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境界の咎人  作者: 丹㑚仁戻
第六章 朽ちることすら許されず
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恨みの形

 病院を後にした溯春は東雲が襲われた現場へと向かった。

 そこはごく普通の歓楽街。その道を遮るように半透明の壁のようなホログラムが表示され、人々の通行を阻んでいる。とはいえ、この辺りは元々あまり賑わうような場所でもないらしく、実際に阻まれている人間は溯春以外にはいなかった。

 ホログラムの壁は黄色と黒を基調とし、真ん中には大きく〝この先通行禁止〟の文字がある。警察によるものだ。東雲を襲ったのは人間ではないはずだが、まだ警察から特殊治安管理局への引き継ぎが終わっていないらしい。


 そこまで把握した溯春だったが、構わず壁の先へと足を踏み入れた。途端、ビーッと警告音が鳴る。「うぜェ……」溯春が顔を顰めれば、彼の目の前にホロディスプレイが現れた。

 まるで主張するように〝この先通行禁止〟を表示する画面に目をやり、「管理局だよ」と低く唸る。すると画面の文字は〝局員検索中〟に変わり、数秒もしないうちに〝通行許可〟と表示された。同時に耳障りな警告音も止み、溯春の口からは深い溜息が吐き出される。


 溯春の吐いた息は、冷たい空気のせいで少しだけ白く残った。しかし未だ降り続く小雨がそれを掻き消す。傘を差していない溯春は鬱陶しそうに顔に張り付く前髪を手で払うと、襲撃の傷跡の残る現場を見つめた。


「…………」


 建物の壁にはいくつか罅が入り、コンクリートが抉れている箇所もある。その傷の間に、暗い赤色が残る。まるで塗り込まれたようなそれは東雲の血液だった。それなりの出血量があったはずだが、夜から降り続く雨のせいでもうほとんど残っていない。


 その傷口に、溯春が指を触れる。「……爪ではねェな」コンクリートに残された跡を見て、何がこの状態にしたのかと思考を巡らせる。

 爪ではなく、東雲を壁に叩きつけられるような何か。かつ、コンクリートを容易く抉る形状。

 更に動きもそれなりに速いと見ていいだろう。追跡官である東雲の身体能力があれば、大抵の攻撃は躱せるのだ。それができなかったということは、彼よりも速いか、もしくは彼の処理能力を上回ったかのどちらかになる。


 記憶を辿り、そんな怪異に関する伝承はあっただろうかと眉間に皺を寄せた。


「……複数か?」


 ゴーストは通常群れで行動しないが、相手が生の亡者(ライフクリンガー)ならば話は別だ。そして彼らを東雲が人間と見做しているとすれば、反撃することもできなかったであろうことは容易に想像できる。

 何故なら追跡官は、人間に危害を加えることができないから。たとえ捕縛を目的としている場合でも、ハンドラーの指示なしに相手を直接攻撃をすることはできない。


 回避することもできず、更に自分の身を守る行動すら取れなかったのなら――そう考えて表情を険しくした時、溯春の耳が異常な音を拾った。


「――――っ!」


 咄嗟にその場から飛び退けば、溯春のいた場所が大きく抉れた。


「……気持ち(わり)ィ奴だな」


 言葉と共に顔を顰める。その顔が、大きな球体に反射する。

 目だ。瞼や白目が存在しない、昆虫特有の目。しかし大きさがおかしかった。その目玉の大きさは溯春の頭ほどあり、それを支えるのは重機のような大きな身体――見た目はカマキリに似ていた。だが、それが昆虫ではないことは大きさから見て考えるまでもない。


 溯春の大鎌と遜色ない大きさの鎌を両手にぶら下げ、無機質な目で溯春を見つめる。ゆらゆらと揺れ、音もなく鎌を構え直す。


「……カマキリっつーのは葉に擬態するために揺れるんじゃねェの?」


 呆れたように、馬鹿にするように。そんな溯春の言葉が気に障ったのか、カマキリのゴーストが目にも止まらぬ速さで鎌を振り抜いた。


「ッ……」


 人間では到底反応できないような速さ。しかし溯春はそれを軽々と避けると、ニィと悪意のある笑みを浮かべた。「やっぱ好都合じゃねェか」呟いて、大鎌を出す。


 しかし残りの手続きはしない。半透明のそれにゴーストを消す能力はなく、そして、手続きのための条件は満たしているのにもかかわらず、溯春はゴーストを消すための行動に移ろうとしない。


「来いよ。確認してやる」


 挑発するように笑いかければ、ゴーストが動いた。

 鎌を振り下ろし、溯春の立つ場所を大きく抉る。しかし溯春には当たらない。一度目も二度目もするりと避けられ、間髪入れずに続けた攻撃すら掠りもしない。

 ならばとばかりにゴーストが攻撃の角度を変えて横から鎌を振り抜けば、溯春の腰上を狙ったその攻撃すらもまた避けられた。溯春が跳んだからだ。軽く跳ねただけのように予備動作はなく、しかしその跳躍は人に可能な高さを大きく超えている。

 くるりと後方に宙返りしながら着地した溯春はゴーストに目を合わせると、「その程度か?」と笑いかけた。


 ――ギギギギギッ!


 それはゴーストの雄叫びだった。その不快な音に溯春が眉を顰めると、ゴーストは再び溯春を狙って動き出した。それまでよりも素早く、力強く。外れた攻撃はしかしコンクリートに当たり、鈍い音と粉塵を起こした。

 だが、ゴーストが何回攻撃を繰り返しても溯春に当たることはなかった。溯春はまるで東雲のような速さで動き、壁を足場に縦横無尽に駆け、コンクリートを砕くゴーストの攻撃を軽やかに避け続けている。

 時折ゴーストが苛立ったように奇声を発するも、溯春の表情は涼しいまま。「……お前じゃねェな」爪痕のように残ったコンクリートの傷跡を見て考えるような仕草さえ見せている。


「このタイミングで来たってことは、お前飼われてるんだろ?」


 トンッ、と地面に着地する。冷たい目をゴーストに向け、「だったら飼い主に伝えておけ――」という言葉と同時に殺意を纏った。


 そして、消える。次の瞬間に響いたのは、ゴーストの悲鳴。


「――やられっぱなしは癪に障る」


 溯春の声はゴーストのすぐ傍から聞こえた。そのゴーストの身体には一筋の大きな裂傷ができていて、そこから青い体液が噴き出している。

 しかし、溯春が手を止めることはなかった。再び大鎌を振るい、ゴーストの身体に傷をつける。何度も、何度も。


 何度も何度も何度も。


 けたたましい悲鳴が暗い空に響き渡り、溯春は「ははっ!」と声を上げて笑った。興奮で見開かれた目は金色に染まり、更にゴーストの身体を斬り刻んでいく。


「化け物のクセに弱いな」


 斬る場所がなくなった頃、やっと溯春は手を止めてつまらなそうにこぼした。ゴーストはもう、まともに動いていない。致命傷はないが、激しい損傷のせいで手足を動かすことすらできていない。


 その時だった。ビーッ――警告音が鳴った。その音に溯春が視線を動かせば、規制線の壁の向こうに傘を差した小さな子供の姿を見つけた。大きな目が落ちてしまいそうなくらいに見開き、傘が規制線を超えてしまっていることにも気付いていない。

 溯春はそんな()()の姿を確認すると、「…… 《ID検索指定:クソカマキリ》」とぽつりと声を発して、白けたように視線をゴーストに戻した。


〈検索完了。申請承認。コマンド実行権限を付与します〉

「そりゃどうも」


 気怠げに手を動かせば、実体を持った大鎌がゴーストの首を斬り落とした。


「ぁ……」


 壁の向こうで、子供が怯えたように声を漏らす。身体はガタガタと震え、青白い顔で溯春を見つめている。


 その子供に再び目をやった時、溯春は近くの水たまりに映る自分の姿に気が付いた。いつもと同じ黒いスーツ、黒い髪――いつもとは違う、金色の瞳。そしてその目つきは、鬼のように鋭い。


「…………」


 溯春は水の中にある自分の姿を見つめると、何も言わずに子供に背を向けて歩き出した。

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