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境界の咎人  作者: 丹㑚仁戻
第五章 嗤う幻影と忘却と
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限りなく現実に近い幻影

 その後も溯春は何も言わなかった。施設内を歩き、受付も通り過ぎ、当然のように建物の外へと出ていく。

 駐車場へと迷わず向かっていく溯春の背を見ながら、東雲は恐る恐る「溯春さん、あの女の人って……」と声をかけた。


「朱禰ってことは、その……」

「支部長の身内」

「……だから溯春さんが行った方が都合がいい、って話だったんスね」


 溯春は朱禰の身内がこのサナトリウムにいることを知っていたのだろう――東雲はやっと朱禰と溯春の会話の謎が解けたと感じたが、まだ全てではないことを思い出した。


「でもそれならどうして支部長は最初、溯春さん以外の人にやらそうとしたんスか? 事情を知ってる人の方がいいでしょうに。あとその中途半端な変装も」


 溯春の後ろ姿を見つめながら問う。いつもと違う服装、必要があるのか分からない眼鏡。普段と雰囲気が違いすぎるため一見すると溯春だと気付かないが、しかしよく見れば溯春本人なのだ。変装というにはそれらしさが足りないと、東雲が怪訝な表情を浮かべる。


「うるせェな。お前には関係ねェよ」

「そうやってすぐ人を遠ざけるの良くないと思います」

「仕事してねェ奴に話すことは何もない」

「うっ……」


 痛いところを突かれ、東雲の勢いが止まる。仕事をしていないわけではないが、今回役に立たなかったのは否定しようもない。

 そんな自分の不甲斐なさを思い出して東雲が落ち込んでいると、前を歩く溯春が僅かに後ろを向いた。


「今回の報告書、粗方書いたらこっち寄越せ」

「めっずらし。支部長のことがあるってのは分かるんスけど、それなら最初からやってくれればいいのに」

「面倒(くせ)ェ」


 それだけ言うと、溯春は顔を前へと戻した。もう後ろを振り返る気配もない。用件を言うだけ言ってこの態度か、と東雲は顔を顰めると、「ていうかあのゴーストってなんだったんスか?」と不満げに問いかけた。


「鏡割ったら解決したってことは、溯春さんが言ってた鏡のゴーストだったんでしょうけど……」

「雲外鏡」

「そうそれ。でも正体を暴くって話じゃありませんでしたっけ?」

「暴いてたよ」


 どうでも良さそうに言う溯春に、「そっスか?」と東雲が首を捻る。


「おれ、知らない女の人見ただけでしたよ。あと支部長」


 記憶を辿りながら言えば、溯春がちらりと東雲を見て、「……泣いてる女か」と低い声で言った。


「そうそう! なんか、見ててすんごいしんどかったです。なんで泣いてるかは分からなかったんスけど、でもすごく苦しそうで……」


 そう話題に出せば、東雲の脳裏には女の姿がまざまざと蘇った。幸せそうな笑顔だったのは最初だけで、その後はずっと辛そうにしていた。何かに謝り、恐怖し、そして――


『もう嫌、耐えられない……助けてタイヨウ……』


 ――美しい顔をぐしゃぐしゃにして、涙ながらに助けを求めていた。

 東雲はそこまで思い出すと、暗い顔で「そういえば、」と続けた。


「その女の人、おれのことタイヨウって呼んでたんスよね。支部長も出てきたってことは、あの人に聞けば分かるのかな」

「やめとけ」

「なんでです?」


 いつもどおりに理由を尋ねた東雲だったが、すぐにその足を止めた。溯春が止まったからだ。

 それまで後ろをほとんど気にせず歩いていた溯春は東雲に向かい合う形で立って、強い目で相手を見据えている。


「それ以上踏み込むなら、俺はハンドラーとしてお前を遠ざける」

「何言って……」

「東雲月渡(つきと)に追跡官の適正なし――ハンドラーがそう報告したら、お前はもう追跡官ではいられない」


 空気がひりつく。強く、冷たく、そしてどこか殺意のようなものを含んだ目が、東雲を射抜く。


「……脅してるんスか?」


 声を震わせないようにしながら東雲が問えば、溯春は「お前も俺にやってきただろ?」と暗く笑った。


「言っとくが支部長はその報告を上に通すぞ。俺が事情を話せばな」

「…………」


 東雲は何も返すことができなかった。溯春の言葉が嘘ではないと感じてしまったからだ。

 ただただ溯春を見つめることしかできない東雲に、溯春が「ここが境界線だ」と口を動かし続ける。


「お前が他人の事情を探るのは勝手だが、大目に見るのも限度がある。理解したなら手を引け。お前が夜中にコソコソ調べてることからもな」


 溯春はそこまで言うと、再び前を向いて歩き出した。



 § § §



「――境界線ってなんだよ」


 深夜の街を歩きながら、東雲は虚空に向かって不満をこぼした。

 サナトリウムの件から一日、既に少女、文入(ふみいり)眞空(まそら)の追跡は再開している。時間が空けば折角見つけた痕跡がまた消えてしまうからだ。前日はサナトリウムでのゴースト処理が深夜だったせいで追えていないため、もうこれ以上時間をおくことはできない。


 たとえ溯春に脅されていても、それでやめるなら最初からこんなことはしていないのだ。

 何せ自分が溯春より先に少女を、〝パパ〟と呼ばれる人物を見つけなければ、溯春は確実に犯罪行為を犯してしまう。それだけは避けなければならないと、恐怖にも似た感情が東雲を突き動かしていた。


「……人殺しなんて」


 そんなことをしては駄目だ。他者の命を奪うなど、仮に何か事情があったのだとしても決してしてはならない。

 過去既に殺人を犯している溯春は、今度こそ刑務所の外に出られなくなってしまうだろう。幸い死刑制度はとうの昔に廃止されているが、一生を檻の中で過ごすなど死刑と大して変わらない。

 東雲はぐっと目元に力を入れると、自分を奮い立たせるように頬を叩いて捜索を続けた。


 微かに残る少女のニオイを追って足を動かし続ける。無心で集中しようとするも、サナトリウムで見た光景が頭の中をちらつく。

 それを振り払うように歩を進め、ニオイを探し、また歩く。だがやはり、あの叫びは消えない。


『――ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさいっ……』


 必死に謝る女の姿が、頭の中から離れない。

 何をそんなに謝るのか。何をそんなに怯えるのか。聞きたくとも、幻相手に聞くことはできない。

 朱禰に聞けば事情や女の所在を教えてくれるかもしれないが、しかしそれをしてしまえば溯春は迷わずあの脅しを実行するだろう。


『東雲月渡に追跡官の適正なし――ハンドラーがそう報告したら、お前はもう追跡官ではいられない』


 あの目は本気だった。いや、そもそもああいった類の脅しで溯春が本気でなかったことなどないのだ。


「つーか溯春さん、おれのフルネーム知ってたんだ……」


 溯春の言葉を思い出し、そういえば、と少し嬉しく感じる。内容が内容だけに喜んではいられないが、しかし溯春は自分のことになど全く興味はないと思っていたのだ。

 正直なところ、いつも提出する報告書に書いてあるものだから知らないはずはないのだが、それでも溯春が自分の名前を見て、記憶に留めていたことに感動すら覚える。


「溯春さんは確かヒロアキだっけ」


 〝太陽〟と書いて、〝ヒロアキ〟。迷わず読めたのは養護施設時代に同じ名前の友人がいたからだ、と東雲は懐かしさを感じた。


「あれでヒロアキって知らないと読めないよなぁ……普通にタイヨウって読みたくな…………る?」


 はて、と東雲の首が傾く。てっきり〝ヒロアキ〟だと信じて疑うことはなかったが、自分は果たして溯春の名にふりがなが振られているのを見たことがあっただろうか――考えて、ない、という結論に達する。


「もしかして、タイヨウって読む……? え、似合わな……じゃなくて!」


 唐突な気付きに東雲の目がうんと見開かれる。思い出すのはサナトリウムで出会った女の幻。そして、彼女の放った言葉。


『助けてタイヨウ……』


 縋るようなその言葉は。その向き先は。


「あの人、溯春さんのこと呼んでた……?」


 それならば、と東雲の中でこれまでに得た情報が繋がっていく。


「あの女の人は溯春さんの知り合いってこと……? あと支部長も関係あって……あれ? 待って、どういうこと?」


 あの女が溯春と朱禰の共通の知人であるならば、そのことを朱禰に尋ねようとした自分に溯春が釘を差したことも頷ける。だが、しかし。


「ていうかそもそもあれはなんだったんだ……? 溯春さんは分かってるみたいだったけど」


 ただの幻のはずだ。雲外鏡というゴーストによって見せられた、現実とは違う何か。

 だが、分からない。あの幻はどこから来たのか。全くのデタラメであるならば、どうして朱禰という自分の知人が出てきたのか。それに――


『そっスか? おれ、知らない女の人見ただけでしたよ。あと支部長』

『……泣いてる女か』


 ――何故溯春は、あの発言だけで女が何者か分かったのか。


「ただの幻じゃない……?」


 疑問が東雲の頭の中を駆け巡る。あれがただの幻でないのなら一体何なのか。何故溯春はあの幻の内容を知っていたのか。


 考えれば考えるほどに思考が奥深くに沈んでいって、東雲はいつの間にか足を止めていた。それが道の真ん中であることも忘れ、自分の思考にのみ意識を割く。


 だから東雲は、背後に迫る存在に気付かなかった。


「――――ッ!?」


 全身に衝撃。それが何度も。

 繰り返される痛みの数が数え切れなくなった頃、東雲の意識は薄れていった。

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