスか? 最悪始末書っスよ」

「ガキ作れる年の奴相手なら不適切でもなんでもねェよ。むしろひん曲がった性癖にならないよう注意してやってんだ」

「……ああ言えばこう言う」

「事実だろ。それにたまにいるんだよ、そういう奴が。ゾンビなんてどうせ触れることすらできねェっつーのに」


 溯春は面倒臭そうに東雲に答えると、「で?」と倉木に視線を戻した。


「お前は付き合ってすらいない相手をどうして隠した?」


 問われて、倉木の眉間にぐっと力が入る。


「……見つかったら消されるじゃないですか」

「だからって隠せばお前は犯罪者になるだろ」

「ッ、それは……その前に、ちゃんと帰すつもりで……」

「浅はかだな。バレなきゃ平気だと思ったか」


 溯春が馬鹿にするように言えば、倉木の表情が更に険しくなった。泣きそうにも見える顔だ。「……ごめんなさい」素直に謝罪を口にした倉木を見て、溯春は白けたように溜息を吐いた。


「悪いと思うならさっさと場所を言え」

「……言えません」


 尚も答えない倉木に、溯春がすっと目を細める。


「何か理由があるのか」

「…………」


 その問いに倉木は頷かなかった。だが、否定することもない。

 溯春はじっと倉木を見続けると、やがて大きく息を吐き出した。そして東雲をちらりと見て、「離してやれ」と顎で倉木を示す。


「へ?」

「そいつを離せ」

「はい!」


 東雲は元気な返事と共に倉木を拘束していた腕を離した。突然のことに倉木が溯春を凝視する。無意識なのか、解放された腕を労るように擦っていたが、状況が理解しきれていないことはその表情から明らかだった。


「あの……?」

「俺達はゴーストクリーナーだ。ゴーストは全て消す。お前の女も例外じゃない」

「そんなっ……」

「夜まで待ってやる。それまでに逃げ切ってみせろ」

「ッ!」


 倉木が目を見開く。相変わらず溯春は口調も表情も冷たいが、言われたことの意味を考えるように相手を見つめる。そして結論に達したかのように大きく頷くと、「ありがとうございます!」と頭を下げてそこから走っていった。


「わあ、礼儀正しい」


 小さくなっていく倉木の背を見送りながら、東雲が感心した声を上げる。しかしすぐに怪訝な顔になると、「いいんスか?」と溯春に問いかけた。


「いくらゾンビっつっても、いつまでも無害とは限らないんじゃないスか? それに、どうせいつかは誰かに狩られる……ま、おれは溯春さんが意外と優しいって分かって良かったっスけど」


 むふ、と東雲が笑みを浮かべれば、溯春が「馬鹿か」と呆れたように吐き捨てた。


「え?」

「あの様子じゃゴーストのとこに行くだろ。ここで押し問答するより合流するところを狙った方が楽だ」

「……うーわ、溯春ってるー」


 東雲が頬を引き攣らせる。その発言の意味を理解しそこねた溯春が「は?」と聞き返せば、東雲は渋い顔をして、「めっちゃ溯春さんってことです」と答えた。

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