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境界の咎人  作者: 丹㑚仁戻
第六章 朽ちることすら許されず
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世界の向こう側〈二〉

 ――煙が溯春の視界を覆い隠す。

 上半身に痛みを感じながら溯春が鉄骨の下から這い出れば、煙だけでなく赤い炎までもが壁から噴き出していることが分かった。


「何が……――ッ」


 起き上がるために手をついたベッドは、溯春のそれの隣にあったもの。その上で眠っていた囚人の身体が、降ってきた鉄骨と割れたガラスで真っ二つに分断されている。


「っ……」


 倒れていなければ自分がこうなっていた――一瞬にして状況を悟る。上半身の痛みはガラスのせいだ。鉄骨で割れたガラスの破片が身体に降り注ぎ、それが上半身に無数の切り傷を作ったのだ。


「ぁ……助け……」


 轟音の中、うっすら聞こえた声に溯春は振り返った。見れば足が鉄骨の下敷きになった囚人がいる。既に起きていた者だ。溯春はその姿を見つけると、すぐにそちらの方へと駆けていった。


「上げれば自分で引けるか」

「あ、ああ……やってみる」


 幸い鉄骨はベッドに引っかかり、あまり重さがかかっていなかった。その鉄骨を溯春が上げ、囚人が自分の足を引き抜く。「早く逃げろ」囚人が立ち上がる手伝いをしながら言って、周囲を見渡す。

 そこにはまだ、生きた囚人がいた。起きている者は自分で出口に向かおうとしているが、それ以外はそうもいかない。何せ意識がないのだ。仮想空間では現実に起こっていることは反映されない。バイタルに異常があれば安全装置が働いて強制的に目覚めるが、()()()無傷だった者はそのまま眠り続ける。


「チッ!」


 溯春はそんな囚人に駆け寄ると、VR装置を操作して起こそうとした。本来であればホロディスプレイに表示されたボタンを数回操作すれば簡単に起きる。……だが何故か、エラーに阻まれた。


「何だってんだよ! ――ッ!?」


 ブワッ、と壁から炎が噴き出す。溯春が咄嗟に身を屈めれば、頭上からガラスが弾け飛ぶ音が響いた。

 降り注ぐガラス片をやり過ごし、熱が去ったと感じるとすぐに立ち上がって救助を続けようとした。


 しかし、その手が止まった。


「ッ……!!」


 そこには真っ赤な肌になった囚人がいたからだ。ガラス片による裂傷、そして熱による火傷。悲鳴を上げるような怪我なのに、囚人は眉一つ動かさない。彼のバイタルサインだけが異常を示していたが、それでも目を覚ます気配はなかった。


「なんで起きねェんだよ……!」


 安全装置すら働かない機材に苛立ちながら操作を続ける。だがやはり、エラーが溯春を阻んだ。

 溯春は一瞬の迷いの後、操作していた画面を切り替えた。一般ユーザー向けにボタンが並ぶインターフェイスから、文字列だけの簡素な画面へ。ホロディスプレイにキーボードを表示させ、強制的に囚人を起こそうと()()()操作を続ける。

 自身も火傷を負い、血まみれになりながら、それでも溯春は手を止めなかった。時折周りを見渡しては、まだ起きない無事な者達の姿に唇を噛む。

 自力で動ける者は既に皆外へと出ていた。残っているのは溯春だけで、彼以外に他人を助けようとする者はいない。ここは刑務所、それもこの部屋での作業に当たっていたのは重罪犯。更には、他者への感心が希薄だと評価された者。溯春のように自分の命を危険に晒してまで、いや、命の危険がなくとも、見知らぬ誰かを助けようとすら思わない者達だ。


「クソッ……!」


 どうやってもエラーを返す画面に悪態を吐き、ならばと素手で無理矢理ヘッドギアを外そうと試みる。だがやはり、固くロックされたそれは微塵も動かない。


「ぅぁ……ぁ……」

「ッ、誰かいるのか!?」


 聞こえた呻き声に耳を澄ます。声の主を探せば、鉄骨で崩れたベッドに押し潰された囚人がいた。溯春は助けようと手を伸ばしかけ、しかし、直前で止めた。


 金属製のベッドの下で、囚人の胸が潰れていたからだ。たとえそこから出しても助かることはないと、素人でも容易に想像できる。

 助かる見込みのない者と、まだ助かるかもしれない者――一分一秒を争う状況で、溯春の理性が冷酷な判断を下す。


「……悪い」

「ッ……待っ……」


 囚人に背を向け、近くにあった瓦礫を手に取る。手当たり次第にVR機材を殴る。これが壊れれば上位システムが異常を検知して、うまく行けば眠ったままの囚人を救えるかもしれない。この手段を取ることによる危険性も一瞬頭に浮かんだが、そんなことを考えている暇は溯春にはなかった。

 ただただ彼らを逃さなければならないと、視界に入る機械を瓦礫で叩きつけていく。


「ッ、禮木(れぎ)……!」


 眠る囚人の中に見知った顔を見つけて、溯春の手が止まった。何事もないように穏やかに目を閉じる()()。妄想としか思えない夢物語を無邪気に語り、しかしその正体は、他人に理解できない理屈で十数名の命を奪った凶悪犯。


『この枝垂れ桜が指差す先に宝物を埋めたんだ。ボクはもう外に出られないけど、ボクの親友が守ってくれてるんだよ』


 その思い出を語る時だけ、彼はまともに見えた。仮想空間から無理矢理引き戻せば、彼のその部分すら自分は壊してしまうかもしれない。


 そう考えて、溯春が躊躇した瞬間だった。


 ――バリバリッ!


 天井が悲鳴を上げる。炎が暴れる。溯春の目はそれらをしっかり捉えたのに、逃げ場だけは見つけられなかった。



 § § §



 古い記憶が蘇り、溯春はダンッと近くの壁を殴りつけた。

 拳に走った痛みが溯春の呼吸を落ち着ける。腹の底から湧き上がる不快感を和らげる。

 溯春は何度か深呼吸をすると、顔を上げて前を睨みつけた。


 そこは東雲が襲われた場所だった。もしくは先程溯春がゴーストを処分した場所と呼んでもいい。東雲が犯人について口を閉ざすため、手がかりを求めてもう一度やってきたのだ。


「…………」


 最後に見かけたあの子供は、もういない。彼がゴーストをいたぶっていた溯春を通報した様子もない。恐らく親に説明すらできていないのだろう――自分の行動の影響が少しだけ頭に浮かんだが、溯春はどうでも良さそうに周囲へと視線を戻した。


 壁や道路には、あのゴーストが残した傷跡がある。大きさは東雲を襲ったモノが残したそれと変わらないが、引っかき傷のような跡だった。


 それを見て、思う――何故東雲は犯人について教えないのかと。


 ハンドラーである自分の命令は、追跡官にとっては絶対。それよりも優先されるのは、そのハンドラーが他者に危害を加えようとするのを止めるための行動か、もしくはハンドラー以上の権限を持つ者からの命令があった場合のみ。

 例えば朱禰が東雲に命令を下せば、溯春の命令よりも彼女の命令の方が優先される。朱禰が口止めしていれば、いくら溯春が強く命じようと東雲は話せない。

 だが、朱禰はそんなことをしないと溯春は確信していた。生の亡者(ライフクリンガー)を始末したいのは彼女も同じだからだ。


 となると、別の人間。しかし東雲にハンドラーの命令より優先される命令を出せる人間など、他に誰がいるだろうか。

 管理局の人間か、もしくは訓練所時代の訓練官か。だが仮にそのどちらかだとして、彼らは何故口止めなどするのか。それに管理局の人間ならともかく、訓練官が生の亡者(ライフクリンガー)の存在を知っているわけがない。


「チッ……!」


 考えても分からない疑問に、溯春の中で苛立ちが募っていく。今しがたやり過ごした不快感は再び湧き出し、どんどん溯春の身体を熱くしていく。


 その熱が、記憶を呼び起こす。炎に包まれ、不条理な死に囲まれた記憶。自分の置かれた状況への苛立ち、怒り、恨み――それら全てが溢れ出し、()()()()()()()の記憶が蘇ってくる。


 その記憶が血のように全身を巡れば、すう、と疑問が消えていった。


「……どうでもいい」


 東雲が事実を隠す理由など。彼に誰が命令したかなど。

 そんな情報がなくとも、ここに残るニオイが自分を獲物の元に導くのだ。


 ――ならばもう、先のことを考える必要もない。


 溯春の足元で、水たまりが波紋を立てた。その歪んだ水面に溯春は映らない。そこに何かがいると教えるだけで、はっきりと姿を映し出すことはできないからだ。

 ただ、影が。黒い影だけが見て取れて、そしてその影がどんどん大きくなっていった。やがて地響きのような唸り声が響けば、影は水たまりには映りきらなくなった。


 パシャッ、パシャッ……と、別の水たまりに何かが落ちる。足だ。人間の足ではなく、犬の、狼の足。鋭利な爪を持ったそれは黒い被毛に覆われ、人間の頭すら容易に踏み潰せそうなくらいに大きい。


 水たまりの波紋が止まる。溯春のいた場所に、巨大な黒い狼が映し出される。


 その狼はグルルと低く唸ると、ダンッと強く踏み込んで、その場から走り去っていった。

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