安息を乱す虚像〈一〉
「つっまんない」
ムスッとした顔で東雲がこぼす。オフィスに再集合してからというもの、そこから車での移動中も彼は同じ調子で同じ言葉を繰り返していた。
「聞き飽きた」
バンッ、とフロントドアを閉じながら溯春が東雲を睨む。しかし黒縁眼鏡に囲まれているせいで、その目つきはいつもよりも優しく見えた。
「意外と眼鏡似合う……ムカつく」
「なんでだよ」
いつもどおり不機嫌そうな応対をした溯春だったが、その服装はいつもとはまるで違っていた。ゴーストクリーナーとして普段は常に黒スーツに身を包んでいるが、今はボルドーのニットを着ている。その上にはブラウンのチェック柄のコートに、ボトムスはトープのテーパードパンツと、全体的に暖かい印象を与える色合いでまとめられているのだ。
髪型こそいつもどおり長い後ろ髪を見慣れたシルバーの髪留めでまとめているが、全体がここまで違うとそれも目印としては大して意味を成さなかった。しかも眼鏡までしているのだから、ゴーストクリーナーとしての溯春しか知らない人間はすれ違っても彼だと気付かないかもしれない。
現に東雲も今でこそ〝つまらない〟と連呼しているが、最初にオフィスでその姿を見た時には目を剥いたのだ。客だと勘違いして応対しかけたところを溯春に指摘されたのだから、面白く思えないのも仕方のないことだった。
「今更ですけど、溯春さんって私服だとそんな感じなんスね。もっと全身真っ黒かと思ってました。あとはこう、気だるい系な服かなぁって。なんか普通にお高いレストランとか入れそうに見えますよ」
「変装だからな」
どうでも良さそうに言った溯春を見て、東雲は自分の服に目を落とした。デニムに白のパーカー、黒のミリタリージャケットと、いつも仕事が休みの日にしている格好だ。私服と言われたから普段着を着てきたが、溯春の格好と比べると随分と子供っぽく見える気がする。
自分も溯春のような服を着ればよかった、と考えたが、すぐに似合わないだろうという結論に達した。彼のしているような綺麗で大人っぽい格好などしたことがないし、興味も持ったことがないことは自分のクローゼットの中身を思い出せば簡単に分かる。
要するに自分と溯春では系統が違うのだ、と納得すると、東雲は先を歩く溯春の隣に並んだ。
「しっかしおれまでスーツ駄目っていうのは、一体どういう事情で?」
「……ゴーストクリーナーに嫌悪感を持ってる患者がいるんだよ」
そう言って溯春が視線を向けたのは、二人が今向かっている場所だった。車を停めた駐車場はその目的地のもの。白い壁の洋風な建築で、一般的な小学校ほどの幅がある。三階建てで、場所によっては四階まである部分もあった。奥にももう一棟の似たような建物がありそうだ。
「精神病患者向けのサナトリウムでしたっけ。ゴーストクリーナーが嫌って、またピンポイントな……」
資料の内容を思い出し、東雲がううんと首を捻る。案件の資料にはゴースト被害のことは書かれていても、このサナトリウムの患者については一切書かれていなかったからだ。
「なんで支部長も溯春さんもそういう患者がいるって知ってるんです?」
「さあな」
「さあって……またそうやってはぐらかして」
東雲はうんと嫌そうな顔をしたが、それ以上聞こうとは思わなかった。他のことならまだしも、患者に関する話ならば守秘義務が関わってくるかもしれない。本来は医者の義務だが、何らかの事情で二人もその義務を負うことだってあるだろう。
東雲は無理矢理自分を納得させると、「そういえば被害内容も少し特殊ですよね」と話題を変えた。
「このサナトリウムのとある部屋に入ると、精神が錯乱する……これはまあ別にいいんスけど、なんでゴーストの仕業だって判定されたんです? 長いこと棟ごと封鎖してあったってことは、管理局がなかなか動かなかったってことっスよね?」
「俺が知るか。管理局の調査が入ってゴースト被害だって認定されたんだろ? 俺らに関係あるのはそれだけだ」
「そうっスけど……」
溯春が答えるも、東雲にはどうにも納得がいかなかった。本来、ゴースト被害の判定というのは早いものなのだ。
何かしらの問題が起こった場合、多くの人間は警察へと通報する。そして警察が確認して、ゴーストの可能性が高そうであれば特殊治安管理局へ。時折直接管理局へと通報される場合があるが、それはいたずらを除けば明らかに人間の仕業ではないと分かるものがほとんど。やはりそこからの判定は早い。
しかし、このサナトリウムは違う。資料によれば最初の被害から半年ほどで問題の部屋は封鎖されたが、その封鎖からも既に一年近くが経っている。通常であれば有り得ないと言っていい状況なのだ。
それを、溯春はどうでもいいと言う。何故そう割り切れるのかと東雲が考えていると、いつの間にか建物が目の前にあった。考え事をしている間に随分と歩いてしまったらしい。
そして、建物の前には見知らぬ男の姿があった。服装から見て看護師だろう。東雲はそれまでの思考を打ち切ると、「すみません」と男に声をかけた。
その声に、入口にいた男が小さく会釈する。来客予定を知っている者の反応だ。東雲は少し背筋を正すと、同じように会釈しながら男の方へと近付いていった。
「ここの方っスよね? 特殊治安管理局の者ですが」
「ええ、伊井野と申します。今日は来てくださって本当にありがとうございます」
伊井野と名乗った男はほっとしたように言って、東雲と溯春が身分証を見せると二人を建物の中へと案内した。




